第拾肆話
「臍で茶ぁ沸くたぁ、まさにこのことだいね。まさか、後ろについてんのが宇宙人たぁな。」
友実探偵事務所には、友実キクが二人の女性の応対をしていた。
矢島虹華がここ数ヶ月で調べ上げた調査報告書を、西蓮寺芽瑠は漸く肩の荷が下りたという表情で、友実キクに手渡し、ざっと目を通した友実キクが最初に発したのがこの言葉だ。
その分厚い報告書には、星野製作所のカネの流れ、グンマー帝国のカネの流れ、赤城帝である星野誠翔の関係者リスト、そして、一番重要な、墜星宮との関係と、その裏に居たヌトミュカ星人の存在を暴き出した詳細が、事細かに記されていた。
「流石、虹華だって言いてぇとこだけんど、この内容は、そう素直に飲み込めるもんじゃねぇな。」
そう言いながら、友実キクは報告書をテーブルの上に置くと、老眼鏡を外して、速読した目の疲れを取るかのように目頭を指で揉みしだき、いつも自分で淹れている麦茶を一口飲んだ。
その一挙手一投足を目で追っていた西蓮寺芽瑠が口を開く。
「とは言え、これが事実です。確かに受け入れがたい内容ではありますが、私たちも裏を取りました。報告を上げた警察庁からもこれは事実であると、ある人物からお墨付きをもらったと返答をもらっています。」
芽瑠は友実キクの目をじっと見ながら、この報告書の信憑性を訴える。
「誰も内容を疑っちゃいねぇよ。俄かにゃ信じがてぇって言ってんだい。それに、そのお墨付きってのは、天皇陛下なんじゃろ。だったら、なおさら信じねぇわけにゃいかんべ。」
友実キクは年季が入り、所々ガムテープで補修されたソファーの背もたれに、溜息を吐きながら背中を預けた。
「陛下がお口添えなさったことを、なぜご存知なのですか。」
芽瑠は思わず腰を浮かしかける。
「聞かなくたって分かるよ、そんくれぇ。これだけの重要な話だ。陛下に報告が上がらねぇわけがねぇ。一言一句、この報告書に陛下が目ぇ通したとは思わねぇけんど、報告そのものは上がってんべ。だったら、そこに何らかのお言葉があっても不思議じゃねぇ。お墨付きなんて言われりゃ、誰だって分かることだいね。」
そう言うと、友実キクは目で芽瑠を制する。
「ところで、私の仕事はこれで終わりなの?」
それまで二人の遣り取りを黙って見ていた矢島虹華が、割って入るように口を開く。
「そうさね。取り敢えず、これで仕舞いだい。けんど、もうひと仕事、やってっちゃくれねぇか。」
「高く付くわよ。」
友実の言葉に、口角を少し上げて虹華が応じる。
「一流なんて呼ばれるようになったあんたに、惜しむカネなんざねぇさね。」
友実は呆れたように言う。
「なら良いけど。」
そう言うと、虹華はテーブルのコップに手を伸ばし、友実キクお手製の麦茶を飲んだ。
「まさか、本格的に始動させるんですか。」
芽瑠が二人の会話に口を挟む。
「そうだい。もう十年も待ったんさ。むしろ、今まで待ちすぎたくれぇだ。」
友実キクは芽瑠に視線を送ると、溜息を吐いて応えた。
「ですが、まだ準備が整っていませんし、本国でもまだどうするか決めかねていますし、総理からは早まるなと釘が刺されたとも聞いています。」
芽瑠は少し慌てる。
「それはそっちの都合だんべ。こっちはもう十年、待ってんだい。待ちくたびれたなんてもんじゃねぇ。もう、これ以上は待てねぇんさ。協力できねぇってんなら、それまでだい。今までの話は、なかったことにしてくんな。」
友実キクは再び麦茶に手を伸ばして、ゴクリと音を立てて飲み込む。
「ですが、ことを急いては、し損じることもあります。ですから、本国からの指示があるまで、せめて、準備が整うまで、もう少し待ってはもらえませんか。」
「準備が整うのを待ってりゃ、何もかも終わっちまうことだってあるんさ。」
言い募る芽瑠に、友実キクは冷たい視線を送る。
「ですが、ここまで慎重にことをなしてきたのに、今更、急いてしまっては、すべてが水泡に帰してしまいます。」
「そんなこったぁ、知ったこっちゃねぇ。」
友実キクは吐き捨てるように言った。しかし、その声には先ほどまでの勢いはなかった。
「あたしゃもう九十を越えた婆ぁだ。明日どうなるかも分からねぇ人間に、十年先の準備がどうこう言われたって困るんさ。」
友実キクは、なおも縋り付くような芽瑠に、冷たく言い放つが、その表情はどこか、寂しげだった。
「芽瑠、この人には何言っても無理よ。なにせ、こうと決めたら梃子でも動かないんだから。」
虹華が呆れたように言う。
「人のこと、岩か何かみてぇに言うんじゃねぇよ。この小娘が。で、あんたは手ぇ貸してくれんのかい。」
「私はカネさえくれれば動くわよ。あなたと違ってね。」
虹華は友実キクの言葉にイヤミを少し混ぜて返す。
「減らず口は相変わらずだいね。まあ、手ぇ貸してくれるってんなら、ありがたく使わせてもらうさ。」
友実キクはそう言うと、口角を上げて不敵な笑みを湛える。
「くれるもんくれるなら、好きに使うと良いわよ。」
虹華も口角を上げて応えた。
こうして、三人は次のミッションへの段取りを決めていくのだった。
* * *
場所は変わって、ここは福田紗蘭選挙事務所である。
既にお昼を回っている。三十を過ぎて幼さが抜け、少しは顔つきもしっかりしてきた土屋碧海は、フードデリバリーで取り寄せた、唐辛子のたっぷり載ったヨーロッパにある火山の名が付いたパスタを啜っていた。
「だけど、先生もこうして帝国議会に食い込んでいられてホントに良かったよな。」
隣で同じように唐辛子のパスタを啜る、先輩格の前田裕也がボソリと呟く。
「ホントですよね。十年前は先生も戦々恐々としてらして、議員生命を絶たれるんじゃないかとまで懸念されていましたもんね。」
碧海は頬張っていたパスタを呑み込んで応える。
パスタは群馬県民のソウルフードとして長年親しまれてきたが、この旨辛い、唐辛子たっぷりのパスタは、その中でも群を抜いて人気のパスタで、グンマー帝国が建国してからもその味は変わらずに守り続けられてきた、伝統のソウルフードである。
「だけど、それで先生の身が安泰になった訳じゃないからな。」
パスタを夢中で啜る碧海に向かって、裕也は更に言葉を続ける。
「確かにそうですよね。この前の選挙では当選したとは言え、獲得票数を下げましたから。ウカウカはしていられないって感じですよね。」
碧海は話半分だが、それでも前田の言葉にはきちんと返答をする。
「そうなんだよ。先生もそのことは重く受け止めていらっしゃってな。俺たちがもっと頑張らなきゃいけないことではあるんだが、なかなか決定打がないからな。」
前田はパスタを食べる手を完全に止めてしまって、碧海に顔を向けていた。
「前田さん、そんな、俺たちまで落ち込んでちゃ絶対ダメっすよ。きっと転機は訪れますって。待てば海路の日和ありなんて言うじゃないですか。」
碧海は、前田の視線を感じながらも、パスタを啜る手を止めない。
「お前、そんな言葉良く知ってるな。待てば海路の日和ありか……、確かにそうかも知れないな。……ちなみに、その海路って、元々は甘露、甘い露って書いたのは知ってるか。」
「いや、それは知りません。聞いたこともないですね。」
碧海は、少し興味を持ったのか、ちらっと前田の方を見て、首を横に振る。
「だよな。普通は知らないよな。……まあ、意味は同じ様なことなんだけどな。元々はほら、中国の故事だからさ、馴染みのない海よりも、甘い露の方が馴染みがあったってことなんだよ。」
「へえ、流石前田さん何でも知ってますね。」
「たまたまだよ、たまたま。」
前田は照れくささを隠すかのように、再びパスタを啜り始めた。旨辛い唐辛子が、舌を容赦なく刺激してくる。
「でも、凄いですよ。勉強になります。……ところで、前田さん、甘い露と言えば、志土商事が甘い蜜を啜っているって話はご存知ですか。」
碧海が話題を変える。
「ああ、あの会社は、帝国空港建設を主導してから、一躍注目されているからな。皇帝にも目を掛けてもらっていると聞くし。元々一代で築いた会社として、注目はされていたけど、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだからな。で、その志土商事がどうかしたのか。」
前田は口に含んでいたパスタを噛み砕き、飲み込んでから、碧海の言葉に応える。
「その志土商事が、今度また大きなプロジェクトを主導するらしいんですよ。」
「へえ、それは初耳だな。どこから流れてきた噂なんだ。」
前田は碧海の言葉を訝しむ。
しかし、この話は、噂話でもなんでもなく、碧海が友実キクから仕入れた最新情報だったのだ。噂話として流すようにと友実キクに言われ、早速、前田に吹き込んだのだ。
「ただの噂なんですけど、どうやら、帝国軍の基地を新設するらしくて、そのプロジェクトの指揮監督に志土商事が抜擢されたらしいんですよ。」
「建設会社でもないのにか。」
「そうなんですよ。だから、黒い噂が流れているんじゃないですか。」
「確かに。それは一理あるな。だけど、国際空港の前例があるからじゃないのか。」
「そうなんですよね。もし、国際空港の実績がなければ、完全に皇帝の口利きですよ。賄賂かなんかくれてやったに決まってますって。」
「まあ、可能性はゼロではないな。でも、赤城帝や、帝国政府に黒いカネの流れはないって、先生は断言されていたぞ。」
「そうなんですよ。それがおかしいじゃないですか。確かに星野製作所は大企業ですよ。カネだってタンマリある。何不自由ないかも知れないですけど、それだけで、皇帝の座に納まってるなんておかしいじゃないですか。」
「そうかな?権力って言うのは、時にカネよりも魅力的に映ることがあるからな。資金源さえあれば、カネに執着しなくなることがあっても、不思議ではないと思うけどな。」
「そんなもんなんすかね。俺には金持ちの考えることは良く分からないっス。
でも、庶民の考えることなら分かりますよ。『この国を皇帝の手から市民の手に取り戻そう』って気持ちは、絶対変わりませんから。」
「そうだな。俺たちはそれを目標に掲げて、この十年頑張ってきたんだからな。」
「ですよね。今でも、先生を大統領にするって目標は失っていませんから。」
「ああ。もちろん。先生こそ、この群馬を率いていくに相応しい人物なんだ。だからこそ、俺たちはこうして先生を陰ながら支えてきたんだからな。」
「そうですよね。」
二人はこうして、盛り上がりを見せながら、旨辛いパスタを食べきると、ペットボトルの水をがぶ飲みした。
「ところで、前田さん、帝国内で不穏な動きがあるって話、ご存知ですか。」
水を飲んで、人心地ついたところで、碧海が再び口を開く。
「ああ、赤城帝を暗殺するとかなんとかって噂だろ。」
ティッシュで口元を拭っていた前田が応える。
「そうです。あれって、どうなんですかね。」
「どうって言われてもな。……まあ、俺から言わせれば無謀だろ。彼は殆ど人前には顔を見せないし、自宅も庁舎内に移したし、唯一可能性があるとすれば、墜星宮参拝の時ぐらいだけど、それだって関係者しか入れない地下駐車場で出入りしてるって言うしな。ハッキリ言って、無理な話、無謀ってことだな。」
前田は呆れたような口調で、碧海の言葉を全面否定する。
「そうっすよね。でも、今度、日本国の総理大臣が直々に来群するらしいので、その時に人前に姿を見せるんじゃないかって話なんですよ。」
「それを狙うってか。馬鹿馬鹿しい。それこそ、両国のSPやら警護が大量に付くんだ。蟻一匹通れないよ。」
「そんなもんっすかね。」
「そんなもんだよ。……ってまさか、お前もバカなこと考えてねぇだろうな。」
あまりに突飛な話に、もしやと思い、単刀直入に前田は碧海を問い詰める。
「考えてませんよ。俺にそんな度胸ある訳ないじゃないですか。それに、どうやって暗殺するんですか。武器だってないのに。それこそ刃物かなんかで突撃してったら、すぐに取り押さえられて終わりですよ。」
碧海は、腹一杯になったお腹をさすりながら、ないないとばかりに片手を顔の前で振る。
「だよな。まあ、お前がそんなバカなことをするとは思わないけど、本当に辞めとけよ。命がいくつあっても足らないぞ。家族だって悲しむことになるし。先生だって、俺だって、お前がいなくなったら、困るんだからな。」
「安心してくださいって。そんなことしませんから。」
「それなら良いけど、冗談じゃなく本当にバカなことはしないでくれよ。」
前田は、碧海の肩に手を掛けて念を押した。
その顔は、弟を心配する兄貴分としての表情があったのだった。




