罵倒
『突然すみません。貴方、香奈恵さんですよね?』
言葉遣いには気をつけながらも、私は憎しみを込めた声調で話す。
香奈恵は脅しかけられた経験が豊富なのか、そんな私には怖じ気つかない。
むしろ強気で私を怒鳴り返してきそうな表情だ。
『………そうだけど、アンタは誰なの?何か用?』
私の手を乱暴に振り払う。
香奈恵が私の事を知るはずもない。
しかし私の名前を聞けば何者か分かると思う。
煌太に好意があるなら尚更ありえる。
『私、優羽という者です。少しお話をしたいのですが、お時間はよろしいでしょうか?』
私の名前を聞いた香奈恵は、すぐにピンと来なかったみたいだが私の顔で何者なのかを察してきた。
『優羽?………あぁ、もしかしてあの優羽?何かで見た記憶はあったけど、煌太の携帯の写真であった恋人さんの優羽ね』
『写真が何かは分かりかねますが、煌太の恋人なのは正しい認識です。お話、良いですよね?』
私は鋭く見つめ続けても、香奈恵は視線を逸らさない。
これから香奈恵にとって都合の悪い話になるのは分かるはずなのに、動揺も一切無い。
神経が図太いのか、頭が悪いだけなのか分からない。
だが私という煌太の恋人の存在を知りながら、煌太にキスを迫る行為をしたのだから面倒な女なのは確かだ。
きっと私の警告もどこ吹く風で気に止めない。
香奈恵はニヤリと不敵に笑って同意してくる。
『………良いわよ。私も優羽さんにお話があったの。ちょうど良かったわ』
嘘だ。
私に話なんてあるわけが無い。
だからコイツが何を言い出すのかも分かる。
しかし何を言おうと無駄だ。
私に下手な嘘は通じない。
『そうですか。なら近くの飲食店にでも入りましょうか。外だと体が冷えますから』
『そうね。風邪にでもなったら煌太に会う機会が減るものね』
わざとに香奈恵は嫌味たっぷりで私を煽る。
私の怒りの沸点を越えはしないが、苛立ちが募った。
だから表情に出さないようにしてみても、不自然な笑顔になるだけだった。
『奇遇ですね、私も同じ事を考えていました。ただでも今は会う回数が減ってしまっているので』
『そうなの、それは残念ね。煌太の彼女なんでしょ?永遠には恋人としてはいられないから、今の一瞬を大切にしないとね』
『そうでしょうか。夫婦関係という言葉がある以上、確かに恋人関係は永遠ではないですけど』
嫌味を嫌味で重ねて返し合う私と香奈恵。
当たり前の事だが、お互い仲良くしようなんて微塵も思っていない。
そもそも仲良くしたり馴れ合う必要なんて全く無い。
『確かにそうね。なら私もいつまでも煌太とは友人関係ではいられないかもしれないわ』
『顔見知りの間違いでは無いですか?………あちらの店に行きましょうか。この時間だとチェーン店は騒がしいでしょうから』
私は個人でやっているような、小さなレストランへ行くように提案した。
少し古臭い気もする建物だが、今の私達には好都合な場所だろう。
せいぜい空調が効いていて、紅茶かコーヒーでもあれば何も文句は無い。
建物を見た香奈恵は馬鹿にしたみたいに鼻で笑い、小さく頷く。
『えぇ、良いわよ。外野は少ない方が気が楽だから』
私と香奈恵は互いに何の話をするのか理解していて、遠回しに確認し合う。
同時に腹の探り合いもしていて、お互い内心はピリピリとしていた。
お店に入ると、飾り気の無い服とエプロンを身に纏った熟年の女性が出迎えてきた。
奥には如何にも料理人の服を着た白衣の男性の姿が見える。
きっと夫婦で切り盛りしているのだと察せる。
私と香奈恵は角隅辺りの奥のテーブルに座り、適当に注文を済ませた。
他に客は一人だけ。
店の内装は良く言えば味のある食堂と言った所だ。
でも空調は効いているので悪くは無い。
『さてと、それで話は?貴方の方からどうぞ。優羽さん?』
香奈恵は店員に出されたお冷やを一口だけ口にして、私から話をさせようと促してくる。
だから私は遠慮なく、抑えていた感情を滲ませながらも話を始めた。
『では率直に訊かせて頂きますね。煌太とはどういう関係ですか?』
言葉では怒りを隠していても、私の目は獲物を見る殺気あるものになっていた。
しかし香奈恵は余裕ある笑みを見せて答える。
『友人よ。ただの親しい友人。まだ今はそれ以上では無いわ』
『………そうですか。では、香奈恵さんは煌太に対して恋心を抱いているのですか?』
『本当に率直に訊いてくるのね。恥ずかしいから答えたくないわ』
恥ずかしいから言えないと、学生のような事を言い出した。
だが、香奈恵はこんな事で物怖じする性格では無いのが一目で分かっていること。
何か誤魔化そうとしているのかもしれない。
私は受け答えせずに香奈恵を睨む。
すると香奈恵はお冷やを、また一口だけ飲んで話す。
『そんなに恐い顔をしないでよ。顔に悪いわよ?それに仮に私が煌太を好きだとして、貴方には何も権限や強制力は無いのだけど』
『どういうこと?』
『心は自由って事よ。人が何を思っても考えても束縛される必要はない。何せ、そうだと心の中で感じているに過ぎない。思うだけで害悪と捉えることはできない』
確かにそうかもしれない。
思うだけなら自由だ。
思っているだけなら、ね。
『でも香奈恵さんは煌太に手を出しています。煌太は私の物とは言いません。だけど香奈恵さんは煌太に恋人が居るのを知りつつも、搦め手をかけている。それは一般のモラルに反しています』
『モラルぅ?アンタ、それは本気で言ってるの?人は恋に手段は選ばない。なぜなら勝敗があると私達は知っているから。だから金や時間を掛けるし、寝とりだってある。心や見かけなんて些細なの。心だけで恋の成就は幻想。外見での恋の成就は不確実。手段が全てなの』
香奈恵の口調が早くなる。
そしてまるで全てを知ったような口で熱弁を続けた。
『如何にどうやって相手を自分の物とするか。騙してでも盲目にさせ、心酔させて恋を掴み取る。恋はそういうものなのよ。常に奪い合いの勝負。いえ、殺し合いよ。躊躇えば、恋はおしまい。例え勝ち取っても一瞬でも隙を見せたら駄目なの。だって恋は幸せそのものなんだから』
幸せが逃げていく。
そんな古臭いフレーズが私の頭の中でよぎった。
幸せは勝ち取らなければ手に入らない。
更に幸せが訪れなければ、不幸しか来ない。
幸福か不幸かの二極しか私達の人生にない。
香奈恵は言った。
恋に手段は選ばない。
なら私は、私も手段は選ばない。
私も恋が幸せだと知っているから、躊躇う訳にはいかない。
この殺し合いに負けたくない。
負けない。
負かす。
殺す。
私は吹っ切れた表情で香奈恵の顔を見る。
『………では、香奈恵さんは煌太が好きだと捉えていいのですね?』
『はぁ?馬ッ鹿じゃないの?何で私があんな冴えない男の事を好きになるのよ。あり得ないわ』
予想外の香奈恵の悪態に私は面をくらった。
どういう事なのか意味が分からない。
なんで?
あんなに恋がどうとか言って煌太に恋心がない?
私には香奈恵の考えが読めない。
『でも………』
先の言葉が思い付かずに私が口ごもると、香奈恵は薄笑いで私を小馬鹿にした目で見てきた。
まさに悪魔の笑み。
それから毒を吐くように信じられない事を言い出す。
『良い?私にとって恋なんてお遊び。幸せではあるけど、心を満たすための手段程度にしか思っていない。アンタにとって恋がどうかは知らないけど、私は恋に人生をかける馬鹿じゃないの。ただ、略奪愛って楽しいじゃない?他人の幸せを奪うって最高の気分になれるの』
私の顔が赤くなる。
表面上にも隠せないほどに、私は怒りが一気に爆発しそうになっていた。
それを意に介さず、香奈恵は悪意の告白を止めない。
『実は既に他の男にも手を付けてはいるからね。煌太は三番目って所かしら?というかあの男はそれぐらいの価値が妥当でしょ。魅力が薄い男だし。アンタの幸せもその程度よ。薄っぺらでみすぼらしい幸せ』
『ふざけるな!!!』
ついに私は怒声をあげた。
もう冷静なんか装えない。
コイツはお遊び感覚で、私の幸せを奪おうとしているのだ。
しかも恋人がいるからこそ煌太を誘惑をしているだけで、煌太自身には魅力を感じていない。
それどころか煌太を侮辱し、私の幸せすらも馬鹿にする。
許さない、許せない。
私の幸せを奪うな。
私の幸せを馬鹿にするな。
お前みたいな恵まれた人生を歩んだ女が、私の人生を否定するな。
店員はあからさまな反応を示さなかったが、唯一いた他の客は驚いてこちらに目線を向ける。
だから私は厳しい視線を送って威圧し、客は慌てて目線を逸らした。
『大声は店に失礼よ。優羽さん?』
余裕ぶった態度で香奈恵は優越感を味わう。
感情を揺さぶっただけで私を弄んでいるつもりだと、思ったら大間違いだ。
『失礼なのは貴方です、香奈恵さん。私は貴方を許さない』
たったそれだけの言葉で、香奈恵はさっきまでの薄ら笑いを止める。
代わりに冷酷な女という言葉に相応しい表情となって、私と変わらない感情の冷たさを表した。
それは私の父と同等の悪意。
何も尊厳や優しさの無い人間。
こいつは女性でありながら父と同じだ。
『許さないから何?一体アンタなんかに何ができるの?何もできやしない。アンタは全部が私に劣っているのよ。生きる考えも女性としての価値も!高潔に生きるなんて幼稚な考えは現代には通じない。そんなのが許されるのは小学生の低学年までよ』
香奈恵は私の全てを否定する。
私の幸せや生き方を、煌太が愛してくれている私の姿も何もかも。
否定されても、それが間違いない事実だとは思わない。
けれど辛くなる気持ちはあった。
『アンタは煌太すら引き留める事ができない無価値の女だ!クズみたいに底辺の地味な女子そのもの!そのくせプライドだけは立派な女性で気持ち悪い。アンタは人に愚痴や文句しか言えない平凡な女子以下なんだよ!』
香奈恵は遠慮なく罵倒を浴びせてきた。
ろくに思考を働かせずに、ただ平和に生きていた女性とは違うという過剰な自信が彼女を歪ませている。
確かに彼女には過剰な自信に見合うほどの経験や技術、容姿はあるのかもしれない。
それでも香奈恵の暴言は許されるものではない。
もう、この女は私の障害の何ものでもない。
私は香奈恵をわざと挑発をする。
『そのゴミクズの女に、よく怒鳴れますね。何か劣等感でも抱いているのですか?お互い熱くなりすぎです。頭を冷やすためにも日を改めて話をしましょう。それでは』
そそくさと私は席を立ち、カウンターに二枚のお札を置いて店から出ていった。
その店から香奈恵が追ってくる。
この時、お互いの表情は冷めたものに戻っていたけど、どちらも腹の中では憎悪が渦巻く。
私には分からないが、何かが香奈恵の逆鱗に触れてしまっていたのかもしれない。
それか香奈恵が高圧的な性格で、私の存在そのものが嫌いで堪らないのか。
何にせよ、香奈恵は私を徹底的に潰すつもりだ。
野蛮すぎる。




