第肆話
「どういうことだ。貴様が大統領になるだと!寝言は寝て言え!貴様のようなヤツが大統領などと、群馬の未来は地に落ちるわ!」
日本国群馬県前橋市の県議会議事堂内の本会議場は紛糾に紛糾を重ねていた。
2028年10月、もう間もなく年の瀬が迫ってきたこの時期に、議会は決議しなければならない重要な案件をほったらかして、政争に明け暮れていた。
「なにを!貴様こそ、総理大臣などと片腹痛いわ!貴様のような小物が国を率いるなど、赤子がトラックを牽くようなものだ、分不相応にも程があるわ!」
政治御三家と呼ばれた名家の出身議員が、自分こそ国を統べるに相応しいと、今にも殴り合いの喧嘩にでも発展しそうな勢いで、怒鳴り声が本会議場を飛び交っていた。
「静かに、お静まりください!」
議長が再三注意し、静まるよう促すが、誰も聞く耳は持たず、他の議員たちも、傍聴席からも各々が支持する議員を国家元首に擁立しようと、好き勝手に声を上げていた。
議会は完全に収拾が付かなくなっていたのである。
そこへ突然、本会議場の入り口が音を立てて勢いよく開かれた。
突然の物音に、全員の視線が入り口に集まり、一瞬静まりかえった。
そこには墜星宮の宮司、星宮文也が若者を従えて立っていた。
星宮文也は本会議場をぐるりと見渡すと、再びザワつき始めた本会議場の中を、演壇に向かって歩き始めた。
「お前は誰だ!勝手に議会場に踏み入れて良いと思っているのか!」
「そうだ!警備員は何をしている!早くこいつらをつまみ出せ!」
星宮文也の顔を知らない議員たちは口々に排斥を訴えたが、誰もそれに応える警備員はおらず、それどころか県知事を始め、議長までもが彼に頭を下げている。
その態度を見た人々は、更にザワつきを強め、誰なのか推測を重ねた。
演壇上に立った星宮文也は、再び本会議場全体を見渡し、そこにいる議員たちを蔑むように見下ろし、傍聴席にいる人々には敬意を持った眼差しを向けた。
「私は、墜星宮宮司星宮文也である。諸君らが私を知らぬことを、ここで咎めることはしない。しかし、この人物を今後知らぬとは言わせぬことを、ここに宣言する。君たちはここにおわす、星野誠翔を皇帝陛下として鑽仰し、敬仰し、翼賛せよ。」
星宮はそう言うと、今一度ギロリと本会議場の議員たちに睨みを利かした。
「何を言っているんだ!突然現れて、この坊主を皇帝にしろだと!巫山戯るのも大概にしろ!」
議員の一人が声を上げた。
すると、星宮が手で指示を出したのを合図に、本会議場の入り口に控えていた警備員が数名踏み込んできて、その議員を取り押さえた。
「なぜ私が捕らえられなければならないのだ。法を犯しているのは私ではなく、ヤツの方だろうが!」
連れて行けと言わんばかりに、手で指図した星宮は、再び議員一人一人の顔を見ていく。
捕らえられた議員は警備員に引き摺られながらも声を上げ、罵っていたが、星宮はそんなことには意も介さず、言葉を続けた。
「さて、皆様には突然のことで、皇帝陛下と言われても納得がいかないでしょう。ここに、グンマー帝国憲法草案があります。まずは、それを議会で承認してください。話はそれからです。
議長よろしいですね。」
星宮の言葉は有無を言わせぬものだった。まるで彼自身が皇帝であるかのようである。
しかし、もう誰一人彼に異議を唱えたり、糾弾するような者はいなかった。
議員たちは配られた憲法草案に目を通していた。
そこに書かれていた内容は、およそ現代の民主主義国家としてはあり得ない内容であり、国民の自由は保障されているものの、三権分立は皇帝の名の下でのみ保証されているのだ。すなわち、権力はすべて皇帝に一元化されており、皇帝の匙加減一つで国家運営がなされるような仕組みになっていた。
ただ一点、次の条文だけが、皇帝を律するものであり、この条文に反しない限りにおいて皇帝の裁量権は自由だった。
その条文とは、
皇帝は国民の権利と自由を尊重し、帝国の平和と繁栄を維持する責務を負う。
皇帝の決定は、法律に基づき、かつ国民生活の安定を損なわない範囲で行うこととする。
である。
憲法草案を読み終えた議員たちは、一様に顔面蒼白だった。
中には何かを発言しようとして、慌てて口を噤んだ者もいた。先程連行された議員の姿が頭を過ぎったのだろう。
すでに、皇帝による恐怖政治は始まっていたのである。
* * *
「あれで良かったのですか。」
星野誠翔は本会議場を後にした後、星宮に言う。
「ええ。あれで良いのですよ。確かに、民の支持を得て皇帝となった方が、あなたにもこの国にとっても良いことでしょう。しかし、ことは急を要します。ですから、あれで良かったのです。」
星宮は諭すようにして誠翔に答える。
「ですが、急いては事をし損じると言います。少し急ぎ過ぎのような気もしますが。」
誠翔はそう言いはするものの、星宮を御する言葉を持ち合わせてはいなかった。
誠翔は星宮に皇帝就任の話を持ちかけられてからというもの、寝ても覚めても悩み続けていた。なぜ星宮が誠翔を皇帝として擁立したのか、それについての説明を受け、そのことについては渋々ながらも理解した。
しかし、理解するのと納得するのは大きく違う。誠翔はまだ納得がいっていなかった。県民のために働くというなら、身を粉にして働くことは吝かではないし、県民がそれを望むなら道化になっても構わないとさえ思っていた。
だが、星宮がしていることは、ただの脅しである。皆が望んだことではなく、恐怖に駆られて渋々従っているだけである。
そんなものは、いずれ瓦解する。
それは歴史が何度も証明してきた。
誠翔はそれでもこの群馬の地を愛していた。この地が政争の煽りを受けて蹂躙されるのは許せなかった。各地で小競り合いが起こり、死者まで出てしまっては、決断するしかなかったのだ。
(これで良かったんだ。俺が皇帝になりさえすれば、この地に平穏は訪れる。良いじゃないか、俺は傀儡皇帝としてこの地位にしがみついているだけで良いのだから。)
誠翔はそう考えていた。いや、そう考えなければやりきれなかったのかも知れない。
「さあ、議会の承認は得ました。後は独立のための準備を推し進めていくだけですよ。皇帝陛下。」
星宮はそう言って、優しく微笑んだ。
「ああ、分かりました。まずは国政機関と、国境警備の整備でしたね。」
誠翔はそう言って星宮に対して頷いた。
* * *
2030年4月1日、群馬県庁昭和庁舎の正面バルコニーに星野誠翔は立っていた。まだ少し肌寒く、傍を流れる利根川から吹き寄せる風も冷たいが、庁舎前の県民広場に集まった人々は熱気に包まれていた。これから群馬県民ではなくグンマー帝国国民となる人々である。新たに皇帝に就任した人物を一目見ようと県内から集まってきた人々である。
新しく考案されたグンマー帝国国旗を振って、誠翔を歓迎し、群馬の独立を歓迎していた。
「お集まりの皆さん!お待たせいたしました!
我々群馬の民はいよいよ新たな時代を迎えることとなりました。ここに、我々グンマー帝国初代皇帝であらせられます、赤城帝より、お言葉を賜ります。
赤城帝お願いいたします。」
司会者の言葉が、スピーカーを通して広場に響き渡る。空には空撮映像を配信するべくドローンが数台飛んでおり、地上からも多くのテレビカメラが全世界に中継し、報道陣のカメラがその歴史的瞬間を切り取っていた。
赤城帝と紹介された星野誠翔はゆっくりと少し高くなっている演壇に上がり、集まった人々を時間を掛けて見渡した。吹き付ける風に纏っているコートの裾が捲れ上がりそうになるが、スタイリストの機転で、誠翔の威厳は保たれていた。
誠翔はマイクに口を寄せると、用意してきた宣言文を諳んじた。
「群馬の民よ!
そして、日本の民に、世界の人々よ!。
今日ここに、我々は、グンマー帝国の建国を宣言する。
我々は、長く〔地方〕と呼ばれ、中央の影に隠れてきた。
だが、この地は地方ではない。
ここには山があり、水があり、人の誇りがある。
我々は、誰かに支配されるために生まれたのではない。
この土地に生きる者が、この土地の未来を決める。
それが、我々の自由であり、独立である。
我々は、争いを望まない。
銃を取ることも、血を流すことも望まない。
だが、我が地の誇りを踏みにじるものには容赦はしない。
我々は尊厳を取り戻すために、一歩を踏み出したのだ。
利根の水は我らの命。
赤城・榛名・妙義の峰々は、我らの背骨。
風が、山を越え、世界へと届くように、
群馬の声は、いま世界へと放たれる。
我々を止めることは誰にもできない。
これは誰かの命令ではなく、
我々が望んだ意思そのものである。
群馬の民よ、今こそ立ち上がり、胸を張れ。
あなたたちは、いまより帝国の民である。
恐れるな。恥じるな。
グンマーの名を掲げて、未来を歩め。
今ここに、グンマー帝国が誕生した!
世界よ、聞け。
ここが新たな時代の始まりである。
帝国の民たちよ、共に未来を築こう!
グンマー帝国、万歳!」
ゆっくりと、そして力強く宣言した誠翔は、改めて自分が皇帝になったことを自覚した。目の前にいる人々だけでなく、テレビやラジオ、そしてネットの向こうにいる人々にも彼の存在が明らかになったのだ。もう、引き返すことは出来ないのだ。
無数の顔が誠翔に注目していた。
誠翔はそれを見て、改めて覚悟を決めたのだった。
誠翔はその覚悟を人々に示すために、片手を上げた。
その瞬間、大地が割れるような歓声が沸き起こった。
広場に集まった人々は、小旗を振り、万歳を何度も繰り返していた。
何度も何度も繰り返し繰り返し。




