4話 悪役令嬢と社交辞令
ノルノの明るさが、未来に震えていたリリアナの心を解きほぐしていた。
「お騒がせしてすみません、リリアナ様」
エドガーが音もなく近づいて来て、ノルノの両頬をペチペチと叩いた後、猫耳をびよーんと引っ張った。
「びみゃああああ!」
「ハチの巣を壊すだけでなく、家宝のトゲトゲツボもすんでのところで台無しになるところでしたな…… この猫は徹底的にしつけなおしておきます……ほら、リリアナ様に謝りなさい」
「ご、ごめんなさい……」
エドガーは、ノルノの頭を押さえつけた。
(しかし、暴力はいけない。
執事長エドガーはブラック企業も真っ青なパワハラ具合だ。
ちょっと、釘を刺しておくか)
「もう結構ですのよ。
ねえ、エドガー。
あなたほどの方が、たった一匹の猫も躾けられないなんて……
侯爵家筆頭執事の力量はそんなものかしら」
視線を突き刺されたエドガーの顔面は蒼白、冷たい汗が滝のように流れ、場の空気は完全に凍り付いた。
「……返す言葉もありません」
「部下をネチネチと叱責する暇があったら、すぐにでも中庭を綺麗にしてはどう?」
「仰せの通りに、お前たち!」
「「はい!」」
エドガーとメイドたちは馬車馬のように働きだした。
「リリアナの命令で執事たちが見違えるように動き出したわい。
今日の舞踏会で、みなにここまで躾けられたメイドたちを見せることができるとはな」
その様子を屋敷から見ていた侯爵はご機嫌だ。
てきぱきと仕事をこなすメイドたちの表情は能面のように微動だにしない。
(……うわあ、空気が激重になってる。
エドガーがあまりノルノたちをいじめないように気を使ったつもりだったが、逆効果だったようだな)
陽が落ちかけた中庭を後にして自室へ戻った。
★☆
侯爵家の屋敷の中に白亜の壁に囲まれた大広間がある。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、香炉から立ちのぼる白煙を乱反射し、光の槍のように来客たちを貫いていた。
侯爵にエスコートされ、螺旋階段を下りてきたリリアナは、氷のように淡い青のドレスをまとい、赤い絨毯の上を静かに歩く。
(歩きづらい……こけたら大恥だからゆっくりと歩くしかないな)
その姿はあまりに美しく、誰もが息を呑んだ。
「……ダンスに誘わないのか?」
「オレなんかとても……」
そのあまりの気高さに、誰もが「高嶺の花」として彼女を遠巻きに見つめるだけだった。
(誰も声をかけてこないのは助かるけど……皆の視線は突き刺さってくる。
まるで、ガラスの檻に入れられた実験動物みたいだ。)
会場の隅では、精密な機械のように働くメイドたちが、無駄のない動きで給仕をこなしていた。
その統率の取れた動きに、来客たちは思わず目を奪われる。
(あんなに無表情で働かせると、メイドたちの心が持たないぞ。
うーむ、早く職場環境をなんとかせねば……)
「あれが噂の“氷の令嬢”か……屋敷の者たちがまるで機械のようにお勤めを果たしている」
「あの執事長の下で、あそこまで鍛えられるとは……」
「侯爵家、恐るべしだな」
侯爵家のメイドたちの働きぶりと、リリアナの氷のような気高さを、招待客は土産話として持ち帰った。
★☆
舞踏会の翌日。
リリアナは中庭の奥にある魔法練習場にいた。
(中庭でやるのは爽快なんだけど、芝生が傷んじゃうからな)
庭師の侯爵家の芝生にかける意気込みは並々ではない。
この前、氷魔法をぶっ放した後、一生懸命養生する職人の姿にリリアナは心を打たれたのだった。
魔法練習場は、耐火、耐衝撃、防音も甘美な優れもの。
(容赦なく魔法をぶっ放せるな。
くしゃみも魔法も我慢するのが一番体に悪いからな。
ここなら、誰もいないから、所作に気を使う必要もない)
ゴキゴキと体の骨を鳴らし、胸の高鳴りを抑えきれぬまま、今から侯爵家に伝わる血統魔法を試し撃つ。
魔法練習場の空気が、ピンと張り詰めていた。
冬でもないのに、吐く息が白く曇る。リリアナの足元に霜が広がり、黒壁を鏡のように凍らせた。
まるで踊るように大きく精緻な陣を描き、その後、両手を胸の前で組んだ。
「凍てつく理、静謐の王冠よ——
万象を封じ、欺きの者を氷の檻へ導け
我が意に応えよ、《水晶迷宮》!」
視線の先には、練習台として等身大の藁人形が置かれている。
地面が唸りながら霜を這わせ、氷の波紋が広がっていく。
次の瞬間——
地面が裂け、純白の氷が立ち上がり、巨大な氷城を形成していく。
壁は水晶のように透き通り、光屈折させて、見るものに万華鏡の中にいるような錯覚を与える。
高い天井からは氷柱が垂れ下がり、研がれて鋭く光っていた。
床は鏡のように滑らかで、リリアナの姿が幾重にも映り込む。
(誰も逃がさない。
これは、詠唱者が敵と二人だけの空間を作り出し、意のままに裁くための魔法)
氷柱は、主の意のままに、標的を四方八方から串刺しにするよう設計されている。
「氷城よ、咎人を意のままに……裁け!」
無数の氷刃がわら人形に襲い掛かり、轟音を立てる。
少しの静寂の後、氷城は消え、その場には無数に刻まれたワラが散乱していた。
(とんでもない威力だが、魔法陣が細かすぎる……どうやって使いこなすんだ、これ……)
大量の魔力を消耗したリリアナは、ふらつきながら長椅子に座ると、背後から甘い香りが漂ってきた。
振り返れば、侯爵夫人のクララが銀の盆を手に立っていた。
「お疲れさま。
リリアナ、少し休憩なさってはいかが?」
「お母様……」
盆の上には、焼きたてのマドレーヌが並んでいた。
表面にはハチミツと粉砂糖がかかっていて、きらきらと輝いている。
(……マドレーヌみたいなしっとりした焼き菓子、久しぶりに見たな。
残業したときにだけ、ご褒美にコンビニで買って、夜中に食べてたっけ。
身体に悪いのは、わかってるんだけどさ)
リリアナがマドレーヌを受け取ろうと立ち上がる。
「失礼します」
クララのすぐ後ろに控えていた、メイドたちがすぐさま長椅子に敷布をならべ、持ってきたテーブルにクロスをかけ、あっという間にアフタヌーンティーの支度が出来上がる。
クララは優雅に椅子に座ると、手招きをした。
「いらっしゃい、リリアナ」
リリアナは、ぎこちなく一礼し、母の横に座った。
「お心遣い、痛み入りますわ」
母であるクララは微笑んだ。
「私の前でくらい、子どものように話してもいいのですよ?」
一瞬、言葉に詰まった。
(くそ……やっちまった。
社交辞令スマイルを母親に使うとか、社会人の悪癖でしかない……)
リリアナは頭をかいた。
(オレは、少女が母親と話す態度なんてミジンコほども知らないんだよ……)
「では……あ、ありがと。
いただきます」
マドレーヌをひと口かじる。
焼きたてのマドレーヌからは、バターと蜂蜜の甘い香りが立ちのぼり、指先にほんのりとした温もりが残った。
(甘さが舌に広がるたび、胸の奥が少し痛むんだ)
クララは、そんなリリアナの様子を見て、そっと言葉を添える。
「あなたが努力しているのは分かっています。
無理をしすぎないでね。
あなたは、あなたのままでいいのよ」
リリアナは何も言えず、ただうなずいて、もう一口マドレーヌをかじった。
(なぜか少しだけ苦い)
少し離れた場所で、メイドたちがひそひそと話している。
「見た? あの冷徹令嬢、実の母親にまで社交辞令よ」
「……でもさ、あの顔、ちょっと泣きそうに見えなかった?」
「は? あれが? ないない。あの人は氷の令嬢よ」
リリアナはその声を聞きながら、何も言わずに空を見上げた。
(……違うよ。
ただ、どう接していいか分からないだけなんだ)
メイドたちの噂話を聞き、首を傾げるノルノ。
「リリアナ様は悪い人じゃないのです」
ノルノはリリアナと同じように空を見上げた。
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