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幸せの肺活量
ボンベを背負った背から入水する。
音は泡になって空へと逃げ出し、私は沈んでいく。
きらきらと輝く水面を蹴飛ばして、浅い海底に足を下ろした。
海の中というのは、暗くて、静かで、ことさらに美しく。
魚が横をすり抜けていく。
海藻が躍るように揺れている。
岩間の陰からタコが顔を出す。
カニが歩き、エビが跳ね、砂の中に貝が隠れた。
酸素の残量はあと少しだった。
幸せというのも、そういうものなのだろう。
私はボンベを脱ぎ捨てた。
これでもう、海の上には戻れない。戻らない。
マスクとゴーグルを外して、スーツは脱げない。
目を閉じゆっくり呼吸を送り出す。
最後の息が大きく漏れた。
願わくば、このまま。




