184話 【SIDE-東雲芽衣子】ネガティブ・ケイパビリティ
郷田隼人は私とは違う。
こうやって話していると、それがひしひしと伝わってくる。
私は雲母メイになるまで、何も持ってなかった。
性格は陰鬱で、クラスでもパッとせず、中学受験する程度の成績はあってもその中で抜きん出る事はなく……それに容姿だって良くない。そんなコンプレックスに塗れた、どこにでもいる中学生だった。
そんな私に転機が訪れたのは言うまでもない、アイリスとの出会い。たまたま見つけた視聴者数2桁の頃の配信から、私は彼女に心を奪われてた。
自分と他人の違いを明確に見つめてるのに、時にその境目が曖昧なんじゃないかと錯覚させるほど我が事で想い巡らし、そこから前向きな視線を分けてくれる。
彼女は、狭い世界から憧れひとつで変わったと言ってた。
――私も、変わりたい。
だから臆面も遠慮も捨てて、私も憧れを目指した。
同じ目標であっても私はアイリスとは違うのだから、違う道を歩まなきゃならない。陰湿で奥手な自分を根っこから変える覚悟で、好きな自分になる為に出来ることは何だってやった。
そして、あと一ヶ月もすればアイリスと同じように活動を始められると意気込んでいた頃、彼女は何の前触れもなく失踪した。別に、同じ立場に立ってアイリスに絡みたかったとか、そんな下心があった訳じゃない……けど、まるで心にぽっかりと穴が空いたような喪失感に襲われた。私は何に手を伸ばそうとしてたのか、ただ視野にのしかかる痛みだけが虚しく響く。
久遠と出会ったのはそんな頃だった。
彼はまだダウンタイムの明けてない私に対し、その内面を見つめてくれた。私が成りたい理想とするものの為に何が必要で、どんなバックアップをしてくれるかを、こんな子供の私に真剣に説いてくれた。
下手っぴな歌だって、私の情熱を汲んでプロのレッスンが受けられるよう手配してくれた。両親には、私の情熱にどれだけの価値があるかと、久遠にどれだけのサポートができるかを、丁寧に説明して説得してくれた。私の相談役として、信頼の置ける佐倉を付けてくれた。……今となっては信頼の置けるハズだった、だけど。
あの人のことは2人目のママみたいに思ってたから、時にキツく当たってしまう事もあったけど、失ったショックは大きかったよ。けど久遠はその後の私を丁寧にケアしてくれたから、何とかここまで持ち直せた。
16歳選挙でコンフルエンサーとしてサファイアデモクラシーを促し、新垣さんにお声がけをいただいて分銅祭でサプライズ演出。そして今度はテレビ初出演かつハヤトと共演という形で、私を見てくれる人が広がり続けてる。
久遠はそんな私を、今だって一番近い場所から見守ってる。だから私は安心して背中を任せてる。
「――お話がしたいんです。今夜訪れる恐怖……デバイスジャック患者の磁気嵐被害について。今、この放送を見て下さっている皆さんも迷われていると思います。私もスマホ着信過敏は身に覚えがあり、だから5時間後が不安でなりません。そんな話をさせて下さい」
情報の取捨選択に迷子になってる人に言葉を届けるには、先ず強烈な話題性で注目を集める必要がある。だから私は今、勇気を出している。
ここ長月プロの配信ルームと中継のつながっている曙テレビのスタジオから、すかさずハヤトが返答をくれる。
『父さんが推進してる、タクシー車両に避難すれば~ってのの信憑性の話がしたいなら、残念ながらオレは詳しくないよ。けどせっかくだから、キミたちがどんな風にそれを見てるのか、それを聞かせて貰おうかな』
意外。ハヤトが父の話をこんなにフランクに持ち出すとは思ってなかった。彼は今、恐らく郷田和義に断りなく、その所見を地上波に乗せている。飄々としているようで、向こうも本気でこの卓に着いてくれている。
「私たち若者の中には清廉情報思想が芽生えている仲間が多く居ます。テレビや政府の情報は検閲や忖度に塗れたものであり、それを是正すべきとする思想です」
これは、ハヤトに対する説明の体で、番組を見ている中高年者層へ向けた言葉でもあった。
『ははっ、言ってくれるじゃん。そんな言葉も今まさに放送されているって考えたら、オレはこの国の自由度を讃えたいけどね』
意識してるのか分からないけど、この人は私とバランスをとるかのように憎まれ口を叩いている気がする。
「……私たちは“報道革命”を経て、情報の価値判断をパンゲアに頼ってきました。しかしサーバーダウンでそれが叶わない今、何を信じれば良いのか……私は正直なところ、研究の隠蔽を指示していた皆国党に、その口で我々は災害対策を用意していましたなんて言われても、鵜呑みにはできません」
横目に見ている私の動画チャンネルのコメント欄は、もっと言ってやれだのハヤトウザいだの、概ね私を肯定するアオ派の意見で埋まっている。
けれど今日のこれは地上波でも放送されているんだから、ハヤトのファンやシロ派――私の味方じゃない人の目にも触れていることは忘れちゃいけない。それこそが透明性の高い発信だと彼に煽られたら、逃げる事はできなかった。
あぁ、後でエゴサするのが怖い。
『じゃあ、どうするんだい? 地下に行くってのが有力候補らしいけど、停電や混雑で事故るのは目に見えてるよ。決断は思想対立とか抜きにすべきだと思うけどな』
「えぇ。地下避難におけるパニックは私も望みません。……けど私はまだ迷っています。タクシーに乗るべきかどうか」
歯切れが悪く弱々しいけど、これは本心だった。
菖とビデオ通話が繋がって、郷田の娘と名乗るお医者さんが災害と症候群の話を始めて、あのタクシードライバーが色んな可能性の話をして……正直、私には何を言ってるか半分も分からなかった。難しい単語だらけで判断材料が多過ぎて、私のリテラシーと経験じゃ調理しきれない。清廉情報思想が、聞いて呆れる。
そんな私を見て、アオ派の皆は失望するだろうか。
そんな私を見て、シロ派の皆は嗤うだろうか。
「ごめんなさい。こんな番組で注目を集めておいて、私自身はまだ決めかねています。でもその時が来るギリギリまで、私は考えるのを諦めたくありません。……清廉情報を追い求めてきた者として」
あのタクシードライバーは口にしなかった、私に求められる真の役割――それは、アオだからシロに反発するのではなく、アオだから迷って良いという意識を浸透させること。
清廉情報思想が視線を送るべきなのは、反体制に身を委ねた先にあるポストトゥルースなんかじゃなくて、険しい道を越えて辿り着く真実だから。
『おやおや、思慮深さをそちらの専売特許みたいに言わないで欲しいな。オレだって、父さんたち政治家だって、このスタジオに居るテレビ局のスタッフたちだって、皆そうやって手探りで取捨選択してる……“私は正直者です”って名乗らない人は全員嘘吐きだなんて言ったら暴論だろ? 別に思想どうこう関係なく、最後に決めるのはいつだって己自身だよ』
ハヤトは優しく諭すようにそう言ったけど、その中にはこちらに対する静かな憤りのようなものも感じられる。
『……その上で、複雑に入り乱れる現実から選択するには高い視座が必要なんだ。個人の知見で手に負えない決断を迫られるなら、国の言うことに頼るのだってひとつの勇気だよ』
それは間違いなくシロ派の思想。
民衆は政治家や専門家が長い道のりを経て至った最善策に、ただ従うことが国家の最大幸福。それができないのなら最初から知らせない方が良い。
私とは異なる意見。
「……よく、アニメとかでありますよね。世界の危機が迫ってて、主人公たちの視点では正解が分かってるのに、人々は利己的に騒ぎ立てて石を投げる、みたいなの。……けどそのアニメを見てる誰もが、自分は現実でも愚民側にはならず渦中の人たちの事情を汲めると思ってる」
それは、分銅祭で新垣さんのスピーチを聞いたの時から考えていたこと。あのステージで間違いなく主役だった私は、主役に相応しい決断ができる人間なの?
「私はいつまでも主人公側にはなれないかもしれません。だから正統性の話はここではできません――」
私のメンタリティの根っこは、クラスでパッとしなかったあの頃から何も変わってない。臆病で優柔不断。けど、アオ派の中にもきっと、そんな人たちがたくさんいる。
そして私は今、歌ったり踊ったり、コンフルエンサーとしてかつてのアイリスよりもアイドル性が強い。けど、私はそんな偶像を崇拝して欲しいとは思っていない。弱い気持ちが盲目的に頼り先を求めてしまう気持ちは嫌というほどわかるけど、みんなには能動的に世界を見て欲しい。
「――でも、知ることには運命を変える力がある。そう信じて、私は知ることができた道すべてについて全力で迷いたい。迷う人の味方でいたい」
私は、崇拝していたアイリスが失踪の理由説明も無しにタクシー営業所で働いていると知って、心底失望した。あの夜だけは、そんな事知りたくなかったと嘆き枕を濡らした。
けれど想いをぶつけ合って、事情も知って、それでやっと私の中での踏ん切りがついたこともある。振り返れば、あれは自分の在り方を見つめ直す大切な機会だった。
ふと、一方的に想いを語っている間、ハヤトが口を挟まないでいてくれたことに気付く。
「……すいません、私の取り留めのない話を長々と」
『構わないよ。何せこの番組は、“オレが詳しくない世界で生きる人の紹介バラエティ”だからね』
ハヤトは今度こそ、柔和な笑みを浮かべた。
―磁気嵐到達まで残り4時間39分―




