3話 悪役令嬢と氷魔法
聞き耳を立て廊下に誰もいないことを確認したのち、リリアナは自室で思いっきりくしゃみをした。
「へっくしょい、畜生め!」
とんでもない大きな声でくしゃみをするこの少女は、リリアナ・アウグスト。
眉目秀麗、14歳の侯爵令嬢だ。
(あー、気持ちいい。くしゃみは我慢することなくぶっ放さないと気が済まないもんな。
……しかし、まさかこの華奢な少女の中身が、転生した40歳のおっさんだとは誰も気づかないだろうな)
ふと目をやった先、大きな姿見には引きつった笑いを浮かべるリリアナが映っている。
(「恋は火炎&氷塊」というゲームの登場人物リリアナは、15歳で断頭台送りの運命だ。
後一年しかないが、できるだけ生き残るよう今のうちに布石を打つしかないな)
窓から差し込む秋の陽光にまぶたが重くなるのを感じて、頬を叩く。
決意を胸に重いドアノブを握ると、足早に中庭へと向かった。
★☆
晴天の中庭。
リリアナと執事長エドガーは互いに一礼をした。
二人を横目に見ながら、メイドたちは中庭に箒を掛けている。
「……はじめ!」
リリアナは両刃の剣を振りかぶって構え、エドガーは自分の腰よりも低く剣を構えた。
「はああああっ!」
リリアナの剣が風を裂く。だがエドガーは、まるで落ち葉を避けるかのように半歩だけずれ、刃は空を切った。
「流麗な剣さばきですが……お嬢様。
敵を仕留めるつもりなら甘すぎる……はあッ!」
「く……」
剣を振った後のわずかな隙を突かれ、反撃したエドガーの連撃を、やっとの思いで防いだところで、エドガーは剣を納めた。
「……病から目覚める前とは違い、お嬢様の剣さばきには、絶対に生き残ってやるとの、強烈な覚悟が見えました」
エドガーは眼を細めた。
「……ですが、以前には見られた敵の弱点を狙い撃つ、天性の狩人のような攻撃力が、身を潜めたように思えました」
(……現代日本で生きてきたオレは、人を斬ることにどうしても抵抗がある。
令嬢と言えど、リリアナにはその覚悟が備わっていたってことか)
「ですが、領地、領民を守るが領主の役目。
心変わりは、領地を守りたいという領主たる自覚が備わった証でもございます。
執事長の私としては、リリアナ様の次期侯爵であらんとする、大きな覚悟を感じ、大変嬉しゅうございます!」
胸を張るエドガーの瞳は濡れていた。
リリアナは剣を納めると、右手をじっと見つめた。
(…………死にたくはない。けど、人を斬るなんて無理だ。
オレは部屋に入ったカメムシですら、捕まえたら外に逃がしてきたんだぜ?)
「リリアナ様、今日は手を抜いてるのかな。
いつもより攻撃が大人しいわ」
「そうね、やる気がないんじゃない?」
メイド達は箒を動かしながら、無駄話に余念がない。
「リリアナ様は、もしかして優しい人なのかも?」
リリアナの様子をじっと眺めていたノルノがつぶやいた。
その瞬間、メイドたちは大きな声で笑った。
「優しい? あの方が?」
「ないない。
昨日なんて、庭師が挨拶しただけで凍りついてたじゃない。目が」
(……陰口は小さい声で話した方が良いと思うけどな。
現に、お嬢様の私に聞こえてるんだけど)
鼻で笑うメイドたちに、ノルノは食い下がった。
「でも、リリアナ様をじっと見てたけど……」
「このバカ猫!
掃除中でしょ、ちらちら見るのはいいけど、じっと見ててどうするの。
掃除サボってるのが、執事長エドガー様にバレても知らないわよ?」
「……お嬢様の剣技は素晴らしいものでしたねえ、ノルノ」
「はい! お嬢様の剣は素晴らしいのです!」
いつのまにか近くにいたエドガーに、ノルノはえっへんと胸を張った。
「ねえ、みんな、そうだよね?
みんなじっくり見てたもんね?」
話しかけてくるエドガーの会話を受けて、ノルノは周りに声を掛けたが、既にもぬけの殻。
メイド達はノルノを見捨てて、遠くで真面目に箒を掃くふりをしていた。
「ふにゃあああああ! 置いていくなんてひどいのです!」
自分だけが置いて行かれたと知って、ノルノの尻尾はピンと伸びあがった。
「ノルノ。
あなたの仕事は掃除です。
お嬢様と私の剣の練習をのぞき見ることではないはずですが……」
「ふにゃ、ふにゃ……」
ノルノは旨い言い訳が出来るタイプではなかった。
「さっさと他の仕事に移りなさい!」
「は、はい!」
執事長エドガーの叱責に怯え、そこから全力で離れようとダッシュしたノルノは、中庭に植えられた大樹にハチの巣がかかっていることに気づいてなかった。
「ノルノ、前を見なさい!」
リリアナの注意が耳に入った時には、ハチの巣はすでにノルノの目の前。
「ふにゃあああああ!」
巣が粉々に砕け、黒と黄色の塊が一斉に空へ舞い上がった。
低い羽音が地面を震わせ、ノルノの背筋が跳ねる。
「た、助けてええええ!」
襲い掛かるハチ達を引き連れ、ノルノはメイド達目掛けて突っ込んでいく。
「バカ猫! こっちにくるなあ!」
「いやああああ!」
メイドたちは箒を放り投げ、集めた落ち葉を蹴散らして一目散に逃げ出した。
「お前たち何をやっているのです!」
エドガーの叱責もメイドたちの悲鳴にかき消されてしまう。
(……しかし、凄い数のハチだな。
一直線にノルノを追い回してるけど……そうか、ハチって黒いものを攻撃しやすいんだった)
黒いドレスをはためかせながら、ノルノは必死に逃げ続けている。
「危ない! ノルノ避けなさい!」
「みゃっ?」
ハチを気にして後ろを見ながら走っていたノルノが前を向くと、眼の前には、黒く大きなトゲトゲの壺。
「あれは【鋼鉄のトゲトゲツボ】!
その鋭いトゲで何人もの命を吸って来た、いわく付きの壺です。
侯爵家の秘宝を壊してはなりません」
(エドガー、呑気に解説しているんじゃないよ。
お前の部下がツボに突き刺さるところだぞ!)
「みゃああああ!」
ノルノがツボに激突する寸前、リリアナは手早く詠唱した。
(くそっ、間に合え……!)
リリアナは心の中で叫びながら、手を前に突き出した。
「天を突け、氷塊柱!」
轟音とともに地面から氷塊が突き上がり、ノルノとハチを天高く跳ね上げた。
「ふみゃ!」
飛び上がったノルノは、ネコ族の天性のバランス感覚で空中を旋回すると、優雅に着陸し、着地のポーズまで決めて見せた。
「みゃお!」
「さすが、リリアナ様! 侯爵家の家宝を守り切りました!」
エドガーは大きく拍手をしてリリアナを讃えた。
「水系の基本魔法もあれほどの威力……さすが私の娘、侯爵家の未来はリリアナにかかっておるわ!」
いつの間にやら窓を開け、中庭を見ていた侯爵は豪快に笑った。
メイドたちは、つられて拍手をしながら、冷ややかな目でヒソヒソ話を始めた。
「家宝を守るために、躊躇なくメイドを吹っ飛ばしたわ」
「猫族だからいいけど、私たちだったら死んでるわよ」
(何故だ……メイドたちの眼が冷たい。
オレは家宝なんてどうでも良くて、ノルノを守りたかっただけなんだが……)
「リリアナ様!」
人懐っこい笑顔を浮かべて、ノルノがこちらへ走って来た。
「ノルノ、身体を氷塊に打ち付けていたけど、大丈夫?」
「ネコ族は丈夫なのです!」
ノルノはその場で跳びあり一回転して元気であることをアピールした。
天真爛漫なノルノを見て、リリアナの頬が緩んだ。
(メイド達には嫌われたままだが、ノルノを助けることは出来た。
私の断頭台の未来だって、もしかすると変えられるのかもしれない)
風邪が落ち葉を舞い上げ、陽光が中庭に降り注いだ。
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