第廿話
グンマー帝国と約束した期限の一月が経とうとしていた。
結局日本政府は黒幕に関する情報を収集できなかった。その手掛かりすらなかったのだ。国家の威信を懸けておこなった大捜査ではあったが、何の成果も得られなかった。
築城心桜は執務室で頭を抱えていた。
どこでボタンの掛け違いをしてしまったのか。漸くグンマー帝国と友好ムードに漕ぎ着けた矢先だっただけに、悔やんでも悔やみきれなかった。そんなことを考えても意味が無いことぐらいは分かるのだが、それでも考えずにはいられなかった。
警察庁の現地調査チームと、総理直属の内偵チームが合同で、帝国内に潜入し内偵をおこなってはいたが、彼らに赤城帝を手に掛けることなど指示した覚えもないし、もちろん、彼らがそんな暴走を引き起こすとは思ってもいなかった。
だからこそ、その存在は彼女の中に仕舞ってあったし、完全に内密にしていた。いったいどこからどう漏れたのか。それだけは気がかりだったし、一応定期的に報告は上がってくるので、無事ではいるのだろうが、内偵者の安否も心配だった。
帝国側が想定しているのが、彼らでないことを祈るばかりであった。
内偵者たちからは、次々と作戦失敗の報告が上がってきていた。その彼らが帝国内での内偵は限界を迎え、これ以上の打つ手はほぼ無いとも言及していた。だからと言って撤退を指示することもできず、送られてくる情報をいつまでもズルズルと頼りにしていた。
もっと早く撤退を指示していれば、関与を疑われずに済んだのかも知れない。しかし、今となっては時既に遅しである。
こうなってしまった以上、腹を括るしかなかった。
* * *
「で、結論は黒幕を特定できなかったと。こういうことですか。」
会談場に指定された外務省庁舎の一室で、西隈琉衣グンマー帝国外政大臣は、対峙する江良直也日本国外務大臣の報告に、蔑むような視線を送り、呆れたような口調で確認する。
「そうですね。私たちも貴国との関係を悪化させたくはありません。ですから、全身全霊を以て調査に当たりましたが、手掛かりすら掴めず。大変申し訳ございません。」
江良直也は、二回りも違う相手の気迫に押され、深々と頭を下げるしかなかった。敏腕外務大臣ともてはやされる彼も、手練手管を弄する西隈琉衣には太刀打ち出来なかった。
更に言えば、築城心桜総理からも決して先方を怒らせるなと厳命されているのだから、下手に出るしかないのだ。
「それは、全身全霊を以て隠蔽したと言うことですか。」
どこか見透かしたような視線を以て、西隈琉衣は江良直也を見ている。
「そのようなことはありません。誓って、隠蔽するなどございません。」
何を言っても無駄なことは分かっている。先方は既に答えを持っているのだ。我々は試されているだけである。それは総理にも言われたが、江良直也自身もそれは感じていた。
「そうですか。では、日本国は帝国との関係を切り捨てる、こう判断されたと受け取ってよろしいのですね。」
言葉は丁寧だが、有無を言わせぬ言葉に江良直也は焦った。
「いえ、決してそんなことはございません。貴国との友好関係は総理を始め日本国民の願いでもあり、私もそのように考えております。ですから、今一度、今一度お考えを改めていただきたいのです。」
「考えを改めよとおっしゃっても、帝国に何の利があるというのでしょうか。
皇帝陛下は命を狙われたのですよ。それも、公衆の面前で。幸い皇帝陛下の御身は傷つくことなく、事なきを得ましたが、陛下が負った心の傷は幾許か。あなた程の人なら、お分かりになるでしょ。
それを、どこをどうしたら考えを改めることなど出来ましょうか。陛下だけではありません。帝国民の怒りはもう止められない段階なのですよ。」
西隈琉衣は悲痛な表情を浮かべ、悲しみを声に載せてはいるが、その目に感情はなかった。
「確かに、貴国に利がないかもしれません。しかしながら、このままでは貴国にも害があるのではないでしょうか。」
一縷の望みを懸けて、江良直也は西隈琉衣の顔色を伺う。
「そうですね。皇帝陛下は非常に心を痛めておられた。袂を分かったとは言え、元は同じ国、同胞であったことに変わりはない。そんな二国が争うなど、心優しき皇帝陛下は望んではおられない。
しかし、あなた方は、その皇帝陛下の御心を踏みにじったのです。
たとえ、我が国に害があったとしても、これをきちんと正さなければならないのです。悪は悪であると断罪しなければ、悪が蔓延ってしまう。これ以上、皇帝陛下を傷つけるようなことは、断じてあってはならないのです。それは全帝国民の願いでもあり、皇帝陛下を傷つけることは、帝国民を傷つけることと同義であるからなのです。
更に言えば、我々はもはや日本国民ではない、グンマー帝国の国民である。我が国は意思を持つ一国家であり、この揺るぎない事実を内外に示さなければならならい。日本国民は、身を以てそれを知らなければならないのです。
この意味が分かりますよね。」
西隈琉衣は目に怒りを溜め、淡々と語った。
「はい。重々承知しております。皇帝陛下を始め帝国国民を傷つけてしまったことは、我が国も心を痛めております。
ですが、我が国が関与したという証拠は見付からなかった。何かの間違いであったのではと邪推するばかりです。もし、貴国側で何らかの情報を掴んでおられるのなら、ぜひ我々と共有していただきたい。我々も貴国を傷つけることなど、何一つ望んではいないのですから。」
江良直也は噴き出す額の汗をハンカチで拭いながらも、言うことだけは言っておこうと、要求することだけは伝えた。
「何か勘違いをしていませんか。それでは、まるで私たち帝国があなた方を試しているようではありませんか。犯人の特徴をすべてお伝えし、犯人が日本国と通じていたという情報も伝えた。
我々は被害者なのですよ。それ以上なにを知っているというのですか。それ以上どんな情報を出せというのです?
それこそ、ご教授願いたいですわ。」
西隈琉衣は蔑むような目で、江良直也の言葉を完全に袖にした。
「ですが、私どもも協力したいのはやまやまではありますが、いかんせん情報に乏しく、このような為体を晒す羽目になってしまっているのです。恥を忍んでこうしてお願い申し上げた次第なのです。ですが、情報を掴んでいらっしゃらないようであれば致し方ないですね。我々も引き続き全力を以て捜査致しますので、もう暫くお時間をいただけませんでしょうか。」
江良直也は言葉を選びながら頭を下げる。
「では、あと一月お時間を差し上げましょう。ですが、これが最後です。
もし、これ以上待たせるようなことがあれば、我々は軍を以て強制捜査に乗り出します。あなた方に拒否する権利はないと考えてください。」
「それは、越境行為であり、領土侵犯に当たりますよ。国際的にも大きな問題になりますし、国際社会からの非難も免れないと考えますが。」
「そんなことは百も承知です。ですが、先程も言いました。我が国はどんな圧力にも屈しない。我が帝国は皇帝陛下の下、一致団結して外圧を駆逐してきたのです。そんなことぐらいで揺らぐような帝国ではないということを、肝に銘じておくことをお勧めしますわ。」
結局、今回の会談は物別れに終わった。なんとか、延命は出来たものの、再び一月後に延びただけで、状況は何も変わらなかったのだ。むしろ悪化したと言っても良い。これでもし何も出なければ、帝国は本気で攻めてくるつもりなのだろう。
江良直也は、西隈琉衣が出て行った扉を放心状態で眺めているしか出来なかった。
* * *
「お疲れ様です。首尾はどうですか。」
赤城帝星野誠翔は、自分の執務室で帰国したばかりの西隈琉衣と面会していた。
「はい。陛下の予想どおり、ことは進んでおります。」
西隈琉衣は江良直也に見せていたような鬼の形相ではなく、柔和な表情を湛えていた。
「そうですか。私としては穏便に事を進めたかったんですが、やはりそうなってしまいましたか。」
少し寂しそうな表情を誠翔は浮かべた。
「はい。残念ですが、頑なに隠蔽をしているようです。」
「そうでしょうね。あの前田裕也という男のバックは、おそらく日本国とは関係ないでしょう。むしろ中国の影がちらついています。そちらについては後程、落ち着いてから本格的に動くとして、むしろ問題は車列に突っ込んできた、土屋碧海という男の後ろにいる日本国です。警察庁の敏腕刑事と、総理直属の内偵組織の間者が潜入していることは既に掴んでいます。手引きをしたのは、探偵事務所を経営する人物であることも分かっています。これまで、泳がせては来ましたが、牙を剥いてきた以上、捨て置けません。
あなたには苦労を掛けますが、日本国が折れるまで、徹底して追求してください。国防大臣の鶴留涼氏にも話は通してありますので、上手く連携していただければと思います。」
「畏まりました。陛下、一つお伺いしてもよろしいですか。」
「何でしょう。」
「陛下は、日本国が戦争を仕掛けてくると思いますか。」
「そうですね。私としては、憲法もありますし、おそらく戦争にはならないでしょう。ですが、それはあくまでも憲法の話。彼らには自衛隊がいます。自衛のためには武力も辞さないと思います。ですから、どちらにも転ぶ可能性はあると思います。戦争にはなって欲しくはありませんが、その覚悟は必要だと考えています。」
「そうですか。ありがとうございます。」
「あなた自身はどうなって欲しいですか。」
「私ですか。私も陛下と同じ意見です。戦争になどなって欲しくはありませんが、戦争の懸念は高まっていると考えます。築城心桜総理の理性が保つことを望んで止みません。」
「そうですか。……そうですね。……築城心桜総理はとても良い総理です。このような時代でなければ、彼女との関係は良好に築けたことでしょう。ですが、彼女には彼女の立場がある。あなたには、そのあたりの匙加減を上手くやっていただきたい。期待していますよ。」
「畏まりました。微力ながら、身命を賭して臨みます。」
「そんなに気負わなくて良いですが、よろしくお願いします。」
* * *
「そうですか。物別れに終わりましたか。」
執務室で築城心桜は江良直也の報告を受けていた。
「はい、お力になれず申し訳ございません。」
江良直也は頭を下げる。
「いえ、良いんですよ。一月とは言え、延命できたのです。僥倖と捉えましょう。」
そう言いながらも築城心桜は大きな溜息を吐いた。
「はい。ですが、総理には何か手立てがあるのですか。あの事件を起こした前田裕也という男、確証はありませんが、中国と通じていたという話も出ています。もしそれが本当であれば、帝国側が日本の責を追求してくること自体、おかしな話です。何か言いがかりを付けられているような気がしてならないのですが。」
江良直也は少し首を傾げる。
「そうですね。おそらく、帝国は日本が中国を手引きしていると考えているのでしょう。だから、その手引きした人物を差し出せとでも言ってきているのではないでしょうか。」
築城心桜は真相を隠しながら言う。
「それなら、帝国も直接中国を訴えたら良いのに。やっぱり、中国を恐れているんですかね。それとも、日本なら御しやすいと考えているとか。」
江良直也は腕組みをし顎に手を当てて考えを巡らせる。
「そうですね。我が国が舐められているのかも知れませんね。ですが、私には、あの赤城帝がそのような短慮で日本に攻勢を掛けているとは考えにくいのです。おそらく、何か思惑があるのでしょう。」
築城心桜は江良直也に視線を送りながらも、内偵者たちのことを気に懸けていた。
とは言え、これ以上どうすることも出来ない。彼らを帝国に売るか、自らが責任を取るか、それとも内閣総辞職というカードを切るか。
いずれにせよ、帝国からの責任追及は終わらないだろう。
築城心桜の内心は、渦潮の如く様々な感情が渦を巻いているのだった。




