084話 その声におかえり
「昨日はお世話になったけど、橘営業所には戻れないからねっ」
手すりに掴まりおぼつかない足取りで鷹野家の階段を降りて来た菖は、俺の左2メートルほどの空間をビシっと指差して、開口一番にそう言った。
赤茶の髪は寝癖により、いつにも増して跳ねている。前髪だけは自分で切り揃えていたようだが、散髪に行かなかった菖の髪はこの半年でもう肩まで伸びていた。橘営業所ではジャージで寝ていたが、今は母に着せられたであろうパジャマを着ている。ヘルメットもメガネもしていない菖の姿はどこか新鮮だった。
「……俺はここだぞ」
俺がそう言うと、菖は恥ずかしげもなく俺の声のする方へ指先を向け直そうとする。しかし振った腕は勢い余って壁にぶつかった。
「痛っ!!」
菖の目は、視えていない。
昨日、菖を追ってきた俺は、ヨミワタシの修験道場にてすんでのところで彼女の手を取った。
以前取材時に立ち寄った鷹野家――そこに菖を担ぎ込むと、薊さんは俺たちを直ぐに温かい部屋へ受け入れてくれた。2人はやはり親子であり、薊さんは3年前に数時間会っただけだの俺の事も覚えていてくれたようだ。
「こんなとこに住んでんだ。そもそも普段から会う人が少ないから、ちょっとの記憶でも残るのさ」
そんな風に言っていた。
風呂に入る体力すら菖には残っていないとみるや、自室のベッドに寝かせて、湯に浸けたタオルやらストーブやらで介抱していたようだ。その間に俺はお風呂をいただき、こちらも冷え切った身体を温めた。
風呂から上がり、用意していただいた少し大きめの部屋着を着ると、居間では菖の介抱を終えた薊さんがテレビを見ていた。
俺はお礼と、そして事情を説明しようとするが、薊さんはそれを制止する。
「この件は菖にケジメを付けさせる。先ずアイツの口から説明してもらわなきゃ筋が通らん。だからアンタも、今日のところはその身体を休ませな」
そう言うと、薊さんは寝床を用意してくれた。
「娘を助けてくれたこと……感謝する」
菖がどんな状況だったか、俺たちがどういう関係なのか、何故俺が菖を担ぎ込んで来たのか、薊さんはどこまで知っているのだろうか。きっと知らないことも諸々を推し量って、ただひとことそう言った。
そして翌日、俺より大分寝坊した菖が、起きてくるなり俺を指差して言い放ったのである。
「……もう体調は良いのか?」
俺はふらつく菖の手を取り、リビングまで誘導する。
「視えないだけで身体の方は大丈夫」
菖の実家。そのダイニングテーブルのイスに菖を座らせると、ちょうど洗濯機を回していた薊さんが脱衣所から戻ってきた。
「さぁて、こってりと絞らせて貰おうか」
菖が起きてきたことに気付いた薊さんは、これ見よがしに指を鳴らしながら菖の正面に座る。俺も倣って、菖の隣の椅子に腰を下ろした。
「お手柔らかにお願いたしたいね」
そう言うと菖は、もう前置きもせずに話し始めた。
母である薊さんには視力が戻ったと伝えていたが、それは半分嘘で実はスマホのチカラであったこと。そのチカラでお母さんのスマホを覗き見て、事故の日に自分と父が会っていたと知ったこと。
それは俺にとっても初めて聞くことだらけだった。菖はそこら辺の事情を母にうやむやにしたまま家を飛び出して東京に来て、それを拾ったのが俺だったということだ。
「俺は3年前に鳥狩村を取材した。今にして思えば菖はスマホのチカラでそれを知ったんだろうが……そもそもどうしてそれだけで俺に近づこうと思ったんだ?」
菖はああ見えて打算で動く。
だからあの初対面の直前に俺のスマホの取材メモファイルを覗き見していた、というのは悔しいが腑に落ちる。
なら、取材の内容が知りたかったから俺に近づいた? いや、ヨミワタシの伝承なんて本人の方が詳しいだろう。
「あー……ここまで来たら、話さないワケにはいかないよね」
菖は目を泳がせながら……と言っても何も視えていないのだろうが、やや気まずそうに勿体ぶる。
「ツワブキ出版の元社長、小鳥遊丈は私のお父さんなんだよ。それが私のワスレモノ」
「なっ――!」
――そんな事、考えもしなかった。
おやっさんに娘がいる事や女房と別れた件について、酒の席で一度だけ聞いたことはある。だとしてもそれが目の前にいる2人だったとは、思ってもみなかった。
「薊さんは……あの取材の日の時点で、俺が社長……旦那さんと繋がりのある人間だとご存知だったのですか?」
「あぁ、丈から事前に連絡があったしな。つーか菖はそんな事も説明せずに居候してたのか」
昨晩菖を担ぎ込んだ俺に薊さんが説明を求めなかったのは、おやっさんと俺の繋がりを知っていたからであり最低限の信用はされていたのだ――と合点がいった。
そしてずっと疑問だったことがあった。
俺の記者としての最後の仕事であった取材は、どこぞのオカルト雑誌に寄稿するという案件だった。しかし、俺が取材に出る日にはもう倒産は決まっていた筈なのだ。
それならば何故、おやっさんは無駄になり得る取材にわざわざ俺を行かせたのか。当時は、倒産の説明をするのが苦しいおやっさんが、社員をなるべく会社から遠ざけたのだと思うことにしていた。しかしおやっさんの性格的にそれはあまり納得のできる答えではなかった。
「……あの日、社長に言われて薊さんにお渡ししたものがありましたね」
もし、あの取材自体が嘘の案件だったとしたら。
俺がおやっさんから持たされた、取材の謝礼品だと思っていた小包の方に意味があったのではないだろうか。なにせそれは、元妻へ向けた品なのだから。
「丈から連絡があってね。ウチの若造に持たせた品を受け取ってくれって。……あの時のそいつがこれだ」
そう言いながら薊さんは用意していたかのように、ライターより一回り大きいくらいの細長い黒いガジェットを、机の上に置いた。
「えっ、なになに……?」
眼の見えない菖が説明を促す。
それは、ボイスレコーダーであった。
俺はそれをひっくり返して裏面を見る。そこには見慣れた4桁の資産管理番号のシールが貼られている。間違いない、ツワブキ出版で使われていた物だ。
「これは……ツワブキ出版の備品です。ただ、電池切れのようで中身の確認は難しいですね」
「欲しければ持ってっても良いよ。保管しとけとは言われてないからね。なんならこれに合う電池探してこようか?」
薊さんは俺を気遣ってか、この機器の真相に迫ろうと提案してくれた。
「いえ……いや、ありがとうございます。ひとまずこちらは、責任を持って預からせていただきます」
何やら分からず置いてけぼりな菖が、脇でつまらなそうに頬を膨らませているのが見えた。




