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トリックルーム  作者: 鳳仙花
第四ゲーム
31/36

覚悟

気が付けば、私は香奈恵の頭を踏み外していた。

妙な視界の歪みが私の行動を邪魔する。

何だろう、この視界の歪み方は。

目が熱いし、小雨でも降ってきているのか小さな雫が地面へと落ちている。

言いようのない感情が私を揺るがせる。

行動も性格も考えも決意も無茶苦茶にして、私の心に暗雲がかかる。

自分が見えない。

私は一体何を信じて、何を愛してるのか分からない。

煌太を愛しているの?

それとも幸せを愛しているの?


違う、違う。

私は煌太を愛しているから幸せ。

愛し合えているから幸せなの。

でもでも煌太は私を愛して?

愛して、いるよね?

煌太は誰を愛しているの?

本当に愛しているのは誰?

それは一人?

私だけ?

私だけだよ。


私、私って誰?

私の幸せ、幸せ。

幸せ。

私の幸せって本当に優羽の幸せ?

私って優羽?

優羽は幸せになれる?


無理。

無理だ無理だ無理だ!

父親に汚され歪んだ優羽を愛する人がいるものか。

それでも私は煌太を信じたい。

けれどもし煌太が父親と同じなら、私は………。


香奈恵が私の顔を見て笑った。

ありえない。

スプレーで少なくとも今は目が見えていないはずで、全身が苦痛で苛まれているのに何で笑える。

そんなに今の私がおかしいのか。


『あっははは!男なんてどうせ脳内は性欲だらけよ!恋だって元を辿れば性欲同然!だから高潔になれない!もしこー君がアンタを愛しているにしても、それは本当に愛と呼べるものかしらねぇ!?』


香奈恵が口を動かさずに私に叫ぶ。

笑って歪んで人間とは思えない。

私は聞くに耐えず、ナイフを抜き取って香奈恵の背中に刺し直す。

なのに香奈恵は笑っていた。

痛がらない。

何で!?


『うるさい黙れぇ!何なのよ!何なのお前はぁぁああぁ!?死ねよ!死んでよぉぉおぉおぉ!!』


私はもう一度刺した。

血は出ている。

肉を裂く手応えもある。

けれどもいくら私が狂乱して叫んでも、香奈恵は悪魔の囁きは止めなかった。

分からない。

私は一体何を殺そうとしているの!?


『情けない情けない情けない!!アンタは何も知らない!そして知らないふりをしている!現実を見ろ!現実知れ!アンタは目を逸らしているだけだ!汚いんだよ、恋ってのはさぁ!!ドス黒い気持ちを知らず、理想だけを思い描くから駄目なんだよォ!』


香奈恵の赤しかない目が私に向けられる。

心なしか口が裂けているようにも見える。

私は怖くなる。

殺すことではなく、今私の下にいる人間にだ。

私は髪を乱して頭を掻いた。

汗や涎が止まらない。


あぁぁぁあぁ、怖いよ。

幸せが怖い、恋が怖い、本心が怖い、現実が私を引き裂いて殺す。

死にたくない。

私は幸せや夢の中を生きたいよ。

助けて煌太。

私はどうすればいいの。

こんなの悪夢。

無茶苦茶だ。

現実なわけないじゃない。

私は悪夢を見ているんだ。

これは悪夢、現実じゃない。


『悪夢ぅ!?アンタって本当に馬鹿なのねぇえ!今まで夢の中にいたのだから、これが今更夢の中なわけないじゃない!まだ現実を見ないの!?アンタは本当に愚鈍な女だわ!知れよ!現実ってのをさぁぁああああぁぁぁあ!!?』


『いやぁあぁぁぁぁあああぁぁあぁぁ!!聞きたくない聞きたくない!消えろ!死ね!お前は死んでしまえ!お前の言葉はまやかしだ!お前の経験なんか知るか!お前こそ語るな!悪夢を抱いてずっと死ねぇぇ!!』


私はナイフを香奈恵の首に深々と突き刺した。

うぐっ、と香奈恵は低く唸る。

それは獣のうなり声そのものだった。

そして血は刺し傷から垂れて、首筋を辿って地面に染み付いていく。


殺せたのか。

私はナイフを突き刺したまま手を離して汗を拭う。

香奈恵の血がべっとりと顔に着いた。

なんて赤く汚い液体だ。

手に着いていた血を眺めて香奈恵を見下ろす。

………死んだ、はず。

私は確認しようと荒くなった息と跳ね上がる心臓の鼓動を抑えながら、香奈恵の顔を覗き込む。


その時だ。

香奈恵の首がぐるりと百八十度回って私を見る。

そして真っ赤な死人の顔に引きつった皮膚で、笑顔で言ってきた。


『夢が現実だと思いたいなら試せばいいじゃない。優羽にそんな勇気があるならね。優羽に証明しなさいよ。望んだ愛と幸せが現実にあると』


『ひぃっ!?』


私は硬直していた体の痺れを無くし、驚いて後ろに倒れた。

受け身が全く取れないがために顔を地面で汚す。

ぐしゃぐしゃだ。

湿った土が口に入る。

私はすぐに土を吐いて起き上がり、香奈恵の方を見た。

………香奈恵は全身塗れていた。

それだけではなく、私も地面も木々も草も雨で濡れている。

かなりの豪雨だ。

どうやらさっきから降っていたみたいで、私はそれに気づけなかった。

暗雲に包まれた空を一瞥して、私は香奈恵に近寄る。

覗き込むとナイフは香奈恵の口に刺さっていた。

首には複数の刺し傷はあるが、捻れ曲がった様子はない。

つまりはさっきまでは幻覚と現実が混同していたのだ。

どこが幻覚だったかは私には自覚できない。


でも香奈恵の悪魔じみた様子は、私の幻覚だったとしか解釈できなかった。

しかし香奈恵なら現実に言っていた言葉だと思える。

よく分からないという状況ではあるけど、香奈恵が死んだのは間違いない。

私が殺した。

香奈恵の肉体をナイフで突き刺して抉って裂いて、血を噴出させ命を奪った。


どっと疲れが出た私は、水たまりに尻餅を着けて数秒だけ呆然とした。

同時に幻覚か分からない言葉が私の頭の中で木霊する。

試せばいい、望んだ愛と幸せが現実にあると。

試す?誰を?

煌太の本性を?


怖いけど、私は確かに知りたい。

私の幸せは本物だと願いたい。

愛してるからこそ父親とは違うと私は信じたい。

ただ私は幸せに生きたい。

本当の幸せにまどろみ、生き貫く。

殺害してでも証明しよう。

もし煌太を殺すことになっても、私自身を殺しても後悔はしない。

台無しになっても私は示す。


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