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御伽噺

 くじ引きで引き当てた図書委員の仕事を終え、帰宅したのは五時半頃。

 紅音の生活は離れが中心だが、外出から戻った際にはまず母屋に顔を出すことにしている。玄関を開けると台所から里穂子の鼻歌が聞こえてきた。

「ただいま」

「あら、おかえり紅音ちゃん。ちょうど良かったわ」

 里穂子の手元にはトレーが置かれ、小粒ないちごを盛りつけた小鉢が三つ並んでいた。「内田さんとこの萌歌(もか)ちゃん、お母さんのお迎えがちょっと遅くなるらしいから教室に残ってもらってるのよ。お夕飯前だけど、これくらいなら大丈夫だと思うから持って行ってあげて」

 言いながら、里穂子は小鉢をひとつ付け足す。紅音のぶん、ということだろう。

「これ、氏子の小林さんが家庭菜園で育てたんですって! 小粒だけどすごく甘いのよぉ。近所の空き地を借りたらしくて、他にもキウイとかパッションフルーツなんかにも挑戦してるから、出来たらお供えしてくださるそうよ」

 氏子からの差し入れは時折あることだった。御饌(みけ)として神前に供え、下げたものは人間が美味しくいただく。これを撤饌(てっせん)という。

 手を洗ってトレーを持ち、書道教室に使っている和室へ向かう。廊下に膝をついて襖を開けると、縁側に腰かけた少女の後ろ姿があった。

 今年で小学二年生になった内田萌歌ちゃん。書道教室には昨年から週一で通っている。

 近くの小学校から下校後に直接来て、高学年くらいになると一人で帰宅する子も多いが、低学年の子は親が迎えにくることがほとんどだ。仕事などの都合でお迎えが遅れることもままあり、こうして教室の後に小一時間ほど預かるのは珍しいことではなかった。

「よぅ、おかえり」

 萌歌の隣に座っていた助勤姿の梛紗が振り返って軽く手を上げた。梛紗の反対側、萌歌を挟むようにして座っていた雪緒はしっかりと姿勢を正し、正座になって紅音に向き合いつつ「おかえりなさい」と出迎える。

「ただいま。――お父さんは?」

 てっきり、萌歌の側についているのは智春だと思っていた。しかし教室内に父の姿はない。

「パパ殿なら牛乳を買いにいったぞ。ママ殿が買い忘れたそうでな」

 妙な呼び方をする梛紗だが、これは里穂子による「パパママって呼んで」という圧によるものだ。紅音は幼少期からずっとお父さんお母さんと呼んでいたため、パパママ呼びに憧れがあるとかなんとか。

「あなたが行きなさいよ。雑用係なんだから」

「店がどこにあるかわからん」

 高継家の生活圏には複数のスーパーマーケットがある。そしてそれぞれ安売りする曜日や品目が違う。

 今日、牛乳が安いのは少し遠い店だ。紅音に買ってきてとメッセージを送ってこなかったのも、高校からの帰路途中に店がないからだろう。

 雑用としてこき使うにも教育が必要。紅音はひそやかに溜め息をついた。

「まぁ、いいわ。――萌歌ちゃん、いちご食べる?」

「うん。ありがとう、紅音ちゃん」

 縁側に座る萌歌の背後にトレーを置くと、振り返った萌歌が控えめに笑った。水色のヘアゴムで髪をおさげにした、可愛らしい子だ。

 智春に習って書道を嗜み、中学卒業時点で特待生となっている紅音は時々教室の手伝いをしていた。キッズクラスの子供たちとは顔見知りになっている。十七歳になれば昇格試験を経て師範代の資格を取るつもりだ。

 梛紗と萌歌、雪緒に小鉢を渡して紅音は畳の上に座る。墨の清々しい香りが染みついた部屋は心地良い空間だった。

「さて、さっきの話の続きをしようか」

 いちごを一粒頬張って、梛紗が萌歌に話しかける。それを紅音は軽く睨み据えた。

「萌歌ちゃんに妙なことを吹き込んでるんじゃないでしょうね?」

「人聞きの悪い。暇つぶしに御伽話をしていただけさ。ちゃんと子供向けのな」

 そう言うと梛紗は軽く咳払いをして語り始める。

「むかぁしむかし、あるところに、うさぎの化け物が住んでいました……っと、ここまではもう話したんだったか」

「うん。うさぎさんは山でひとりぼっちで暮らしてたんだよね」

「そうそう。――そのうさぎは山のように大きく育ち、飛び跳ねると人里の村は揺れに揺れて人々は困り果てました。鎮まり給えとたくさんのお供え物をくれるものだから、うさぎはもっと欲しくなって、もっともっと飛び跳ねました」

「迷惑な話ね」

 紅音が茶々を入れると、静かに聞いていた雪緒が苦笑いを浮かべた。

「そんなある日、村に修行僧がやってきました。村に泊めてもらったお礼にと、その僧侶はうさぎにいたずらをやめるよう説得しに行きました。しかし、うさぎは聞く耳を持ちませんでした」

「今の笑うところかしら」

「――そんなうさぎに、僧侶は言いました。反省をしないなら、お前を大岩に変えてやろう、と。僧侶の正体は、なんと大国主命(おおくにぬしのみこと)だったのです。知ってるか? すんごく偉い神様だ」

 萌歌は首を傾げていた。少し難しかったようだ。

「岩になりたくないうさぎは一生懸命謝りました。そしてこれからは人々のために働くように、縁を結んだり切ったりする力を貰い、神様の仲間入りをしました。人々はうさぎを許し、一緒に仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

「縁結びしてないことは大国主命にチクればいいのね」

 紅音の呟きに、梛紗は小憎たらしい顔で笑う。

「相手はえらぁい神様だからなぁ。多忙でいちいち聞いちゃあくれんさ」

 紅音と梛紗、二人の応酬の意図など知らない萌歌はいちごを一粒手に持って、しかし口に運ぶことなく小鉢に戻した。

「うさぎさん、ひとりぼっちじゃなくなって良かった……」

 そう言った萌歌の瞳は潤んでいた。ずずっと洟を啜ると、堪えくれなくなって涙がぽろぽろと零れる。

「ちょっと、梛紗」

「ええ!? 俺が悪いのか!? 今の話、泣き要素あったか!? 割りと自虐ネタだぞ!?」

 紅音の非難に梛紗が慌てる。それに対し雪緒は落ち着いたもので、萌歌にハンカチを差し出していた。

「どうしました? 何か気に障ることでも?」

「ううん、違うの。……あのね、実はね」

 ハンカチで涙を拭いた萌歌は、ゆっくりと話し始めた。

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