第5話 初めての仕事は、麦畑の水を守ること
ヒルデの町には、坂が多い。
丘陵学園の裏手から坂を下ると、麦畑へ続く水路がある。
そこに棘猪が居ついた、と畑の持ち主が相談に来た。
背中に硬い棘を持つ、大型の獣だ。
獲物へ突っ込む前には、鼻先で地面を二度掘る。
町の狩人が追い払うあいだ、俺たちに水路の護岸を守ってほしいという。
「実習にするなら、校長が付きます」
ルチアが条件を出した。
生徒の役目は、逃げ道を空け、土手を補強すること。獣を倒しに行かない。
俺は三人に仕事を説明した。参加しなくても成績は下げないと、先に言った。
「壁を使えるなら、行きます」
最初に答えたのは、ミナだった。
レナとカイも、その隣へ椅子を寄せた。
翌朝、水路の脇へ行くと、石積みの一部が崩れていた。
下流では、まだ小さい麦が風に揺れている。
ミナは土へ手を置き、三秒かけて壁を出した。
土手の割れ目が塞がる。
狩人がそれを見て、帽子を持ち上げた。
「助かる。こっちへ水が漏れて、足元が悪かったんだ」
ミナは、すぐに返事ができなかった。
俺が頷くと、小さく頷き返した。
棘猪を見つけたのは、カイだった。
耳を動かし、対岸の葦を指す。
狩人が回り込み、布を揺らして誘導する。獣は予定どおり森の方へ鼻を向けた。
その直後、荷車の轍へ片足がはまった。
棘猪が暴れ、顔をこちらへ向ける。
鼻先で、地面を二度掘った。
「決めた場所へ下がれ!」
俺は折り畳み盾を開いた。
ルチアの水が、獣の前へ弧を描く。
だが、跳ねた石がミナの壁へ当たり、上半分を割った。
水路へ流れが戻ってしまう。
ミナの両手が、土へ沈む。
三秒。
そのあいだに、獣がもう一度突っ込んでくる。
「先生、輪を出していい?」
「退く道を空けて、対岸へ!」
レナの火が、獣と水路の間へ円を描いた。
熱を嫌った棘猪が足を止める。
一拍。二拍。
三拍目で、輪が崩れかけた。
カイがレナの横へ滑り込み、火の外側へ風を送った。
赤い輪が、森へ伸びる細い口を作る。
そこへ狩人が、もう一度布を振った。
獣は空いた道へ駆けていった。
その背中が木々へ消える頃、ミナの壁が水を止めた。
俺は三人の名前を順番に呼んだ。
怪我はない。レナの手が震え、カイは膝に手をついていた。
ミナは、まだ土から手を離さない。
「もういい。ここからは大人の仕事だ」
ルチアが護岸へ水の杭を打ち、狩人が獣の行き先を確かめに行った。
三人を日陰へ座らせると、レナが水筒を一息で空にした。
「試合だったら、私、そこで終わってたわ」
「俺も。もう一回風を出すの、無理」
ミナが二人を見てから、俺を見た。
「でも、水は止まりました」
畑の持ち主が、焼きたてのパンと報酬を持ってきた。
正式な報酬は学園で精算し、生徒の実習手当も契約どおり渡す。
その説明より、老人の次の言葉の方が、三人には効いたらしい。
「君たちが来なかったら、今年の麦は駄目だった」
帰り道、カイが袋のパンを何度も確かめた。
レナは半分食べてしまっていた。
ミナは、自分の手に残った土を見ながら歩いている。
学校へ戻ると、三人は教室の壁に新しい紙を貼った。
大会で勝つために、足りなかったこと。
長く持たせる。逃げ道を先に決める。終わる時に、声をかける。
一番下には、ミナの字で、もう一行あった。
今日、できたこと。
水を止めた。




