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梛紗の正体

 あわあわおろおろと慌てる雪緒を尻目に、もふもふを冷ややかに見下ろしながら紅音は告げる。

「三十秒で支度なさい」

「十秒少なくないか!?」

 抗議の声を上げながらうさぎは飛び起き、不満そうに長い耳をぴこぴこ動かしたが、紅音は腕組みをして一、二、とカウントを始めた。

 うさぎは渋々と腹あたりの毛並みを整える。するとうさぎの全身がぽわぽわ光り、次の瞬間には梛紗がそこに立っていた。白衣と白い無地の袴姿は助勤――アルバイトとして働く男性奉仕者の衣裳だ。

「これでいいんだろう?」

「及第点ね。あとは寝癖を整えて、終わったら外へ出てらっしゃい」

 それだけ言うと紅音は部屋を辞した。

 後に残された梛紗は変にねじれた前髪を指先で弄る。

「これどうやって直せばいいんだ?」

 答える者はなかった。雪緒はぽかんと呆けている。

「……梛紗様。紅音様は、やはり――」

「ん-、一度濡らして乾かすかぁ」

 雪緒の言葉を遮って、梛紗はふらふらとまだ眠そうに洗面台へ向かう。

 ばしゃばしゃと水音の響く中、雪緒は小さな拳を握って悲しげに項垂れたのだった。


 雪緒を伴って離れの玄関から出てきた梛紗に、紅音は竹箒を押しつけた。

「あなたはあっち。わたしはこっち。終わったら声かけてちょうだい」

 細い指で指し示し、それぞれの持ち場を端的に伝える。それを見ていた父、智春は困ったように割って入った。

「紅音、梛紗くんは初めてなんだから、もっと優しく教えてあげないと」

「平気よ。この人、ちゃんとわかってるから」

 横目で梛紗を軽く睨みつつ言う。梛紗に対し霊的な畏怖を感じているらしい智春は気遣わしげな顔をしていたが、紅音の言葉通り梛紗が参道を掃き清め始めると、それ以上は何も言わなかった。

「お父さんは例のアレをお願い」

「あ、あぁ、うん。上手くできると良いんだけど」

 自信なさげに頷いて、智春は桶に生けておいた花を持って手水舎に向かった。

 花手水という最近流行の映えるアレ。やりたいと言い出したのは里穂子である。

 悪くないと紅音は思った。絵馬掛所の禍々しい空気を上手く相殺してくれるかもしれない。

 色とりどりの小さな菊を短く切って水に浮かべていく。父の作業は順調そうで、紅音は竹箒を動かしながら手水舎から離れると、所在なさげな雪緒がそこにいた。

「僕も働かせてください」

「ありがとう。でもコンプライアンス的に児童を働かせるわけにはいかないのよ」

「僕、見た目はこうでも子供ではないのですが……」

 もごもごと小声で言う雪緒に、紅音は溜め息をつく。

「じゃあ、ちり取りとゴミ袋を持ってついてきて。『お手伝い』ならしてもいいわ。わたしも子供の頃からそうやってきたし」

 その言葉に雪緒の顔が、ぱぁっと輝く。役に立てることが嬉しいようだ。

 実際、雪緒の手際は非常に良かった。紅音が木の葉や塵を掃いて集めると雪緒は適格なタイミングでちり取りを差し出してくる。これならいつもより早く終わりそうだと思った矢先、雪緒が窺うような眼差しで、じっと見つめていることに気がついた。

 だが、紅音はそれを取り合わない。気づいているのに無視されていることを察した雪緒は痺れを切らして訊ねてきた。

「さっきの、梛紗……お兄ちゃんのこと。やはり紅音お姉ちゃんは驚かないんですね」

「ええ、そうね」

「どうしてですか?」

「どうでもいいからよ」

 ざっ、と音を立てて竹箒で石畳を払う。細かな土埃が舞った。

「彼の正体がうさぎだろうと亀だろうと、どうだっていいのよ。言ったでしょう? わたし、あの人には何の興味もないの」

 冷たく言い放つ紅音に雪緒は表情を曇らせる。溜め息をついた紅音は梛紗のほうを見やった。

「真面目に働いてくれるというなら気に掛けてあげてもいいけれど……」

 掃除の手を止め、石畳の上で座り込んでいた梛紗が何かを拾い上げると嬉しそうに走ってきた。そして手にしたものを差し出してくる。

「見てくれ、紅音。てんとう虫だ。お前にやろう」

「いらないわ。元の場所に返してらっしゃい」

 にべもなく答えた紅音に、梛紗はむすっと拗ねた顔になり、竹箒を杖のようにして体を預けた。てんとう虫は彼の手の甲でうろうろしている。

「掃除は飽きた。もっと楽しい仕事ないのか? 祭りの準備とか」

「例祭はまだ先よ。――知ってるくせに」

 斜睨みして言う紅音。すると口の端をくっと上げて梛紗は問う。

「どうしてそう思う?」

「ここで神様をしてたなら知っていて当然。参拝者のことも、うちの生活もずっと見ていたんでしょう?」

 参拝者が口にする、呪いたい相手への恨み節や時代と共に変化していく流行言葉を使いこなし、里穂子が好んでよく見る映画の台詞にも反応した。

「別にわざと覗いていたんじゃない。俺たちだってここが住処だったんだ。自然と目耳に入ってくるもんは仕方ないだろ。特に俺たちは耳が良いもんで」

 開き直る梛紗に、紅音は竹箒をざっと掃いて土埃を浴びせた。うわっ、と後退った梛紗が抗議の声を上げる。

「パワハラだ、パワハラ!」

「教育的指導よ。仕事に戻りなさい」

「ぴえん」

 箒の穂先でシッシッと追い払うと梛紗は泣き真似をしながら持ち場に戻り、「森へお帰り……」などと言いながら指先からてんとう虫を空に放した。それを見届けた紅音も作業を再開する。

「あの、僕たち本当にここから見えるものだけしか見ていないので。私生活の奥深くまでは決して」

「わかってるわよ」

 申し訳なさそうに弁明する雪緒に、紅音は肩をそびやかして応じた。本気で怒っているわけではないとわかって安堵したのか、雪緒はほっと息をつき――意を決したように顔を上げる。

「紅音お姉ちゃん、ひとつお尋ねしたいことが――」

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