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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第10章 綺麗事ホワイダニット
198/213

188話 【SIDE-郷田聡美】イミディエイト・トリアージ

 私の名が「郷田」聡美である事は、この研究チームで腫れ物扱いされるのに充分な理由だった。



 知覚性デバイスジャック症候群はまだ私が医学生の頃に発表された論文だった。世間の注目度は決して高くなかったけれど、その研究に興味を惹かれた私は何の気なしに団欒で話題に上げた。

 すると、普段私の進路にあまり口を挟まない父が珍しく、その研究チームを斡旋してやろうかなんて言い出した。


 父の引いたレールの上を歩いてきたつもりは無かったけれど、だからといって弟のように反発する意思も無い。医者としても将来の明確な目標を持っていなかったので、何かの縁かと思い研究チームへの就職を希望、それは呆気なく叶った。

 その時の私はまだ学生の感覚しか持ち合わせておらず、仕事場というコミュニティを理解した頃には自分の選択を少し後悔することになる。



 父である郷田和義による、研究チームへの莫大な予算増額。

 父と懇意にしている日笠重工から、軍事目的を匂わせる研究課題の追加。

 自分で掴み取った就職先のつもりでも、そんなタイミングで郷田の娘が配属されたら誰の目にもコネに映る。本当のところどうなのか、私ですら知る術はない。


 細々とやってきた中でやっと論文が認められたデバイスジャック研究チームが、その利権を嗅ぎつけた政治家のおもちゃにされかけている――そんな印象を持ったメンバーも多かったに違いない。

 そしてチーム内での私はその象徴だった。


 別に、直接いびってきたり嫌味を言う人は居なかった。私も郷田の娘であることは一切忘れ、研究に没頭するよう努めた。けれど時折、他メンバーと距離を感じて人並みに寂しい想いをしたりもしていた。


 ねぇ、甲斐斗。貴方はどう?

 彼も父のコネで公安に配属されたようなもの。そこでどんな扱いを受けてるのかに想いを馳せていると、やがて彼へのシンパシーが芽生えるのは多分自然なことだった。



 けれどそんな疎外感で心を痛めていた頃はまだ平和で、研究はやがて残酷な事実に直面する。


 デバイスジャック患者の磁気嵐被害の可能性――それは論文発表の当初から内々では懸念材料とされていたそうで、私はそれを研究チームに入ってから知らされた。

 皆、その不安を拭う為に日夜研究を進めていたし私も尽力していたけれど、結果、患者の0.01%が死に至る可能性が遂に立証されてしまった。もう2年以内に迫っている太陽フレアの影響で、母数230万人のデバイスジャック患者が潜在被害者となり得る恐怖の事実。


 幸か不幸か、私は徐々にチーム内で成果を挙げられるようになり、そして古株のメンバーが何人か抜け、気付けば私はチーフにまで祭り上げられていた。まだ20代の小娘と言えど、郷田の娘という立場は親組織からの弾除けとしても期待されたのかもしれない。

 そしてお飾りの地位のハズだった私に決断を求められることも多くなり、暗に重大な責任を押し付けようとしている周囲の気配にも勘付いていた。


 230万人の行く末が、人知れず私の双肩にかかっていく。


「……もう無理。……助けて」


 それは甲斐斗に吐露した僅かばかりの本音。

 私は政治のことは分からないし興味もない。何が倫理的に正しいかとか、何が国民の最大幸福なのかとか、そんなのは手に余る。上層部からの命令で研究結果が隠蔽される事にだって、私は何の抵抗もない。だってそれでパニックが防げるなら傷付く人も減るのだから。

 ただ、それにより本人の知らぬ内に命の危機に晒される230人については、研究チームとして向き合い受け止めなければならなかった。



 しかし年末を迎え、突如として皆国党の都合で研究チームが解体された。もはや上層部は磁気嵐による若者被害の事をなにも知らなかった体で通すらしい。なら私はもう何も背負わなくて良くなったのかもしれない。

 けれど私は予測される0.01%の重症患者のため、左遷先の帝国研究病院で父にも秘密で悪あがきの研究を続けた。もう楽になれる分岐点だったというのに、こんな意地を持ってたなんて自分でも驚いた。リスクを承知で手伝ってくれる仲間も少人数居て私を頼っているのだから、どうにか成果を挙げなければならない。


 そんな私の健気さを神様は見ていたのか、菖さんというブレイクスルーが現れた。彼女が被検体に名乗り出てくれたお陰で、研究は劇的に進んだ。


 また、橘さんからも希望がもたらされた。

 父が普及させたタクシーが災害対策に転用できるという彼の説は、目から鱗だった。橘さんはかつて配信者転落死事件の際に日笠や父の周辺を洗っており、その時の知見から導き出した推論らしい。父が研究に予算追加した事にも、軍事目的と思われた日笠からの研究指示にも、合点がいく。

 そして橘さんは隼人、トピックストリーマー、コンフルエンサーとやらとパニックを想定した打ち合わせをいくつか終え、小鳥遊のリーク阻止とタクシー防災の裏取りのため日笠の工場博物館へ赴いていった。



 今年になってから、甲斐斗からの連絡は無かった。

 けれど昨日、望み叶わず研究データがリークされこの国がパニック寸前となったところに、彼は唐突に電話をかけてきた。


『私は研究チームの一員である和義様の愛娘を籠絡し、公安の立場を悪用して独断で偽装工作を行った、暴走した正義を奮う警察官――そんなシナリオでタクシー車両の有用性を公表していただけるよう、和義様を説得したい。……ですので、精巧な偽証データを作っていただけないでしょうか』


 甲斐斗の提案には、身を切る覚悟が伺える。自らがトカゲの尻尾になる事で父のリスクを請け負い、後の政治に繋げるというのだから。

 研究者の私に偽装資料を作れだなんて随分と不遜な提案だったけれど、パニックを防げるのなら喜んで協力する。


 そんな事に迷いは無かったのに、私は呆れるほど場違いな返事をした。


「じゃあ籠絡する言葉を頂戴」


 久々に彼の声を聞いて確信した。やはり私はこの男を拠り所にしている。

 だからかつて私を守ると言った彼からもう一度あの言葉が聞きたいと思い、エスプリに富んだつもりの返しで少しだけ甘えてみただけだった。


 別に守ると言った事を行動で示して欲しいなんて思ってたワケじゃない。ただ、今まさに佳境の私を少しでも鼓舞する言葉が欲しかった。


『1人でも多くの人が、知ることによって災害から救われて欲しい。それが私の望みです。けれど私が一番救われて欲しいと思っているのは貴女です。だからどうかその半分でも……僕に預からせて下さい』


 ――守るじゃなくて……預かる?


 私は自身にかかる重圧を、どこか当然の受難だと捉えていた。裕福な家庭、怜悧な頭脳、望んだ職場。私が持つのは誰もがうらやむ恵まれた境遇なのだから言い訳はできない。でもそれは諦念なんかじゃなくて、私を突き動かす意地みたいなもの。

 1人でも多くの人が救われて欲しいなんて月並みな願いで、自分の優先順位を下げてきた。


 でも泣き言を口にしたからって、私は責任から逃げたかった訳じゃない。成り行きで芽生えたものだったかもしれないけど、自分の意地を無かったことにしたいとは思わない。だからリークされたレポートに私の名前がある事で叩かれるその痛みだって、全部私のもの。


 そんなこんなを全部ひっくるめて、共犯者にでもなるかのような選択で、甲斐斗は一緒に背負ってくれるのだと、その為のデータ偽装なのだと鈍感な私は今更になって気付く。


『聡美様……?』

 私がいつまでも返事をしないから、電話口から甲斐斗の困惑した声が漏れる。


 口を開けば、きっとこの感情が溢れてしまう。けれど未だ何も成し遂げていないのだから、今はまだ我慢しなくちゃ。


 だからもう少しだけ、唇を噛み締める時間を下さい。




 腹を括った私は、帝国研究病院を後にした。

 データがリークされた今、もう隠れて研究する意味もない。私は検証の詰めのために僅かなメンバーと共に先進医療センターへ戻り、最新の設備で菖さんのデータを取る決断をした。郷田家の立場を今こそ利用してやるのだと、お父さんに無理を通させた。


 そして翌日。

 これから担ぎ込まれてくると予想される磁気嵐被災者たちの症状を少しでも軽減すべく、ギリギリまで粘った最後の臨床実験を終えた。


「菖さん、お疲れ様でした。どこか痛むところはない?」

「大丈夫ですっ」


 幸か不幸か、磁気嵐被害が周知されたお陰で、私たち研究チームは大手を振って対処療法のマニュアルを各病院へ通達できる。菖さんの協力を含む私たちの成果を、最大限に利用できる。


 国土交通省からリアルタイムデータが送られてくる環境も整い、現在のタクシー運用情報が参照できた。関東圏を走行中のタクシーはおよそ20万台で、35万人が既にタクシーへの避難を終えている事が分かる。また、配車アプリで呼び出し中が10万件ほどあり、既に若者230万人のおよそ20~30%が避難先にタクシーを選択したことになる。


 甲斐斗がかつて大切な人だと言っていた桐谷さん――彼女のSNSの投稿を皮切りに、アオ派の警戒が薄れたのは間違いない。隼人が焚き付けたコンフルエンサーとの生放送も、決断の後押しに一役買っていると言えるかもしれない。

 それもこれも橘さんの思惑で、今のところの結果は上々。けれどそれでもまだ多くの人が不安を抱いている。



「本当にやるのね、菖さん」

 診察室を後にする少女に声をかける。その髪は赤茶から黒に染め直されていて、それもまた覚悟の現れなのかもしれない。

 彼女の決断を聞かされた時は心底驚いたけれど、この子なら大丈夫なんだろうと、たった1ヶ月程度の付き合いでもそう信じられる。


「はい。聡美さんのカッコ良いとこいっぱい見せて貰ったので、私もちょっぴり頑張ってみますっ」


 こんな時に、こんな風に笑えるのだから。




 ―磁気嵐到達まで残り2時間30分―


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