085話 in need/indeed
結局、その日のお昼は鷹野家でご馳走になった。
大したものは作れないと念を押されたが、それでも数品のお惣菜の他、団子餅にすまし汁を注いだ郷土料理も振る舞っていただいた。中には餡が入っており甘く、そして温かい。
俺の座る正面では、目の視えない菖が薊さんに口まで運んで貰っている。
「そんで、奇跡的に丈と関係のある人を見つけたってのに、半年近くも一緒にいて何で話が進んでねぇんだよ」
薊さんが呆れた口調で娘に問いかける。
「んーなんていうかさ、どう聞けば良いか悩んでたら時間ばっか過ぎてっちゃって」
これは恐らく事実。
ワスレモノを探しに来たと菖は言っていたのに、俺と暮らす中でアクションをする素振りを見せなかった。しかし、あの看病してもらった日の菖の言葉を思い出した今なら分かる。菖は父親について、俺に聞くチャンスを窺っていたのだ。
なのに聞けなかった理由があるとしたら、それは菖が気付いていたからだ。俺がおやっさんと過ごした記者時代に、未だ折り合いの付けられない話したくない問題を抱えている事を。
菖はその印象よりもずっと、俺の事を慮っている。
「なんだそりゃ……じゃあ何も話さず、お前は一体どういう了見で橘さんにお世話になってたんだか」
娘の食い扶持となっていた俺の手前ということもあるだろうが、薊さんは菖を咎めるように言葉を促す。
「……友達になったからだよ」
珍しく菖は照れるようにそう呟いた。
それは俺も予想だにしていなかった、不思議な響きだった。
「……っぷ、……ははっ、傑作だ! お前がウチに友達を連れてくるのなんて初めてじゃんか!」
「ちょっと! おつろーくんの前であんまそういうコト言わないでよ!」
菖は薊さんの口を塞ごうと闇雲に手を振る。
そんな娘には視えていないだろうが、母親は言葉とは裏腹に慈愛の瞳で娘を見つめていた。
確かに菖は地元には同世代が居らず、上京後もクラスメイトの中では上手く友達を作れなかったと言っていた。娘から友達の話を聞くことが無かった母親にとって、俺の存在は歪でも祝福に足るのかもしれない。
俺にとっては、どうだろうか。
干支一周の年齢差だ。良くても親戚のおじさん、悪ければパトロン程度に思われている覚悟はしていたし、けれど昨日は格好をつけて色々と口走ってしまった。
それの答えとして不意を突いて出た友達という言葉は、意外で、むず痒く、少し間抜けで、でも温かみを感じられた。友人になるのになんて、年齢も性別も出自も関係ないのかもしれない。
だから俺も、想いに応えたいなんて考えてしまう。
「社長……小鳥遊丈さんの捜索、俺が引き継ぐ」
「えっ、どうして? 流石に申し訳ないよ」
橘営業所は菖を失うため馬力が落ちる。その上でプライベートまで自分の都合に縛ってしまう可能性に、菖はすぐに気付いたのだろう。
「俺もお世話になった人だし、菖にとっても大切な人なら尚更、今無事でいるのか知りたいんだ」
秋山によるとおやっさんは公安に追われているのだ。職業柄反体制的な行為に及んでいるかもしれないし、その身を案じても心配し過ぎという事はない。
「ちょっとっ……急にカッコつけないでよ」
「友達、なんだろ? なら少しは俺にも背負わせてくれ」
菖はまだくすぐったそうにモニョモニョと口籠るが、お構い無しで薊さんが口を開く。
「丈は昔から危ない橋ばっか渡ってた。私が言うと冷たく聞こえるだろうが、あんな奴放っておいた方が良い人生歩めるぞ」
夫婦間の問題は解らないが、薊さんが俺を気遣ってくれていることは伝わってくる。おやっさんが公安にまで追われてる事は知らない筈だが、それでも推し量れる部分はあるのかもしれない。
そんな気遣いはありがたいが、俺が退く理由にはならない。
「記者として未熟だった自分を育ててくれたおやっさんには大恩があります。彼が危険に晒されているのであれば、何か助けにだってなりたいんです。それに、これは自分自身のケジメでもあります」
何もかも中途半端に投げ出してしまった記者としての自分。
おやっさんを探す為には少なからずそんな過去にも向き合う必要がある。その記憶に触れるのは未だ憚られるが、それでもそろそろ前を向くべき時が来たのかもしれない。
あのボイスレコーダーがここにあるのだって、因果を感じずにはいられない。
けれど俺を突き動かす一番の理由は――
「――菖が、そう思わせてくれました。過去の失敗に固執せず、自分の想いを大切にして突き進む。それを間近で見てたら、俺だっていつまでもうじうじしてられない」
菖の視えてない瞳は、それでも俺と視線を合わせようとしない。紅潮した頬に唇を尖らせるその表情は、きっと俺が半分近くはからかってベタ褒めしていることに気付いている。
けれどもう半分と少しは、本心だ。
俺は確かに、この友人から勇気を貰っている。
「菖」
「はぃっ!?」
菖の肩が、びくっと跳ねる。
「俺にはまだ、ちゃんと話せていないことがある。でも、もう少し時間が欲しい。もう少し身の回りを整理したら、必ず話す。……その時は菖に聞いて欲しい」
俺にも、覚悟ができた。
「っ……仕方ないよね。私以外に、おつろーくんの辛気臭い身の上話なんて聞いてくれる人いないんだからっ」
薊さんに洗って貰った衣服が乾くのを見計らって、俺は鷹野家をお暇することにした。脱衣所で着替えていると、不意に扉が開いて壁伝いに菖が入ってくる。
「恥ずかしがらなくて大丈夫だよ、視えてないから」
悪戯っぽくそう言うと、そっと後ろ手に扉を閉める。
「お、おう、どうした?」
「ごめんね。おつろーくんに事情も話さず、勝手に営業所から逃げちゃって」
菖は、声を潜める。
「話してない事情なら俺にもあるし、菖の事情は全部解った。だから後は任せとけ」
当然だが、菖はこの家に残る。
目の視えない彼女には付きっきりで見れる保護者が必要であるし、そうでなくても薊さんは勝手した娘を、罰としてしばらく家から出す気は無いと言っていた。
「それと、助けてくれてありがと」
「……あぁ」
菖はそっと手を伸ばすと、その指先が服を脱いだ俺の胸元に触れる。その鼓動を感じていたのか、しばらく黙っていた。
その似つかわしくないしおらしさは、普段よりどこか儚く見えてしまう。努めて明るく振る舞っているようだが、2度目といえど失明の恐怖は付き纏っているのだろう。
「痛っ!」
菖の指が触れていた肌に、痛みが走る。つねられたようだ。
「私だってまだ何も諦めてないんだから、勝手に同情とかもしないでよっ。まぁこれからこの娯楽のない田舎で過ごすのはしんどいけど、その分おつろーくんの報告を心待ちにしてるから。何か分かったら都度その連絡してよね!」
やっぱり、それでも菖は変わらない。
きっと色々乗り越えたんだ。
今度は、俺が乗り越える番。
「あぁ、待っててくれ」
「うん、待ってる」
菖は手土産に、とびっきりの笑顔をくれた。




