第拾話
友実キクは、自分の事務所で西蓮寺芽瑠と話をしていた。
日本国警察庁特務課である西蓮寺芽瑠は、土屋碧海からの依頼を引き受けてくれた人物である。
引き受けたと言っても、実際は西蓮寺自身の調査内容と、碧海の依頼内容が被っていただけなのだが。
「で、首尾はどうだいね。」
九十を超える老婆とはいえ、友実は矍鑠としており、いつものように自家製の麦茶を飲みながら、西蓮寺に問い質していた。
「はい。上々とは言えないまでも、順調に外堀を埋めています。」
西蓮寺はいつものように綺麗な標準語で答える。友実が出した麦茶を飲むその所作は、まさに掃き溜めに鶴のようで、この古びた事務所にいること自体が似つかわしくない。
「そうかい。それにしては、時間がかかりすぎてるんじゃねぇかね。」
自分も若い頃はこんな風に洗練された美人だったんだぞと、張り合う気持ちを抑えつつも、イヤミのように言う。
「申し訳ございません。その点についてはお詫び申し上げます。ただし、今、本国からスペシャリストを呼んでおりますので、その者が到着次第、ご依頼の件は解決すると考えております。」
友実のイヤミにまったく動じることなく、西蓮寺は淡々と答える。
「そうかい、そいつぁ良かったがね。でもな、もうすぐ十年になっちまうんだいね。そろそろなんとかしてくれねぇと困るんさ。」
帝国は建国から既に十年が経とうとしていた。そして、建国後すぐに崩壊へと向かうと思われていたが、いつの間にか持ち直し、今や引きも切らない入国ラッシュとなった。 帝国は国としての体裁をなんとか保っており、それどころか軌道に乗りつつあって、完全に機会を逸したと言っても良い。
「仰ることはごもっともです。しかし、準備に時間がかかってしまいましたので。」
西蓮寺は言い訳じみたことだと分かっていても、そう答えるしかなかった。
「なんの準備が要るんだいね。本国からそいな人が来りゃあいいだけじゃねぇか。」
友実はそんなことは百も承知だと言わんばかりに、西蓮寺に詰め寄る。
「はい、そのとおりです。ですが、現在、この国への入国は非常に厳しい検問が敷かれ、偽造パスポートなどは、なぜか見破られてしまう次第です。当方も何度か試みたのですが、すでに十数名が強制送還、もしくは拘禁刑の憂き目に遭っております。」
この言い訳を何度したかは覚えていない。しかし、西蓮寺は忸怩たる思いで、同じ言い訳をするしかなかった。
「その言い訳は何度も聞いたわけよ。あんたらぁ偽造パスポートの精度が悪いんじゃねぇかね。」
友実は痛いところを突く。当然、友実自信も分かっている。国が発行する身分証明書に、パスポートである。その内容に虚偽が含まれていたとしても、発行しているもの自体は本物である。偽造の技術が稚拙なのではない。
情報自体に改竄があることが、国境警備隊に見破られているのだ。
「もちろん、それは充分あり得ます。ですから、最新の偽造技術を以て望んだのが3年前の人物でした。しかし、完璧かと思われた偽造パスポートも見破られ、今その人物は帝国の刑務所に収監されています。」
西蓮寺は原因が分からないと言ったように、顔を曇らせる。
「そんじゃあ、手はねえんじゃねえかね。」
友実はそんな西蓮寺の表情などどこ吹く風だ。
「いえ、最終手段を我々は用意しました。矢島虹華という人物です。」
西蓮寺の表情は、希望を持った目付きに変わる。
「矢島虹華って言やぁ、そこそこ名の通ったスパイじゃがね。そんなもんに頼るんかいね。」
友実は耳馴染みのある名前に、驚きを隠せなかったが、それがどうしたと言わんばかりの表情で切り返す。
「ええ。ご存知でしたか。彼女は凄腕のスパイとして、我が国における特級案件においてこれまでも活躍してきた人物です。今回は、苦肉の策ではありますが、彼女に頼ることになりました。現在、彼女の入国に関しては秘密裏に進めております。」
友実が矢島虹華の名を知っていたことに驚いたが、西蓮寺はそれでも平静を装い、話を続けた。
「で、その人はいつここに現れるんだい。」
友実が話を促す。
「はい、すでに潜入準備は済んでおりまして、一両日中には入国し、我々の拠点において様々な準備をおこなってから、作業に取りかかる予定になっております。」
今後の予定を話す西蓮寺の顔は、希望が見え隠れする反面、不安が覆っていた。
「ほう、そいつぁ嬉しい知らせじゃねぇか。漸く動き出しそうなこったね。吉報を待ってるよ。」
友実はその皺が覆った顔に漸く笑みを湛えた。
「はい。楽しみにお待ちください。」
西蓮寺は少し口角を上げ、大きく頷いた。
二人が一息入れて、麦茶を口にしていると、そこへ土屋碧海がやってきた。
「ばあさん、首尾はどうだい。」
部屋に入ってくるなり開口一番、碧海が聞く。
「こら、お客さんだいね。挨拶をおし。」
友実が窘める。
「あっ、いらっしゃい。って西蓮寺さんじゃないですか。どうですか、その後は。最後の人が入国に失敗してから、もう大分経ちますけど。」
碧海が西蓮寺を認め、慌てたように挨拶をし、現状について尋ねる。
「はい、そのことで、今日お伺いしました。」
西蓮寺は碧海へ顔を向けると、ニコリと笑みを湛えた。
「そうなんですね。進展があったんですか。」
碧海はホッとしたような表情になる。
「はい、詳しいことはお教え出来ませんが、協力者が帝国内に潜入する目処が立ちまして、いよいよ調査を本格的に開始出来るところまで漕ぎ着けました。」
西蓮寺は言葉を濁しながらも碧海に答える。
「そうかぁ、それは良かった。これで、あいつらの鼻を明かしてやることが出来るんですね。苦節十年。ウチの先生も地道に活動を続けてきましたから、漸くこれで報われるってもんです。あっ、ウチの先生って福田紗蘭議員なんですけどね。」
碧海は心底安心したようだ。大きく溜息を吐き、聞いていないことまでペラペラと話し始めた。
「はい、存じております。福田議員にも色々とご尽力いただき、我々も秘密裏に活動が出来るので、感謝しております。よろしくお伝えください。」
西蓮寺は社交辞令のように笑顔を見せる。
「はい。きっと先生も喜ばれると思いますよ。これで、皇帝面しているあいつを引き摺り下ろすことが出来るんですから。こちらこそ、よろしくお願いします。」
碧海は、西蓮寺に向かって頭を下げた。
* * *
翌日、碧海は福田紗蘭議員に直接報告をした。
議員の事務所に現れた福田は碧海の報告を熱心に聞いてくれた。
「そうですか。これでいよいよ、調査が本格的に始動する訳ですね。喜ばしいことです。私たちは帝国民として既に十年の年月を過ごしてきました。無為に過ごしてきてしまったと言っても過言ではないでしょう。
帝国になって本当に良かったのか、いまだに疑問に残る部分が多分にあります。
確かに生活は以前と比べ改善した部分もありますし、人口も大幅に増加し、人手不足や少子高齢化の問題も解決に向かいつつあります。
ですが、それは表向きのこと。土屋さんが仰るように、水面下で何がおこなわれているのか、我々群馬人は何処に向かわされているのか。それだけが気がかりではあるのです。
ですから、土屋さんその調査報告、群馬人の希望の光として届けてくださることを、心から楽しみにしております。よろしくお願いしますね。」
福田は碧海を諭すように語った。
「もちろんです。この調査結果はきっと希望になると私も信じています。吉報となることを信じてお待ちください。こちらこそよろしくお願いいたします。」
碧海はハッキリとした口調で言い、大きく頭を下げた。
碧海は福田に報告を済ませると、その足で前田裕也の所へと向かった。選挙事務所の同僚運動員である彼は、碧海の面倒を良く見てくれた。碧海をこの事務所の運動員として誘ってくれたのも彼である。
碧海は前田に恩義を感じていた。仕事もなくフラフラしていた彼に、曲がりなりにも職を与え、自力で食えるようにしてくれたのだから。
「前田さん、お疲れ様です。どうですか、その後の首尾は。」
碧海は裕也の顔色を伺うように、尋ねる。
「首尾かぁ。まあ、何ともしがたいわな。」
裕也は気落ちしたような表情で項垂れる。
「どうしたんです。何かあったんですか。」
「まあ、あったと言えばあった、なかったと言えば何もなかった。なかったことが問題なんだけどな。」
「どういうことです。」
「要はまったく進展無しなんだよ。」
「首尾が良くないってことですね。」
「まあ、そういうことだ。」
「でも、順調だって仰ってたじゃないですか。」
「まあ、当初はね。でも、ここに来て袋小路に迷い込んだように、にっちもさっちも行かなくなってしまったんだよ。」
「打開策はあるんですか。」
「なくはないが、打開策になるかどうかはまったくの未知数だね。」
「それじゃ、どうしようもないんですか。」
「そんなことはないよ。各方面に手を回して、打開策を模索している最中さ。」
「では、望みは潰えていないんですね。」
「そうだね。望みの火は消えてないよ。」
「それじゃ、その火を必ず大火にしましょうよ。私も出来る限りお手伝いしますから。」
「そうか。そう言ってくれると助かるよ。」
「必ず成功させましょう。」
「そうだね。成功させたいな。よろしく頼むよ。」
「こちらこそ。」
碧海と裕也は固く握手を交わしたのだった。




