今帰り来む
住宅地の一角に、家を建てるには少々手狭な土地があり、そこには三坪ほどのビニールハウスが建っていた。
「紅音お姉ちゃん、これは?」
「小林さんの家庭菜園よ」
いちごを奉納してくれた氏子の小林さん。家庭菜園とは聞いたが、なかなか本格的にやっているようだ。
雪緒の問いに答えつつ、紅音はハウスの中を窺う。
内側が蒸すのを避けるためだろう、カーテン式の扉は下ろされているがファスナーは下まで下がりきっておらず、下半分が風で微かに揺れている。ビニールそのものは半透明で、外側からは植物らしき影がうっすらと見える程度だった。
「ここに何が……」
雪緒がさらに問いを重ねようとした時だった。にゃあ、と中から鳴き声がした。
雪緒は驚いたように、そして梛紗は面白がるように紅音の顔を見る。
しかし紅音は表情を崩さない。
「自分から出てきてくれると助かるのだけど、さすがに難しいかしら」
敷地と道路の間には簡素なフェンスが設けられている。股下程度の高さで、簡単に乗り越えられそうだ。
「入らないのか?」
「物理的には可能だけど、不法侵入になるわ」
フェンスを指差す梛紗に紅音は首を振る。そして雪緒に視線を向けた。
「でも、小さなうさぎなら法の適用外ね」
そう言われ、雪緒はきょとんと目を丸くし――合点がいったように頷いた。
「承知しました、お任せください!」
軽く周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから雪緒は目を閉じる。そして少年の姿は白い子うさぎへと変わった。
フェンスの隙間をすり抜け、ハウスの入り口の隙間から侵入する。
しばらく待っていると、ぴょんぴょん跳ねながら雪緒が出てきた。――灰色の美しい猫を伴って。
「いました! マリンさんです!」
嬉しそうに報告する雪緒に、猫はぐるぐると喉を鳴らしながら頭突きをする。どういうやり取りをしたのかは知らないが、ずいぶんと気に入られたようだ。
猫の青い首輪には『まりん』と書かれたプレートがついている。猫違いということはないだろう。
「あの、ところで……中には他にも猫がいたのですが……」
マリンにぐいぐい頬ずりされつつ、雪緒が戸惑いの声を上げた。その言葉通り、ハウスの中にはガサガサと生き物の動く気配がある。
「それはきっと田原さんが世話している地域猫ね」
「どうしてここに猫が集まっているんでしょう?」
不思議そうな雪緒に対し、紅音は端的に答える。
「キウイよ」
「キウイ……って、果物のですか?」
鮮やかな緑色の果肉に酸味のある爽やかな風味が特徴の果物である。
南国フルーツというイメージが強いが、日本の気候でも育てやすい。雌雄異株のため果実栽培には受粉の手間があるものの、病害虫に強く家庭菜園の初心者向けでもある。
「キウイはマタタビ科マタタビ属――オニマタタビを改良して作られた品種なのよ」
実際、マタタビの実は指先ほどの大きさであるが切ってみると断面はキウイにそっくりだ。
「だから猫が集まってきているんですね」
里穂子が言っていた。氏子の小林が育てているのはいちごの他、キウイやパッションフルーツにも挑戦している、と。
つまり苗木が植えられたのは最近のこと。地域猫が姿を見せなくなったのも、ここでたむろするようになったからだろう。
「ここから萌歌ちゃんの家と田原さんの家はそう遠くないわ。萌歌ちゃんの家はこっちで、田原さんの家はこっち」
言いつつ、紅音は地図アプリの画面を示した。このビニールハウスの南側約五〇メートル付近に内田家、東側一〇〇メートルの距離に田原家がある。猫の行動範囲として充分に考えられる距離だ。それぞれの家の場所は里穂子に確認したので間違いない。
紅音は雪緒ごとマリンを抱き上げた。ざりざりと雪緒の頭を舐め続けているため、引き離すより落ち着いて捕獲できると思ったからだ。元々人慣れしているマリンは暴れることなく紅音の腕に収まった。
「他の猫も元の場所に戻せると良いのだけど……」
田原は猫たちの行動範囲を把握し、世話をしている。汚損の被害で近隣に迷惑をかけないようにするためだ。
行動範囲が変わってしまえば、知らない家の庭先で粗相をすることもあろう。それは人だけでなく猫にとっても不幸な結果を招く。
「だったら、俺が縁を切ってやろう」
紅音の隣に立っていた梛紗の姿が、ふっとかき消える。そして次の瞬間、ビニールハウス内に巨大なうさぎのシルエットが現れた。街灯で薄く照らし出されたそれは、まるでホラー映画の一幕だった。
たちまち、ハウス内で「ふぎゃー!」と猫の悲鳴が上がる。ほろ酔い気分を味わっていた猫たちは吃驚し慌てふためき、弾丸のような勢いでハウス出入り口の隙間から飛び出していった。
「これでしばらくは寄ってこないだろうさ」
ハウス内のシルエットが消え、再び梛紗が姿を現す。不法侵入ではあるが、梛紗にも人間の法律は適用されない。
「荒っぽいわね」
小言を言いつつ、雪緒とマリンを抱いたまま紅音は歩き出す。
「でも、一応解決はしたのだから良しとしておくわ」




