誘い
『ちょっとどこに行くのよ?まさか話があると言っておいて、あれで終わり?具体的な話は何一つしてないじゃないの』
言われてみればそうかもしれない。
しかし私が何を言ってどうにかなるようには思えない。
そして言っても駄目なら、私は………。
『なら私の部屋で話をしませんか?アパートですから先程のような大声は禁止ですが、一人暮らしなので話はしやすいはずです』
『…まぁ、そうね。それなら良いんじゃない?アンタにも私にも逃げ場がなくて。それで車でいくの?駅?』
『今、私の車はアパートにありますから、タクシーで行きましょうか』
私の提案に香奈恵は一瞬だけ考えてから賛同する。
タクシーではないと都合が悪いのを理解したみたいだ。
『それは賢いわね。駅だと煌太に見られるかもしれないし』
すぐに私と香奈恵はタクシーを拾って、同乗で私のアパートに向かった。
タクシーの中では終始無言で、険悪な雰囲気が運転手に伝わっていたかもしれない。
時折街灯に照らされる香奈恵の顔は、変な話だけど綺麗に見えた。
これほど綺麗なら男性が手玉に取られるのも、分からなくはない。
私には気味の悪い話ではあるけど。
『次の信号で右折をして停車して下さい。そこで降車します』
『あの信号を右折ですね。分かりました』
私の指示に運転手は小さく頷いてハンドルを切る。
そしてタクシーは停車し、私が会釈と共に料金を払って扉が自動に開く。
香奈恵はいち早くタクシーから出ていき、アパートを見上げる。
それから遅れてタクシーから出てきた私を一瞥して鼻で笑った。
『如何にも安っぽいアパートね。セキュリティの心配は無いの?』
『さぁ、どうでしょう。戸締まりをしていますし、泥棒に入られたことは無いですよ』
これから泥棒猫が私の部屋に入ってしまうのだけどね。
私は香奈恵の前を歩いて自室へと先導する。
辺りは静かだ。
この辺は学生が住むような場所では無く、配偶者がいる人も少ないだろう。
2LDKだけど部屋は狭く、家族暮らしには適していない。
そのおかげで夜に騒ぐ声は基本的に無い。
だからもしあったら目立つに違いない。
そこは、何とかしよう。
今は使っていない睡眠薬がキッチンの棚にあったはずだ。
『ここです』
私は自室の玄関の鍵を開けて、香奈恵をリビングへ招き入れる。
それに香奈恵は警戒しながら私の自室に入って来て、ソファに手持ちのバックを置く。
続いて部屋を見渡しながらもソファに座り込んだ。
『何か、飲み物を用意します。とは言ってもパックの紅茶しか無いですが』
『別にいいわよ。喉は渇いていないし』
香奈恵は用意しなくても良いとは言ったけど、私はその言葉を無視してポットのスイッチを入れてお湯を沸かす。
沸くまでに時間があるので先に紅茶のパックとカップを用意しながら、睡眠薬を探した。
その私の行動を、香奈恵は注意深く監視している。
あまり余計な行動はできない。
安い言い訳の台詞で、香奈恵の気を逸らさせるしかない。
『紅茶のパック、切らしたのかな?使うこと少ないからどこに置いたか忘れてしまって………』
『だから私は別に…』
『あ、っと。ありました。使わない所だと整理しないから駄目ですね。どうもお騒がせしました』
私は睡眠薬が入っている小瓶を棚に入れたまま開封して、何錠かを手のひらへ握り隠す。
そのままカップの中に静かに忍ばせて、錠剤の上にパックを乗せた。
『今、淹れますね』
ポットのボタンを押して、お湯がカップに注ぎ込まれていく。
適量になればボタンから指を離して、私は錠剤が溶けるように軽く混ぜた。
かすかに濁りが混ざったが、安いパックだから良いものにはならないという理由はできるはずだ。
どうにでも誤魔化せるのは違いない。
『お待たせしました』
私は香奈恵の顔色の様子を伺いながら、紅茶を入れたカップをテーブルの上に差し出す。
意外にも香奈恵はすぐにカップに手を付ける。
だけど一口飲む前に、香奈恵はほくそ笑んだ。
『せっかく出してくれた紅茶だからね。人のご厚意ぐらいは受けてあげるわ』
嫌な上から目線の発言をして、やっと喉へ紅茶は流し込まれた。
数秒の出来事にすぎないのだけど、人生で一番緊張したかもしれない。
そして酷く気分の悪い緊張だ。
私の顔が変に強張っていなかったか、今更心配になる。
『さて、必要な話だけをして早く帰らせて貰うわよ。明日の仕事を放り出すわけにもいかないから』
『そうですね。長く引き留めておくのも気が引けます。ですから余計な煽り合いも無しにしましょう』
『あら?私は煽った覚えはないのだけれど。…ねぇ?』
香奈恵の目つきが緩んだものになっていく。
まだ自覚できない程度なのだろうけど、睡魔が強くなっているのか。
私は香奈恵が今に眠りに落ちてくれないかと、変化を見逃さずに観察する。
幸いにも香奈恵の警戒心も薄くなっていて、私の冷め切った目に反応を示さなかった。
『それで?アンタの彼氏が何だったけ?』
香奈恵は酔っ払いのような要領得ない言葉を口にした。
私は睡眠薬の効果を期待することにして、会話を続けていくようにする。
『恋心も抱いていないのに煌太に手を出すのは止めて欲しい、端的に言えばただそれだけの話です』
『嫌よ。人を詰るのは楽しいもの。…そしてアンタが煌太に捨てられるのを想像したらもっと楽しい。更に私が煌太を見捨て、アンタ達の関係は修復できずに互いに堕ちていくと思うと笑いが止まらなくなるわ』
頭の回転が鈍くなっているだろうに、よく悪魔みたく最低な発言ができるものだと感心する。
どうしたらここまで性格が捻くれるのが不思議だ。
…私も性格は捻くれてはいるのだけどね。
私が自嘲したとき、香奈恵は首に力が無くなったみたく頭をがっくりと下がった。
それでもすぐに顔を上げたが大きな欠伸をして見せたので、本格的に眠くなっているのが分かった。
『どうかしました?酷く眠そうですが』
私は内心、自分は何て嫌な性格しているのかと思いながらわざとらしく訊いた。
見え透いた自分の偽りが気持ち悪い。
でも私はこれからもっと残酷で悪魔そのものの性格へ変貌するのだと、既に分かっている。
そう私が決めてしまった。
『そう、ね。何だか眠いわ。とっても眠くてふわふわと浮いている気分』
『少しだけなら眠っても大丈夫ですよ。三十分ほど経ったら起こしますから』
私がそう言うと香奈恵は欠伸で返す。
それからも途切れ途切れに欠伸をしながら、香奈恵は生返事し始めた。
『それは嫌、だけど…。この睡魔は辛いわね。お言葉に…甘えようかしら。欠伸が止まらないわ』
香奈恵はソファの上で体を横に寝かせると、あっという間に深い眠りに落ちていく。
これですぐに引っ張り出して移動させても良いけど、あまりにも早すぎると眠りが浅くて起きてしまうかもしれない。
私は先に車のエンジンをかけて、入り用になるであろう荷物を車の中に詰め込んだ。
荷物と言っても大した物は無い。
二つしかないプラスチック製の縄跳びやスコップ、刃物やライター、殺虫剤のスプレー缶に水を入れたペットボトルなどで電動機の類は無い。
できれば工具があれば良かったけど女性の一人暮らしにあるのはドライバーや小さな金槌くらいで、これからすることに使えそうな物は不所持だ。
普段の生活で使わないにしても、無いのが悔やまれる。
一通り準備ができた私は香奈恵の荷物を車に放り込んでから、香奈恵を背中に担いで車の後部座席まで運び込んだ。
私に力が無いために何回か体のバランスを失いかけたが、結果的に問題は無かった。
それから私は香奈恵の手足を縄跳びで縛る。
後は目が覚めて叫ばれる前に街中を抜けることができれば一安心だ。
すぐさまに私は運転席に座って車を発進させた。
街灯で道は比較的に明るいが、夜のために薄暗いには変わりない。
ここで事故を起こすのは絶対に避けなければいけない。
しかし幸いにも交通量は少ないので、目的地には早く着けれるはずだ。
後は検問とかふざけた状況に出逢わせないように祈るしかない
何十分、走行したかな。
信号で停車させられる度にヒヤリとさせられる。
まるで私の運転している時の心境は初心者ドライバーだ。
不安定でスムーズさに欠けている。
落ち着かないと。
視線も不用意に動いてしまっていて、今のままでは本当に事故でも起こしそうだ。
『あと、どれくらいかな…』
今は街を抜けて田舎道同然の道路を走っている。
できれば森とか獣道が良い。
登山者や狩人、地元の人が滅多に訪れない山。
さすがに変態や若者がいたりした場合を考慮できないが、とにかく人の気が無い場所で人目が付かなければ問題はないはずだ。
とりあえず山道へと私は車を走らせ、いい場所が無いかと私は走行しながら探して見る。




