香奈恵の存在
私の住んでいるアパートの前に裕太はいた。
話があるから部屋に入れてくれと頼まれた。
部屋に入れるのは凄く抵抗があったけど、煌太について大事な話だと裕太は言ってきた。
だから嫌々ながらも、私は落ち着いて話を聞くために裕太を部屋に招いた。
『へぇ、意外にあっさりした部屋だな。もっと女の子らしい部屋だと思ってたわ』
裕太は私の部屋を見渡して、別に聞きたくもない感想を述べてきた。
部屋に入れるだけでも嫌なのに、普段見られること無い私のプライベートに口を出すのは何よりも不快だった。
例え褒めているにしても、私の嫌悪感は変わらない。
『問題でもあるの?無いでしょ。それで?煌太がどうかしたの?』
『………相変わらず優羽は煌太以外には冷たい反応するよな。そういう所は悪い女の性格だ』
『うるさいよ。私の部屋では、同性と煌太以外との無駄話は嫌いなの。煌太の話をしたら焼き菓子あげるから帰って』
私は冷たく言うと、裕太は場を悪くしないように誤魔化した軽い笑いをする。
もちろん全く効果はない。
私は厳しい目で裕太を見つめ返すだけだった。
『はいはい、優羽の焼き菓子は甘いからな。喜んで頂くよ。それで煌太だけどよ………』
勿体ぶって裕太は溜める。
そんなことをしても、私を余計に不機嫌にさせるだけだ。
でも裕太が次に言った言葉により、不機嫌さが一瞬で吹き飛んだ。
『あいつ、浮気しているかもな』
『え…?浮気?』
私の表情は一気に弱々しくなって顔色が悪くなった。
すでに一年以上は恋人として付き合ってはいたけど、煌太が浮気なんて想像もしたことなくて面をくらう。
でも裕太は冗談をよく言いはするが、今の発言をふざけて言ってはいないことは分かる。
もし勘違いとかじゃなく、冗談なら刺す。
『俺が煌太を飲み会に付き合わせているのは知っているか?』
『………うん。それは知っている。たまには私も連れて行ってとは言うけど駄目みたい』
『まぁ、そうだろうな。それより、その飲み会で煌太をやたらと気に入った女子が居たんだよ。見るからに煌太にベタベタな女子がな』
その話を聞くだけで、私はその女子を絞殺したくなる。
別に束縛を徹底としたいわけでもないけど、私は今の幸せを汚される事を恐れていた。
煌太から与えられて築き上げられた、この幸せを手放したくない。
唯一何者にも邪魔されたくない幸せだ。
『それ本当…?』
私は裕太の冗談か何かでは無いかと、再度確認する。
それだけ信じられなかった話だけど、裕太は頷いてしまう。
『あぁ、本当だ』
『………そっか。でも、その女子が煌太に好意があるだけで、煌太には女子に対して好意があるわけじゃないんだよね?』
『それは分からない。だから、しているかもって言ったんだ。ただ、煌太がその女子と親しく遊んでいるのは事実だぜ。煌太も満更じゃなさそうだし』
裕太は遊び慣れしている。
特別な感情を相手が持っているのかどうかは、見分けがつけれるはずだ。
それに癪だけど裕太は煌太とは親友関係で、煌太の様子の変化には私より鋭い。
そうだと考えたら少なくとも、煌太はその女子を良くは思っている。
邪険にもしていない。
『まぁ、実際はどうか分からないけどよ。疑るぐらいはした方がいい』
『そうだね……。煌太も男だからね』
父親と同じ男。
私の妙な感情が湧いてくる。
揺らいで不安定な気持ち。
この恐怖に似た気持ちは、幸せの中にいる私に不純物として投じられた。
不純物があれば、それは濁った幸せ。
濁りや不純物は取らないといけない。
『何で私に教えたの?』
『ん?』
裕太は少し何の事か分からなさそうな顔をする。
いくら私が当事者でも、わざわざ裕太が私に浮気の可能性を教える利点が無い。
裕太は煌太の親友であって、私に特別な感情は抱いていない。
それなら私に教えず、煌太の秘密を守る行動するのが自然だ。
『裕太は煌太の友達でしょ?それなのに煌太を陥れる真似して大丈夫なの?』
『陥れるって………、別にそんなつもりは無いに決まっているだろ。気になるから優羽にも聞いてみただけだよ。俺自身も詳しく知らないからさ』
『ふーん?大事な話があるからと言って私の部屋に上がっておいて、詳しく知らないから聞いてみた?行動も日本語も言い訳も無茶苦茶だよ』
私は煌太の浮気の話より先に、裕太の狙いに話を移す。
気まぐれだったり好奇心によるものか分からない。
別に気にする事でも無いかもしれない。
けれど裕太の言動や行動が怪しく見えて仕方なかった。
『優羽は過敏だな。と、誤魔化しても無駄か』
裕太は気味悪い笑顔をして、私をジッと見つめてきた。
浅はかな悪意がある顔。
裕太は薄っぺらな安い感情で、私に手を出そうとしてくる。
表情だけで読み取れる裕太の思惑。
煌太が浮気しているなら私が浮気しても罪は問われない。
それに先に浮気した煌太に問題があるとか理由をつけさせて、私に罪の意識を無くさせて浮気を軽視させる。
それであわよくば私を抱けたらとか、裕太は思っているのだろう。
裕太が手を伸ばそうとしてきたので、私は払いのける。
『生憎だけど、私は勢いに身を任せたり不安で考えが安直になる人間じゃないの』
『………みたいだな。でも、少しくらい良いだろ?優羽はキツイ性格しているけど、良い女だなとは思っているんだ。親友の彼女だと分かっていながらも、手を出したくなるくらいによ』
そんな事を言っても、本当は自分の事しか考えていないくせに。
だから女で遊ぶ悪癖が抜けない。
『口説いているつもり?呆れた。よくそんな台詞言えるね。裕太に引っかかる女達が可哀想』
『おいおい、そんなはぐらかす事を言うなよ。俺は思っている事を偽りなく言っているだけだ。優羽は良い女だ。色んな女を知っているから確信持って言える。そんな良い女を俺は寂しい思いにさせたく無いんだよ』
裕太が近づいて、私の体に密着しようとしてくる。
………なんだ、この男は。
裕太は顔は良いけど、私から見たらそれだけだ。
顔が良くて甘い言葉を口にして、積極的にすれば女は恋するとでも思っているのか。
私には全部が逆効果。
余計に苛立ってしまう。
欲望にまみれた男め。
『………最低。離れて、裕太。いや帰って』
『冷たい事言うなよ』
『同じ事を言わせないで。帰って裕太。これ以上しつこくするなら煌太に告げ口するよ』
私は冷たい目で裕太を凝視する。
もし私が裕太と体の関係を持てば、それは私への口封じになる。
でも関係を持たない以上、裕太は私に弱味を握られたと同然だ。
裕太は悔しそうにしながら、私から一メートルほど離れた。
『分かったよ。そこまで言われたら手は出せない。これ以上は怒らせたくないし、帰るよ』
『うん、早くそうして。………あ、でも一つだけ私の質問に答えてくれる?』
『何だよ』
裕太は立ち上がった所で私を見返す。
さっきまでの気味悪い笑顔は消えていた。
『浮気相手の名前を教えて』
『………あぁ、名前な。香奈恵、だったかな』
『香奈恵…』
私は心の中でも名前を復唱して、間違いが無いように記憶した。
香奈恵、香奈恵、香奈恵。
………とても良い名前。
それから数日間、私は煌太の動向を探った。
外出の時は何をしてどこに向かっているのか。
一人か、複数か、相手は女性か、香奈恵なのか。
通話や連絡はどうか、 私生活の変化はあるか、普段の様子、持ち物、服装、匂い、髪質、動作、睡眠時間の変化、レシート、金銭、ゴミ、写真。
外出時間、日にち、曜日、通話メールの時間帯、靴の汚れ、洗濯物、シャンプーや洗剤の消費量、歯ブラシや日用品の変化、他にも色々とチェックした。
そして私は煌太と香奈恵はどの程度の頻度で接触して、どのような関係かを推測した。
まず、煌太は香奈恵とは特別な関係では無かった。
私生活に変化が無く、普段の煌太の生活類には介入が無いのが分かる。
でも良好な関係だった。
人が良い性格だからか基本的に煌太は誘いに断らないし、愚痴を記したものは無い。
そして遊ぶ頻度は多く、二人だけで出かけるのがほとんどだ。
遊びの内容は時間潰しにしかならないぐらいで、長時間遊ぶ事や大きく散財する事は無い。
また、煌太が香奈恵にプレゼントを買う事も無し。
けれど香奈恵から煌太へのアプローチは猛烈で、度が過ぎるように見えた。
見ていて辛かった。
でも、一番辛いのは煌太が私より香奈恵といる時の方が幸せそうに見えることだった。
客観的に見れば。私の時の方が幸せに見えるかもしれない。
そうだとしても、煌太は香奈恵でも確かに幸せを感じている。
相手が私じゃなくても、煌太は普通の人生と幸せを描ける。
私は煌太じゃないと絶対に無理なのに。
狡いよ、悔しいよ、酷いよ、悲しいよ、愛しているよ。
最後は私と人生を共にしてくれるにしても、この不安は大きい。
万が一、煌太が私以外の異性に愛情があったらと思うと許せない気持ちになってしまう。
そんな不安な気持ちが私を惑わせる。
自分の思考を殺してしまう。
信頼しているからこそ、黙視せずにはっきりするべきなのに、不安が私の勇気を奪っている。
私は怖かった。
煌太を、幸せを失うのが恐い。
だから私は今の幸せを守るために、奪われないためにとドス黒い感情を働かせた。
その感情により、物事をはっきりさせようと私を決意した。
ただはっきりさせるのは煌太ではなく、香奈恵とだ。
香奈恵に煌太への愛情はあるか。
あったら許さない。
煌太は渡さない。
説得して諦めてもらうしかない。
もし諦めなかったら、きっと私は香奈恵を………。
ある日の夕方のこと。
煌太は香奈恵と出かけた。
二人は街を歩き、味っ気がない適当な居酒屋に入って行った。
私は二人を待ち伏せるために、居酒屋の隣の店の前で張り込む。
その居酒屋に入ってもいいが、女性一人では目立つし煌太の目に入る可能性が高すぎる。
気休め程度に変装はしておいてあるけど、煌太の目を誤魔化すには難しい。
一度でも似てるとか思われたら、すぐにバレてしまうに違いない。
『寒い………』
冬が近くて私の首下が冷える。
寒いおかげで厚着の変装はできるけど、外で固まって待つのは中々に辛い。
冷えた風に当たるばかりで体が冷える一方だ。
カイロでも持つべきだったと後悔する。
私が寒さに耐えながら一時間ほど経つと、香奈恵と煌太は居酒屋から早くも出てきた。
少し酔っているのか、煌太と香奈恵は上機嫌だ。
そのまま二人は人だかりが多い場所へ歩いていき、大きな公園へと着いた。
街のイベントが行われたり、待ち合わせに使われるような大きな公園だ。
だから駅に近いこともあって夜でも人は多くて、私は人混みに紛れて煌太と香奈恵を監視する。
するとやがて香奈恵は煌太に笑顔を見せる。
普通の笑顔じゃなく艶やかな笑顔。
女性である私には、あの笑顔にどんな意味があるのか分かってしまう。
それだけに香奈恵の笑顔は男性に慣れていて、私と違って男性の扱いが上手だと思い知らせられる。
香奈恵は煌太に密着して、顔を近づけた。
………まさかキス?
私の場所からでは煌太の顔が見えず、後ろ姿ではどうなっているか見えない。
場所を変えようと私は移動しようとしたが、移動する前に煌太は香奈恵を突き離した。
それから煌太は逃げるように、香奈恵に手を振りながら離れていく。
一体何をしたの?
煌太はかなり動揺していたみたいだし、ただ事ではないのは分かる。
無理矢理キスをしたのなら見過ごせない。
あぁ、怒りが湧いてくる。
ふつふつとどうしようも無い感情が、私の冷静を欠かせてしまう。
気がついたら私は力強く香奈恵に歩み寄っていた。
何も後先も言葉も考えずに、香奈恵の肩を掴む。
『わっ!?びっくりした!………って、誰?』
香奈恵が警戒した表情に冷たい目で私を見る。
しかし私はそれ以上に冷たい目をする。
それは香奈恵に対して私は敵意を持っていると、十分に伝わるはずだ。
だから香奈恵はより怪訝とする。




