186話 【SIDE-内藤礼司】ウェル・トゥ・ホイール
この内藤礼司、日笠正造様に仕えてかれこれ四十余年。
そして“デジタル庁の大臣”を務める旦那様の秘書としてはまだ2年。
ここ千代田区のオフィスビルの一室で、旦那様は恐らく人生最後になるであろう仕事に勤しまれていた。……いえ、そんな表現は皮肉が過ぎるというもの。“何もしない”という事が与えられた役割なのだから。
「私の人生の幕引きおいて、これは相応しい罰であろう」
「何を仰いますか。長い老後が始まるのはこれからです」
俗に配信者転落死事件と呼ばれるあの日以降、実子に会社を継がせる事が叶わなくなった旦那様は、潔く分家に家長ごと明け渡した。
しかし決心がつけば見えてくる景色もあるもので、新社長となる分家の青年はとても器量が良く、旦那様への敬意を欠くこともなく、タクシー事業の勢いを削ぐこともなく、現在も安定した経営を実現している。皮肉なことに、明透葉様よりも適正があったことは明らかであった。だから旦那様は自身の狭量を恥じつつ、緩やかに一線から退く決断をされた。
けれどそうした隠居を郷田氏は許さなかった。
旦那様は皆国党……特に契倫会と密接な関わりを持ち、内政についても多くの事を知っている。郷田氏の野望も道半ばで、だからまだ日笠正造という男を責任ある立場に縛りつけておきたい。そんな彼は、経営者を降りた旦那様を民間人閣僚としてデジタル庁大臣に推薦した。旦那様もその意味を理解されており、国政と後任が継ぐ日笠との間に要らぬ軋轢が生まれぬよう、その身を捧げるに至った。
しかし、日笠正造の入閣は世間から歓迎されるべくもなかった。
官製談合疑惑が決着していないのにポストが用意されるなんてつくづく政治とズブズブで反吐が出る、実績だけ作って更なる天下りで私腹を肥やすつもりなのか――そんな罵声を旦那様は甘んじて受け入れ、粛々と大臣の業務に臨まれ早2年。
そして先刻の、郷田氏からの一報。
何もせずいれば良い――そのひとことの意味は、直後にパンゲアがアクセス不能になった事で判明する。
デジタル庁としては早急にパンゲア復旧に努めるべきなのであるが、それを拒むということはサーバーダウン自体が郷田氏の策謀。衆議院は解散し閣僚としても終わりを告げようというのに、最後まで無能を晒し非難を浴びて幕を引けと言うのだ。
「リークに加担すると決めた時から、こうなる日が来ることは覚悟していた」
それは、旦那様のケジメであった。
郷田氏は研究資料のリークが我々日笠の手引きだと気付いている。しかし直接咎められないのは、それすらも彼の描く絵図に組み込まれたことを意味する。けれどもそれはそれとして、裏切りに対する禊は済まさねばならない。
そんな因果で、旦那様は何もせずデジタル庁大臣室の椅子で佇んでいた。
「私は何もかも半端者だった。着いた椅子は数あれど、どれも私には過ぎたものばかり。そうして、許されない多くの陰謀に加担してしまった」
私は誰よりも近くで旦那様を見てきたからこそ、それを安易に否定する事ができない。
あの青年――橘乙郎により6年前に暴かれた国交省との官製談合は、念入りに叩けばいくらでも埃が出た。しかし叩かせないのが国のやり方であり、それこそが旦那様が彼に言った“読みは悪くないが騒いでも何も変わらない”の真意。
清廉情報思想を名乗り始めた者たちにとって、それは風化させず叩き続けているつもりの大事件。けれど結局のところ、あの官製談合の裏の陰謀を暴く事などピックスにもパンゲアにも出来なかった。
機密を表沙汰にしない事などこの国の政治と報道を持ってすれば、今の時代でもなお容易い。
話の解るトップ同士で座組を整え、離反者が出ないように利権の配分をコントロールし、個人が暴露するデメリットを限りなく増やし、万が一嗅ぎつけた輩が現れても陰謀論として風化するよう世論誘導する。そんな事この国にはお手のもので、事実として日笠の加担した多くの不祥事は表沙汰になっていない。
ネットの力で隠し事ができなくなったなどと言われていても、政府の方がまだまだ何枚も上手である。強固な皆国政権の前では、野党の追求やパンゲアのファクトチェックすら些末な妨害に過ぎない。
そしてその牙城を築き上げた過程において日笠の功績は大きかった。
戦前から軍事機密を扱ってきたという立場は、取引をブラックボックス化する理由に事欠かない。そうして裏金などという凡庸な言葉では表現しきれない行いで政権の悪事の片棒を担ぎ、時にその取引は海をも越え、数多くの見返りを受け取ってきた。
タクシーをEV対応させたのですら国から多額の助成金を引っ張る口実で、カーボンニュートラルの視点から見れば日笠の規格は詐欺のようなもの。
そんな立場に胡座をかいてきたのが我々なのだ。
「明透葉と……あの青年が糾弾に来た時が、あるいは潮時だったのかもしれぬ。しかし私はそれを払いのけ、進む道を選んだ。……この年になると終わりと向き合う機会も増える。すると、今世で逃れてきた罪たちが私を苛むのだ。あの世でどんな報いを受けるのかと、ふと考えてしまう」
ぽつり、ぽつりと。
旦那様は弱々しい独白を続ける。
「どこまでもお供致します。けれど、多少はご自身のされた功績に目を向けても、罰は当たらないのかもしれません」
私が言いたいのは、日笠の業績や旦那様に授与された勲章の話ではない。
日笠はこの6年余りで在日外国人の働き口を拡大した。
外国人参政権はさておき移民政策自体は、皆国党もやむなしとする少子化対策の要。その最中において、働き手としての在日外国人が根付くというモデルケースの構築に、日笠重工は大きく貢献してきた。
また、ベイエリア開発の為に立ち退いた人の受け入れも、日笠は率先して行っていた。これは、旦那様のかつて愛した女性――明透葉様のお母様がフィリピン人と中国人のハーフであり戌亥団地で暮らしていたことも、要因として大きい。
「旦那様の懐で救った人々を私はいつまでも覚えております」
「あぁ……そうだな」
アオ派が外国人との共生を推進しているからといって、シロと呼ばれる者たちが必ずしも反対の立場な訳ではない。むしろ我々の方がより昔から建設的な支援を行なっている。けれど長い年月がかかる地道なその歩みはパンゲアのアルゴリズムと相性が悪く、トピックとしてスポットが当たらない。するとアオ派の人々に我々の在日外国人支援の実態が届き辛いのが、この現代社会の欠陥であった。
そしてそれを拾い上げるのこそが報道の仕事であった。しかしパンゲアの信用スコアの増減に躍起になっているマスメディアで、そんなドキュメンタリー番組が組まれる事は激減していた。
それでも誰に褒められるでもなく、今日まで日笠の在日外国人支援は続いている。そんな旦那様は、民清のマニフェストには懐疑的であった。
新垣氏のパフォーマンス偏重のやり方は実状と乖離している。彼の示す道程は余りに険しく、道中で取りこぼされる人が多く出るように思えてならない。彼が見据える未来は、日笠で働く者たちの為になるのだろうか。
あるいは新垣氏のみならず郷田や総理も含めた政治家たち……知られざる彼らの策謀が導く先に安寧はあるのだろうか。
「……小鳥遊丈は、あるいはそこまで届き得るのかもしれんな」
あれはまだ、郷田氏が都知事になるよりも僅かに前。
身一つで旦那様の前に現れ、脅迫と嘆願の混じり合う交渉を持ち掛けてきた男。紆余曲折を経て我々は小鳥遊が嗅ぎつけた内容を認め、そしてこの男は手綱を握らなければ危険だと直感し、互いの利の為という名目でやむなく協力体制に至った。
せめて彼が皆国に対する最後のカードとなる事を期待して。
そして契約の証という名目で、橘氏から取り上げたボイスレコーダーを返却した。……苦肉の策として、秘密の仕掛けを施して。
あのボイスレコーダーには、日笠で開発した特殊なメモリーカード――周囲のデバイスの通信データを傍受する機器のプロトタイプを仕込んでいた。欠点は、傍受したデータはボイスレコーダーが再び日笠敷地内のWi-Fiに触れている間にしか我々が参照できないこと。
小鳥遊が信用できるなどと我々も思ってはいない。
日笠の敷地内でも目の届かぬところで彼が暗躍する可能性は充分にあり、そんな彼の調査状況をこのメモリーカードで把握できれば御の字であった。
しかし彼がそれを我々の急所として肌身離さず持ち歩くという算段は外れ、早い段階でどこかへ手放してしまった。そして先日、橘氏がボイスレコーダーを持ち込んだ際には既にメモリーカードは抜かれていた。
GPS機能まで仕込む余裕が無かったため、あのメモリーカードがどこに消えたのかも分からない。万に一つもあれの真意を小鳥遊が気付いたのであれば、彼が追い求めるものの大きなヒントとなってしまうかもしれない。
「ならばそれも避けられぬ運命だと我々は受け入れねばならぬ。奴はjoxiの秘密やデバイスジャック研究のさらに先の真実まで追い求めていた。……全ての罪が白日の下に晒される日もそう遠くはないのかもしれぬ」
憂う瞳で遠くの夜景を眺めながら、旦那様は腹を括るかのような思いを口にした。
―磁気嵐到達まで残り3時間37分―




