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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第10章 綺麗事ホワイダニット
195/213

185話 【SIDE-佐倉志帆】アイシー・コンスピラシー

 私が長月プロダクションの社長秘書兼雲母メイのマネージャーをクビになったのは、もう8ヶ月も前のこと。彼女らを陥れる文言をSNSで偽装投稿して、佐倉志帆は懲戒解雇された。

 会社の信用を一時的に貶め、また損害も与えたとして、相応の賠償金と慰謝料を今も払い続けている。


 まぁ、そんな事はもう別にどうでも良い。



 イデアノンなんて誰も信じちゃいない。

 匿名義士だとか呼ばれて、社会を裏から是正しようとする集団。アオの過激派で、清廉情報思想の原理主義的な立場から世論を動かそうと活動している――とまことしやかに噂される存在。

 それは海外のハッカー集団に憧れた若者たちの妄想の住人。だから茶化されるくらいの存在でちょうどいい。


 SNSによる集合知で人々はより利口になった自負を持ち、聡明な振る舞いにこそ価値があると気付いた。オカルトなんて本気で唱える奴は白い目で見られて当然だ、と皆が考えている。

 火のあるところに煙を立てないことは難しいけど、煙の火元を知ろうとする行為自体が愚かしいという空気を流せば、たちまち人々の判断力は曇る。そういうカテゴライズさえ浸透してしまえば、言論の中立地帯を装う書店ですら陰謀論の棚を用意して、冷笑の手助けをしてくれる。



 ……イデアノンは実在する。

 だからこそ、世間的に相手にされない方が動き易い。

 誤解されていた方が都合が良い。


 我々が世間に仕掛けた陰謀論の裏の真実――それは、イデアノンはアオの過激派を装った“シロ派”の集団ということ。




 私にはかつて、かけがえのない親友と呼べる人が一人だけ居た。

 彼女はかの日笠財閥の家系だったけど、自分は分家の端の方なのだとよく自虐してた。私も特に気負うことなく付き合いを続け、その仲は社会人になっても潰えなかった。


 女性の社会進出なんて口ばっかりで、不況も重なり就活は地獄。でも何とか引っかかた非正規雇用先での理不尽に私が10年耐えられたのは、休日に会う彼女との時間があったから。私とは出来が違った彼女は総務省に就職したけど、それでもずっと私との付き合いを続けてくれた。

 それが何よりも嬉しかった。


 そんな頃に、配信者転落死事件は起きた。


 報道の透明性を訴える清廉情報思想だとかいうムーブメントが、若者を中心に広がっていく。国交省と癒着疑惑のあった日笠グループへはデモやクレームなど執拗な糾弾が繰り返され、その親族にはSNS上で様々な私刑が行われた。


 私の親友も例外ではなく、SNSアカウントを特定されて捨て垢からさまざまな誹謗中傷を受けた。彼女が日笠姓に加え、官僚だった事が特にアオ派の気に障ったらしい。やがて投稿写真から住所まで特定され、頼んでもいない出前や通販が大量に送られる嫌がらせが横行。“殺人を隠蔽して裕福な暮らしを続ける犯罪者一族”との誹謗が隠し撮り写真に添えられて自宅に投函されるなど、度を越した嫌がらせは続いた。


 でも彼女が真面目に国民を想って働いていた事を、私は誰よりも知っている。

 私は何とか彼女を支えようと、相談に乗ったり共に警察に駆け込んだりした。けど、自宅周辺の警備など後手に回る対応こそして貰えたものの、確信犯的な振る舞いをする不特定多数のアオ相手には情報開示も訴訟も効果は薄かった。


 そして精神的に追い詰められた彼女は、遂に私のことも信じられなくなってしまう。私が裏でアオ派に彼女の情報を売っているのではないか、そんな疑いをかけられた。

 鬱病を診断された彼女がその後どうなったのか、着信拒否された私に知る術は無く、残ったのは絶望と喪失感だけ。



 パンゲア加盟を経て、世間的にも清廉情報思想は一定の成果を上げたと評価された。けどそれまでの歩みで、奴等が到底許されない行為に及んだことを私は忘れてない。

 しかしアオ共はその行いについて、正当な罰を下したと考えているようだった。人は正義の側に回ったと確信しているとここまで凶暴になれるというのなら、虫唾が走る。お行儀の良いアオ派連中が後になって、過激派のイメージダウン行為には迷惑していました、私たちは彼等とは違います面しているのだって、気に食わない。


 親友を失いアオへの憎悪だけが残った私は自暴自棄になり、劣悪だった待遇の労働に身が入らなくなりとうとう派遣切り。そんな私の境遇をどこからか嗅ぎつけて、役割をくれたのがイデアノンだった。


 暗躍組織としては公安6課よりダーティーで、派遣市民よりプロフェッショナル。郷田家の子飼いの工作機関。それこそがイデアノンの正体だった。


 ……とは言っても、組織体系の全容は私も把握していない。

 トップの人間だけが稀に郷田和義本人からの指令を受ける事があるらしいものの、基本的に接触はない。シロ派の思想に沿う者たちの集まりで、強力な動機を持ち、ただただ郷田の意向に忖度して動く、ダークウェブ上にだけ存在する組織。


 ともあれ私は復讐という新たな生きがいを見つけた。

 優秀な人材が揃うイデアノンの中で末端の私にできる事は少なかったけど、身を削る覚悟があると訴えたところ彼等は私に役割をくれた。


 アオ派の新興勢力であるコンフルエンサー事務所の潜入と工作。

 その結末が、あの雲母メイ誤爆騒動だったってワケ。


 工作は暴かれ失敗に終わった。

 2年かけて築いてきた雲母メイとの信頼関係も水泡に帰した。


 けど負け方を選べたのは幸いだった。

 私は過激なアオ派として雲母メイの歩みを是正しようとした異常者――そんな動機でお縄についた。本当はお前らアオ派に復讐するためだったなんて呪いの言葉をぶつけてやりたかったけど、それでは全てが台無し。だから最後まで“正義の方向性で揺れるアオ派の内輪揉め”として、長月プロの奴等に爪痕を残してやった。


 イデアノンからのお咎めは、特にない。

 私のような下っ端は、勝手に動いてその情報提供だけを吸い上げられる駒に過ぎない。ただ、私の起こした騒動により、長月プロダクション株でインサイダー取引をした契倫会幹部が居たとか居なかったとか。



 イデアノンのもうひとつの役割として、“イデアノンの実在に気付けるほど優秀で執念深く過激なアオ派”を取り込むことが挙げられる。ダークウェブまで降りてきて、自分もイデアノンに入れてくれと名乗りを上げるアオ思想の優秀な間抜けが稀にいたりする。


 “汚職の城”リブラグランデに火を点けたのは、この類の者だった。

 彼は選挙期間中に皆国の裏取引現場を刺激すべく、リブラのバイトとして厨房に侵入し小火騒ぎを起こすと言い出した。するとイデアノンは彼の後押しをすると共に、この情報を郷田へ流す。そのお陰で、契倫会の者だけは事件当日リブラグランデに居なかったのだそうだ。バカ息子が居たことだけは父親の想定外だったようだけど。


 こんな風に、優秀で過激な者たちが徒党を組み始める前にこちらの監視下に置く事は、非常に効果的だった。彼等にはさもイデアノンがアオ派であるような素振りをして、必要な情報だけ引っ張る。そうして郷田和義や契倫会の利に繋げていた。


 私に郷田和義への忠義はさして無い。

 けど傲慢なアオの連中が利用されているのを見るのは、胸のすく思いがする。



 そして今日。

 パンゲアのサーバーをダウンさせたのは、まさしくイデアノンだった。


 珍しく郷田本人から指令があったらしい。コアメンバーは海外のハッカー集団を規範としているだけあり、その程度の事はお手のもの。……何にも噛めてはいない私が得意げになる事じゃないんだけど。


 ただパンゲアを失い戸惑うアオ共を眺めながら、それを肴に狭いワンルームでビール缶を開けている。もう40手前でまともな職を探すことも諦め、日雇いで食い繋いでいる――そんな自分から目を逸らしながら。


 こんな世界、ぶっ壊れちゃえ。


 人を責め立てる時は一丁前に徒党を組んで、パンゲア無しには自己判断もできず彷徨う奴ら。自分の事だけで精一杯だった私たちの不況世代とは違う。皆働国家党が正社員登用推進の様々な法整備を行った果実を享受し、そこから生まれた余裕で社会に目を向けた結果、政府へ文句を言うばかりになった他責思考の連中。

 それが未来を担う若者像だというなら、もうパニックにでもなんでもなってしまえばいい。



『――ごめんなさい。こんな番組で注目を集めておいて、私自身はまだ決めかねています。でもその時が来るギリギリまで、私は考えるのを諦めたくありません。清廉情報を追い求めてきた者として』


 テレビから音声が漏れている。

 そこに映っているのは、かつて私がマネージャーとして面倒見てやってたガキ。あんだけ忌み嫌ってたテレビに、どのツラ下げて出演してるんだか。


 言ってる事は支離滅裂。

 けど尊大にも思想を主張する。

 流石、今の若者を代表してるだけある。


 偽装した履歴書で入社し、子供好きでもない私が燃えたぎる復讐心だけで2年近くも世話していた女。我儘で、言い付けを守らず、周囲の目ばっか気にする癖に、自分の歩む道は信じられる強情な奴。自分で何でも決められると思ってる未熟者。

 だから思い知らせてやった。大人はお前なんて簡単に騙せるし、味方ですらお前の思い通りになんてならない。世間はお前が思ってるほど単純で綺麗じゃない。


『――でも、知ることには運命を変える力がある。そう信じて、私は知ることができた道すべてについて全力で迷いたい。迷う人の味方でいたい』


 まだ日暮れ前だというのにカーテンを閉め切った暗い部屋で、煌々と光るテレビの画面が煩くなってきた私は、頭痛を薙ぐようにテレビを切った。


「……大っ嫌い」




 ―磁気嵐到達まで残り4時間37分―


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