5話 その悪役令嬢は社交嫌い
朝の光が、レース越しにやわらかく差し込んでいた。
白く塗られた壁は、陽の光を受けてほんのりと金色を帯び、腰の高さまで縁取られた木壁が、空間に静かな重みを与えている。
食堂は大広間ほどの豪奢さはないが、整えられた美しさがあった。
白地の絨毯には、幾何学模様が丹念に刺繍されており、歩くたびに足元がふわりと沈む。
窓辺には薄絹のようなレースカーテンが揺れ、風の通り道をそっと教えてくれる。
テーブルの中央には、意匠の凝ったガラスの水差しが置かれ、朝搾りのミルクがなみなみと注がれ、光を受けて乳白色の波紋を揺らしている。
その隣には、三つのティーカップが並んでいた。
一つは、青薔薇の繊細な絵柄があしらわれたカップ。
リリアナの席に置かれているそれは、彼女のドレスと同じく、どこか冷たく、けれど凛とした美しさを湛えていた。
侯爵夫人クララのカップには、深紅のリコリスが描かれている。
艶やかで、どこか儚げなその花は、彼女の静かな強さと重なるようだった。
そして侯爵の前には、大きな牙を剥いた虎の絵柄があしらわれたカップ。
白磁に描かれたその猛獣は、まるで今にも咆哮しそうな迫力を放っていたが、侯爵がそれを手に取ると、どこか微笑ましく見えるのが不思議だった。
食卓には、焼きたてのパンと、季節の果物を使ったジャム、香ばしく焼けた肉と卵料理が並んでいる。
リリアナは、そっと青薔薇のカップを持ち上げた。
(……この空間、落ち着くな。
だけど、少し肩がこるのは、やっぱりオレは令嬢なんかじゃないからだろう。)
ミルクティーの優しい甘さが、ほんの少しだけ、心をほどいていく。
「このミルク、今朝の搾りたてかしら?
少し甘い気がしますわね」
クララは、まるで寒さに耐える小鳥のように、両手でカップを包み込んだ。。
(仕草が、ずるいくらいに可愛いじゃないか)
「搾りたてなんて久しぶりに飲みましたわ」
「ん?
うちのは、いつも搾りたてだがの」
侯爵は首を傾けた。
(しまった。滅菌されて長持ちするパック牛乳なんてこの世界にはないんだ)
「き、記憶を失うぐらい美味しかったのです!」
恥ずかしそうに頬を赤くして膨らませるリリアナを見て、侯爵とクララは顔を見合わせ、声を出して笑った。
「そうか、朝だけでなく毎食用意させるからの」
「……朝食だけで結構ですわ!」
気恥ずかしさをごまかすように、リリアナはナイフとフォークを動かして口に運んでいく。
「それはそうと、リリアナ。
昨日渡した手紙に目を通したか?」
手早く朝食を平らげた侯爵は、口を拭うと、リリアナに話しかけた。
皇子の婚約者であるリリアナには、舞踏会のお誘いが殺到しているのだが、当のリリアナは全く乗り気ではなかった。
(この前、侯爵家で行われた舞踏会ですら、慣れないヒールだったから、歩いて座るだけで精いっぱいだったんだ。
それに、貴族たちのさ、一挙手一投足を値踏みするようなあの視線。
苦手なんだよ。
小さい声で「氷の令嬢」ってヒソヒソ噂しているのも聞こえてきてたしな)
「ええ、手紙に目は通しましたわ。
けれど……」
(正直、行きたくない。
ただ、侯爵令嬢であるリリアナとしては、社交は半ば仕事のようなもの。
さて、どう断れば角が立たないか)
目を伏せたリリアナを見て、侯爵は豪快に笑った。
「伯爵令息ごとき、相手もしたくないか?……ふむ、そうか」
(あれ、侯爵はあまり怒ってないな。
じゃあ、正直に話すか)
「ええ。
そんなものより、私には剣や杖の方が合っているみたいですわ」
リリアナはそう言うと、侯爵に一礼して食堂を去る。
「リリアナは本当に剣や魔法が大好きなのですねえ」
クララは他意なくそう言った。
「伯爵では足りないか……くくく、参ったな。
伯爵で足りぬのであれば、お前はどこまで望むのか。
皇太子の妃で収まるか、それとも……」
侯爵は不敵な笑みを浮かべている。
その後、メイドたちは屋敷中でヒソヒソ噂話をしていた。
「利用できないものには会いたくないんですって。
伯爵なんて剣や魔法以下だって……」
「伯爵令息をそんなものって言ったんでしょ?
感じ悪いわね……」
中庭で剣を振るうリリアナを遠目に、メイドはひそひそ話を続けた。
(あの……私の耳にはっきりと悪口が届いてくるんですけど。
風のせいですかね?)
冷たい秋風が吹き、落ち葉と一緒に、誰かの声が空へと舞い上がっていった。
悪意に満ちた言葉ほど、風はより遠くへんでいくらしい。
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