第漆話
グンマー帝国建国から一月が経った。
前橋駅前の喧噪は、出国を急ぐ人々の声で埋め尽くされていた。
土屋碧海は、人々の流れに逆らい、駅前通りをばあさんの事務所に向けて、選挙事務所から歩いていた。
ここ一ヶ月前橋駅前は出国ラッシュで、大きな荷物を抱えた人たちが大挙として押し寄せていた。
今はまだ国境が完全に閉鎖されている訳ではなく、往来の自由は保障されているが、今年度中には、国境に建設中の塀が完成するらしく、現在順次発行している帝国パスポートがないと越境出来なくなってしまうらしいのだ。
群馬の外に親類縁者、家族がいる人はもちろんのこと、グンマー帝国を見限った人々は挙って出国しているのだ。
それもそうだ。県境が国境になったのだ。ある意味鎖国である。物資不足になることは目に見えて分かっている。
帝国は日本国との交渉で、物資調達に支障は無いと言っているが、国対県ではなく、国対国の関係では、いつ何時その約束が反故にされるか分からないのだ。
碧海は駅へと向かう人々の波に逆らって、ばあさんがいる雑居ビルへと向かった。
雑居ビルは相変わらずで、建て付けの悪い入り口、薄暗い廊下や階段、そして何にも書いていないばあさんの事務所兼自宅のドア。
碧海は、その怪しい道程を、慣れた様に通り抜けて、いつものようにドアを開けると「ばあさんいるかぁ!」と声を上げる。
「いつも言っとるじゃろ。静かにせんか、小僧。」
今日はソファーに座ったままで老婆が悪態をついた。
「おお、居た。」
碧海は老婆を見付けると、遠慮会釈無く言う。
「居たじゃないよ、まずはお客さんに挨拶せんか。まったくこの子は。」
老婆はそう言って、目の前に座る人物を指差す。
「こんにちは、土屋さん。」
ソファーから立ち上がった人物は、すらりと背の高い女性だった。活動的なパンツ姿で、化粧気はあまりなく、年は碧海よりも一回りぐらい上だろうか。碧海の目には、都会の洗練された大人の女性に映った。
「あっ、こんにちは。……って誰だよこの女性。」
自分の名前を呼ばれたことに、奇妙な違和感を覚えたのか、老婆に詰め寄る。
「とにかくそこへ座れ。まったく礼儀がなっちゃない。」
老婆に叱られ、碧海は大人しく、その女性の隣に座る。
「私は、警察庁特務課の西蓮寺芽瑠です。」
そう言って、手帳を懐から取り出し、開いてみせる。
碧海は遠慮無く、その手帳を矯めつ眇めつ眺めた。そこには日本国警察庁の文字と、彼女の顔写真、そして名前などが書かれていた。
「日本国?日本国の警察がなんで帝国に……。」
碧海は純粋に疑問に思った。
「それは、わしから説明しようかねぇ。」
そう言って、いつもの麦茶を注いだコップを碧海に差し出した。
碧海が礼を言って一口飲むと、老婆は話を進めた。
「お前さんに頼まれた、例の件……。」
「ああ、あの件。どうなった……。」
「人の話は最後まで聞かんかい!……ったくこの子は……。で、例の件じゃがな、残念ながら白じゃ。」
「嘘だろ!絶対白な訳ねぇだろ!ばあさんちゃんと調べたんだろうな。」
碧海は老婆の言葉が信じられず、腰を浮かす。
「なんじゃ、小僧、わしの言葉が信じられんのか。」
「そうじゃねぇけど、俺は絶対あいつら何かあるって確信してるんだ。でなきゃおかしいだろ、ただのボンボンが皇帝になるなんてよ。」
碧海は老婆の気迫にたじろいだが、それでも、主張は曲げなかった。
「まあ、お前さんならそう言うと思ってな、こん人さ呼んだだよ。」
老婆がそう言って西蓮寺を見る。
「私たちも、赤城帝の台頭には疑問を持っています。以前から群馬県独立の動きは掴んでいましたし、政治御三家の動きも逐一追っていました。しかし、赤城帝である星野誠翔が現れたのは唐突すぎました。墜星宮宮司である星宮文也が後見人になっていることも、寝耳に水でした。」
西蓮寺が綺麗な標準語で言う。
「ということは、日本の警察も、あの県議会のクーデターを把握していなかったと言うことですか。」
碧海が西蓮寺を問い詰める。
「残念ながら、その通りです。御三家の誰かが行動を起こす可能性は考えていましたが、横槍が入る可能性は全くの予想外でした。」
西蓮寺は重苦しそうに応えた。
「で、その警察屋さんが何をしてくれるって言うんだ。」
碧海は不躾に疑問を投げつける。
「まったく小僧は、少しは礼儀を弁えな。」
そう言って老婆が碧海を窘めるように口を挟み、話を続ける。
「この子には、お前さんが依頼してきた、カネの流れ以外にも、様々な可能性を見越して調査して貰うつもりなんじゃよ。」
老婆がドヤ顔で、碧海に言う。
「警察庁が帝国内で動いて大丈夫なんか。」
碧海が心配そうに、西蓮寺を見る。
「大丈夫ですよ。そのための特務課ですから。」
西蓮寺は自信ありげな笑顔で、大きく頷いた。
「でもさ、ばあさんはどう思ってるんだ。」
碧海が老婆に聞く。
「二人の関係かい。……まあ、黒じゃろうなぁ。」
老婆はそう言って、確信したように頷く。
「だろ、絶対黒だよな。」
碧海は我が意を得たりと得意顔になる。
「じゃがな、尻尾は捕まえられんのじゃ。悔しいことにのぉ。」
老婆はそう言って眉間に皺を寄せる。
「だから、助っ人なんだろ。」
「そうさね。西蓮寺さんに任せとけば、鬼に金棒じゃ。」
「お願いしますね。西蓮寺さん。」
碧海は改めて西蓮寺に頭を下げる。
「分かりました。お任せください。必ずご期待に応えて見せますから。」
西蓮寺は笑顔で応じた。
* * *
翌日、土屋碧海は選挙事務所で、前田裕也たちと一緒に事務作業をしていた。
そこへ、この事務所の主、福田紗蘭が現れた。
「皆さんおはようございます。」
五十代半ばの福田紗蘭は、これまで群馬県議会議員として当選を重ね、一度は次期県知事かと噂される程の地位にまで上り詰めた。
しかし、中央政府の与党が国民の反感を買い、その余波を喰らって、彼女の知事当選はなくなってしまった。
タイミングが悪かったと言えばそれまでなのだが、時流に乗りきれなかった彼女の選挙戦略にも問題があったと言える。政治コメンテーターは中央の問題が地域に波及しただけだと、軽く流したが、結局無党派層の取り込みに失敗したのが、その大きな要因であると、当の彼女は考えていた。
イメージカラーであるブルーのスーツを着て現れた彼女は、今後の方針について事務所にいる運動員たちに語り始めた。
「皆さんのおかけで、これまで県議会議員として尽力して参りました。しかし、今、群馬県はグンマー帝国と名を変え、県議会は帝国議会へと姿を変えました。県庁が官庁に変わり、私たちの役割も大きく変わりました。幸い、名称は変わっても、今まで同様議員として群馬に貢献していくことには変わりありません。
これからも、皆様のご助力を賜りたくよろしくお願いします。」
福田紗蘭はそう言うと、運動員たちに向けて、深々と頭を下げた。
運動員たちからは拍手が沸き、口々に「がんばりましょう」と声が上がった。
碧海も手が痛くなる程の拍手をし、福田紗蘭にエールを送った。
「先生、これから群馬はどうなっていくんさね。ニュースも新聞も全然要領を得んくて、さっぱり分かんねんだべ。」
運動員の一人が尋ねる。
「そうですね。皆さん不安ですよね。私も不安です。ハッキリ言って、今後どうなるかは私にも分かりません。どこかの独裁国家のようになるのか、それともこれまでと変わらない生活を送れるのか。その舵取りを握っているのは、皇帝と自称している赤城帝であるということになります。」
福田紗蘭はそう言って少し顔を曇らせた。
「先生は、どうなるんさね。」
別の運動員が声を上げる。
「私ですか。……私自身もどうなるかは分かりません。今のところ、議会招集はなく、議会解散という話も、選挙をおこなうという話も聞きませんし、議会自体を開会するのかすら分かりません。
現在、官庁でおこなわれているのは、組織再編です。急ピッチで省庁の編成がおこなわれていて、既に一部の議員は稼働を始めた内政省、外政省、財政省、法政省への配置が決まり、活動を始めています。
外政省の大臣になった、西隈琉衣さんは、日本の外務大臣と交渉を続けているという話を聞きました。今後、日本からの物資の供給がおこなわれるかどうかは、彼女の手腕に掛かっていることになります。
他の省庁も順次立ち上がっていますので、これから議員たちがそれぞれ配置されていくことになります。私には声がかかっていませんが、もし打診があれば、尽力するつもりです。」
そう言うと、福田紗蘭は再び頭を下げた。
だが、碧海は一抹の不安を覚えた。権力争いから脱落した先生が、このまま議員でいられるかどうかすら分からないのだ。ましてや、命の保証すらも分からないのだ。グンマー帝国という名前の持つその圧力に、碧海は完全に怯えていたのだった。




