諦観
「裕太。残った料理の中でお前が食べた事が無い料理、または見たことは無い料理はあるか?」
「ん?あぁ、見たことは無い料理は無いが、食べたことが無い料理はあるな。二、三品ぐらい」
「なら、その内の一品にしよう。自信は無いけど、選択としては悪くないと思う。お前が洋食を選んだのと同じ理由だがな」
選ばないであろう料理に解毒を入れる。
考え方は違っても理由は一緒だ。
それを仮面の人に見透かされていたら見事にやられた、と言う他無い。
だが、もし仮面の人が裕太の食を把握していなかったら俺の見当違いに過ぎない。
それに普通に考えたら、仮面の人が好みまで分かる事は通常ではあり得ないのが問題だ。
「その二、三品の内で特にこれから食べることが無さそうな料理を選んでくれ。それに賭けよう」
「分かった。煌太を信じるぜ」
「プレッシャー掛けるなよ………。責任が重くなるだろ」
「わざとだよ。いひひひひ」
ふざけて裕太は嫌らしく笑いながら、中華料理に近づいて行く。
裕太は中華料理を見渡しながら、突拍子もなく世間話を始め出した。
「俺さ、中華料理は結構食べる事が多いんだよ。何せ中華が好きな女性が多いし、変な洋食よりは金はかからねぇ。だから本格的な和食より中華を食べることは多い」
俺は相づちも打たず、ただ黙って聴くことにした。
単に応える気分では無かっただけでもあるし、勝手に裕太に喋らせた方が精神的にも良いと思ったからだ。
「それでも俺はいつも同じ中華料理を選んだな。中華料理で、ある味が凄く濃くて塩辛いのが苦手でな。どう分類するのかは知らないけど、あの系統の中華は俺の卑下な舌には合わない。女性は珍しげにして好きみたいだけどよ」
裕太の言っているのは北方系の中華だ。
代表的なのは北京ダックだろう。
恥ずかしながらそれしか俺は知らないが。
「本当、女性で散財したよ。食事では特にな。その分、楽しく時間を潰せたから良かったかも知れないけどよ」
「………裕太は、女性の事で後悔した事は無いのか?」
ふと思って俺は口走る。
余計な発言だったかもしれない。
人の生きざまにケチをつける言葉ほど、失礼なことはないからだ。
「後悔した事はねぇよ。結果的には無駄な時間だった、と言えるかもしれない。それでも俺は今を楽しみたいと生きてきた。それが今の俺という結果だ」
裕太は中華の中の一品を手元に寄せる。
その料理を食べるのだろうか。
箸を手に取って裕太は自嘲気味に言葉を続けた。
「それに後悔していたら、とっくの昔に女遊びと呼ばれる事はしてねぇ。単に俺が馬鹿なだけかもしれないけどよ」
本当にごく僅か、箸の先にあるか分からないほどに料理を箸で掴んだ。
そしてそれが裕太の口に入る。
口が動く必要が無いほどの量で、俺からの視点では食べたか判断できない。
「裕太、食べたのか?」
「食べたというか、舐めた。まぁこれでいいだろ」
裕太はテーブルの上に箸を置いて、再び椅子に深く座り込んだ。
それから何度も手で額を撫でる。
妙な動作だが、もしかしたら具合が悪いのかもしれない。
仮面の人の言葉が正しいなら、すでに体調不良ぐらいにはなっている。
いよいよ症状が出ようとしている時、時間が少ないと実感させられた。
それから俺達は黙ってアナウンスを待っていた。
黙っていたと言っても一分程度な気がする。
でもその沈黙は辛い気持ちを噛み締めるには十分な時間だ。
その時間は俺は画面越しに裕太の様子を伺い、裕太はうつ向いて座り込んでいるのを見ていた。
それだけなのに、裕太の肩は小さく上下に動いているのが見えた。
時折、荒い吐息も聞こえた。
もう症状が出ているのだ。
『十分経過した。二回目の中間報告をしよう』
仮面の人の声が部屋に響く。
しかし裕太は顔を上げず、椅子から微動だにしなかった。
言葉を発するのも気だるいのかもしれない。
だから俺が代わりに受け答えをした。
「やっとか。早くしろ」
『落ち着け。急かしても慌てても結果は変わらない。そして結果は決まっている。元から決まっていたかもしれないがね』
「相変わらず意味が分からない言い方しやがって。食べたのが解毒かどうかだけ言えよ」
俺の言葉は自然と乱暴になっていた。
余裕が無いことも原因だが、それ以上に仮面の人に対して怒りと憎しみを持ち始めていた。
仮面の人の言葉や意思には重みが無く、相手を滅茶苦茶にするのが気に入らないからだ。
『そうか。では、教えよう。裕太が食したのは解毒は含まれていない』
「くそっ………」
確率的に解毒が含まれていないのは分かっていても、悪態をつけずにはいられなかった。
落ち着いていられず、軽くテーブルを叩いてテレビに背を向ける。
それから苛立ちが現れて片足を揺らす。
『ついでにもう一つ教えておこう』
苛立ちのせいで、キツイ口調で俺は言葉を吐く。
「何だよ?」
『裕太には毒の初期症状が出始めている。つまり解毒をすぐにでも摂取しなければいけない。しかしそれは五分分後ですら手遅れだ。意味が分かるかね?』
五分後でも手遅れ?
………ならもう駄目になってしまうじゃないか。
今の方法ですら助かる確率は0%になる。
「…………あぁ。あぁ、そうかよ。このゲームは本当に最悪だな。俺達はお前のアナウンスを頼りにした戦法を取った。だけどそれでも手遅れだって事かよ。馬鹿にしてるな」
次のアナウンスは十分後。
だから次のアナウンスは待っていたらタイムオーバーだ。
その前に解毒できる量を摂取しないといけない。
それは逆に毒が含まれていたら、死を意味することになる。
必然的に一か八かの賭けだ。
そもそもさっきからずっと賭けばかりだ。
リスクだけが上がっていって、報われない賭け。
『さぁ第一ゲームも大詰めだ。いや、もう終わりかな?だから煌太君、早いかもしれないがはっきりと宣言しよう。裕太は死ぬ』
「黙れ」
『裕太は死ぬんだよ。毒に蝕まれ、無惨にみっともなく。そして自分の愚かさを悔い改めるのだ』
「黙れって言っているだろ…。言葉が分からないのか?」
俺は苦悶の表情を浮かべて、手を強く握りしめた。
歯にも強い力が掛かって鈍い痛みが口から感じる。
『現状を見ろ。第一ゲームは私の勝ちだ。君には死の運命は覆せない。覚悟を決めるといい。知り合いが死ぬのは例えがたい苦痛だ』
「殺すのはお前だろうが!何を偉そうに勝利を語ってやがる!黙れよ!黙れ黙れ!もう口を開けるんじゃねぇ!!お前の言葉は気に障るんだよ!」
俺は感情に振り回されて怒鳴った。
冷静ではないといけないと分かっていても、仮面の人の話し方と事実が怒りに拍車をかけてきた。
怒るのは裕太が死ぬと思っているからだ。
そんなことを考える自分が憎い。
『あはは、それなら仕方ない。私はもう少し君と話していたかったが、そこまで言うなら沈黙しよう。それでは煌太君、親友の最期を見届けるといい。裕太は最期の数分を楽しめ。人生で一度しか味わえない感情と苦しみだ。では、また後で』
仮面の人は余計な事を言い残して通信を切った。
つくづく嫌な相手だ。
俺は気持ちを切り替えるために息を深く吐いて、テレビに向き直る。
裕太は相変わらず微動だにしていなかった。
調子が悪くても、何らかのリアクションは裕太ならしているはずだ。
続いた精神的なショックが強いのかもしれない。
「裕太、聞こえているか?これからどうする?」
酷な質問を裕太に投げ掛けた。
実際は悩んでいる所か質問している時間も無い。
だからどうするかは答えは決まっていた。
でも、お互いその答えへの勇気が足りない。
裕太は実行する勇気が、俺には実行を促すのと決断する勇気が無い。
あぁ、判決を言い渡す裁判官もこういう気持ちなんだろうか。
虚実でも事実でも、一人の人間の人生が自分に委ねられるのだから。
自分の人生だけでも重いのに、他人も加わったら潰れてしまいそうだ。
これはとても残酷で無慈悲な判断。
分かっていても口に出すのが恐ろしかった。
「…煌太、大丈夫だ。俺は分かっている」
突然、裕太はいつもの口調で呟いた。
けれどこの状況でいつものように話しているのはおかしな事だった。
八つ当たりして暴れたり叫んだ方が、今は正常な反応だ。
俺が戸惑って言葉を詰まらせていると、裕太は続けて落ち着きながら話し出した。
「俺は、死ぬだろうよ。どう死ぬかは想像はできないし、したくもない。でも、こんなので自分は死ぬのかって呆れて笑えそうだ」
「裕太、チャンスはまだ……」
「人の最期の言葉は黙って聞け、煌太。俺は死ぬんだ。死ぬのは怖い。だけど、それ以上に俺は悔しい…!姿も見せない野郎に遊びで殺されるのが!一発ぐらい殴ってやりたい!俺は……、俺をゲームの道具として弄んだのを許せない!」
裕太は嗚咽のようなものを漏らしながら俺に訴えかけてきた。
これが裕太の遺す必死な叫び。
本心から吐き出された意思は確かに俺に伝わり、裕太の気持ちを理解する。
「悔しい、許せない!俺は絶対に恨む!このハラワタ煮えくり返る感情は死んでも忘れねぇ!俺は立派な人間じゃないが、仮面の野郎は人間ですらない!だから煌太…!」
裕太は椅子からゆっくりと立ち上がって、料理が置かれたテーブルへとおぼつかない足取りで近づく。
それから倒れるようにテーブルに重心をかけて、腕で姿勢を支えた。
「もし、俺が死んだら俺の分まで仮面の野郎を殴ってやってくれ。頼んだぜ、煌太」
裕太はそう言って、勢いに身を任せてスープの料理を手にとって一気に胃の中へと流し込む。
いくら何でもヤケになるのは間違いだ。
俺は慌ててテレビに向かって叫んだ。
「待て、裕太!死なせるかよ!ふざけるな、くそぉ!」
裕太は飲み干そうとするほどに喉を鳴らして飲んでいく。
しかし途中でむせてスープの入った器を床へぶちまけた。
ガラァン、と器の音が部屋に響きながら裕太は咳き込み続ける。
「ごほっ、ゴホッゴホッ!うぅ!」
そして胸の辺りを手で掴み、苦しそうに悶えた。
裕太の顔色はみるみると悪くなり、目は見開いて表情は見るからに激痛に襲われているものだ。
しばらく咳き込み続けた後、裕太は嘔吐と同時に吐血した。
気味の悪い声を出しながら血は吐かれ続けた。
吐かれた真っ赤な血は、次第に床に塗り広がられていく。
俺は居ても立ってもいられなく、ついテーブルに強い衝撃を与えた。
床に倒れる裕太を映した画面が揺れる。
「裕太!裕太ぁ!おい、死ぬな!裕太ぁぁあああぁああぁぁぁあぁ!!うおぁぁあああぁ死ぬんじゃねえぇ!!死なせるかよ!ふざけるなふざけるな!まだ死ぬには早すぎるだろ!生きろよ!くっそぉぉおぉぉおおぉ!」
俺は喉が潰れそうになるほどの声量で叫んだ。
部屋に響き渡る音量だが、もう今の裕太の耳には届いていないのかもしれない。
嘘だろ。
こんな訳の分からない所で親友が死ぬのかよ。
理不尽だ、無茶苦茶だ、最低だ。
「駄目だ、死ぬな!頼む、頼むから死ぬな!お前はこんな所で死ぬような奴かよ!最後ぐらいお前らしい所を見せろよ!この…、馬鹿野郎ォ!馬ッ鹿野郎ぉぉおぉおおおぉぉおぉおォ!!」
叫ぶ俺の目から涙が溢れ出してきた。
急激な感情の昂りに強いショック、そして裕太が死んでしまうという悲しみのせいだ。
渦巻く滅茶苦茶な感情が抑えれない。
どんなに声に出して叫んでも、涙を流して暴れても酷い吐き気と頭痛に襲われる。
思考がまとまらない。
冷静になれない。
支離滅裂な言葉ばかりが俺の口から吐かれていった。
「何で裕太が死ななきゃいけないんだよ!こんなのおかしい、間違っている!だから助けてやってくれよ!今ならまだ助かる、絶対に助かるはずだ。だから救急車でも何でも呼んでくれよ、死ぬなんてあんまりだろ。いいか、死んだら駄目だ。死ぬなよ死ぬな!」
俺がどんなに懇願しても誰も反応すらしてくれない。
何だよ、酷すぎる。
親友が毒を飲んで死ぬのを見てたって、あり得ないだろ。
どうして止めれなかった。
どうして死なせてしまった。
「裕太……、くそぉ………!!」
やがて俺は涙でぐしゃぐしゃにした顔で、力無く床に座り込む。
それから情けない声が漏れて、自分の嗚咽が部屋に響く。
気分が落ち着かない。
こんなに心の底から泣いているのは何年ぶりだよ。
子供の頃以来だ。
ただ、この悲しみは子供の頃には味わったことの無いほどの初めての大きな悲しみ。




