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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第10章 綺麗事ホワイダニット
188/213

178話 ここで最後の弁証法

 バックヤードの机に広げられた難解な研究レポートを、俺たち4人は食い入るように覗き込んでいた。


「えっ、それじゃあもう解決じゃないっスか! タクシーって40万台もあるんスよね? 太陽パルス発生時に若者を乗せちゃえば、パニックを起こさずに被害を抑えられる……何で早く発表しないっスか!?」

「いや、そもそも皆国の方針で、デバイスジャック患者の磁気嵐被害は公にしないスタンスの予定だった。発表の覚悟も無かった筈だよ」

「でもそれって、助ける手段があるのに民清党へのダメージを優先しようとしたってことでしょう? ……本当に許せない」


 秋山、甲斐斗、桐谷先輩――3人の感情が揺らぐ。

 その中で最初に俺の用意してきたのと同じ結論に至ったのは、もう今や俺より多くの現場を経験しているかつての後輩だった。

「解ったっス! こんな防災手段を開発したのに皆国党が保身優先で隠蔽しようとするもんだから、日笠はそれが許せなくておやっさんと手を組んだっスね! 研究がリークされてしまえば皆国は災害に対する責任が問われ、そうなれば日笠製タクシーが避難所として機能する話を持ち出す可能性が高い!」


 秋山がそう言って内藤氏の方を向くと、彼は白状するようにそれを口にした。

「仰る通りです……我々の真意に触れていただいた事は喜ばしく思います。けれど政府は現在もタクシーを用いた防災を発表するには至っておりません。何故ならこの防災機能はまだ臨床実験が足りておらず、パンゲアはその信憑性を認めないだろう――との見解をシンクタンクからいただいているのです」

 内藤氏は物憂げな瞳で、その悔しさを訴えていた。


 デバイスジャックの発症条件は成長期に首都圏で何年も電磁波を浴び続けることであり、動物実験では限界がある。そして今を生きる未成年を被験体とすることは、さぞ難しかっただろう。菖が現れた事で進んだ検証もあっただろうが、何にせよデータの母数が少な過ぎる。

 だからレポートとしての信憑性が認められる段階に無いのは、残念ながら頷ける。


 そして信憑性がまだ充分でないとパンゲアが判断した場合、そのトピックは『日笠製タクシーでデバイスジャック患者の磁気嵐による健康被害を防止可能と“政府が発表”』との文言になるだろう。この書式は発表内容の信憑性までは担保しないことを、世間――特にアオ派は熟知している。

 真偽保留中のその状態は、ネットの海だけではファクトチェックが即座に完了しない事象について、しかし発表それ自体に影響力が認めらる場合の措置だ。そんなトピックにこそ人々のリテラシーが問われる。

 しかし肝心のアオ派は強い拒否反応を示すのが目に見えている。パンゲアのファクトチェックが通らない発表は、民衆を騙すためのものに違いない――という精神が彼等には染み付いているのだから。


「まぁ、臨床実験が足りていないのは事実だから仕方ないのかもしれないっスけど、でも発表しないよりはした方が良いんじゃないっスか? 信じてくれる人だけでも助けられるんだから」

 それはある種、マスメディアに属するシロ派らしい意見だ。パンゲアの顔色ばかりを窺わず、自分たちで正しいと判断した事象は堂々と発信すべきとする矜持。


「私共がどんなに巨大でも、民間企業であることに変わりはありません。40万台の臨時避難所が国家プロジェクトの果実であるのなら、政府を通して彼等の声で呼びかけねば道理が通りません……が、この勇気を出せる人間が皆国に居ないのが現状のようですね」


 レポートの通りであるなら、日笠製タクシー車両内で磁気嵐をやり過ごすことで健康へのリスクが9割減る。しかしそれは裏を返すと、被害者をゼロにはできないという事だ。政府主導でタクシーへの避難を呼びかけたとして、それでも運悪く重篤な症状が出てしまった人が、政府を無視して地下へ潜れば助かったのに――などと訴訟問題になることは充分にあり得る。

 総合的には国益があると解っていても、大きな責任を問われる決断が出来る政治家は少ない。


「フットワークが重いのは、この国が法治国家として機能している証拠です」

 甲斐斗の言う通り、この国の憲法は強力に人権を守っており、政府は強制力の高い要請を渋る傾向が非常に強いのだ。検証が満足に済んでおらずパンゲアが認められない内容なら尚更、そこに賭けられる政府ではないだろう。


「今後も政府が黙殺を決め込む気なら、我々日笠からタクシーの有用性を発表しなければならないかもしれません。その時に信じていただける人の数は、政府が発表するよりもずっと少数でしょうけれど」

 内藤氏は悔しそうにそう答えた。


 このままでは日笠は、リークに協力してパニックを引き起こしただけになってしまう。それを望む筈もなく、タクシーによる防災の発表とワンセットの計画なのだ。


 すると、政府を擁護するような口振りだった甲斐斗は、内藤氏の言葉により何かを決心したかのように言い放った。

「僕がやる。やらせて下さい……! 僕が和義様に進言し、公的な発表としてタクシーの有用性を示せるよう交渉します。和義様は国政の人間ではないですが、そのくらいの力は持っている筈ですから」


 その姿には俺が知る頃より幾分も頼りがいがある力強さを感じたが、その瞳は俺の知っている掛け替えのない親友そのものであった。


 甲斐斗はそのまま、内藤氏へ確認をとる。

「……構いませんか?」

「……それが可能であるのなら、我々の努力も無駄にならずに済みますね」

 内藤氏はやや含みのある返答をする。


「ありがとうございます。……銃を向けてしまった非礼、少しでも贖えるよう尽力させていただきます」

 甲斐斗は、ここで内藤氏に深々と頭を下げた。


「おやおや、そんな事を気にされていたのですね。しかしあの握りでは弾は当たりませんよ。ですから私があれで気分を害する事はありません」

 あれだけ銃を引き合いに甲斐斗を責め立てていた内藤氏は、あっけらかんとそう言った。どうやら内藤氏の方が何枚も上手のようだ。


 甲斐斗は恥ずかしげに頭を上げ、そして俺に向き直る。

「僕にできる事には全力を尽くす。……けど、結局のところ和義様を説得して防災の公表が実現できたところで、秋山さんの言った通り信じる人しか信じないよ」

「避難所が日笠製タクシーっていうのも、正直言って若者との相性サイアクね。アオ派の人たちならパンゲアが認めないタクシーの防災性能を信じないのは当然のこと、皆国の大規模人体実験だとか、日笠のプロモーションに命を賭けさせられるだとか、そんな風に拒否反応が出ても不思議じゃない」


 速水トオルに糾弾された日笠と、皆国党の重鎮である郷田。配信者転落死事件から報道革命を経て、アオ派は首都経済圏構想のスキームを強く敵対視している。癒着疑惑を捩じ伏せて生まれたものが新型タクシーなのも周知の事実であり、若者からの印象はすこぶる悪い。タクシードライバーの俺はその事が誰よりも身に染みていた。


「……その先の事は、頼んで良いんだね?」

「あぁ。お前が郷田を説得してくれるなら、その政府の発表を無駄にはしない。……皆が迷うのなら、一人でも多くの人に必要な報せが届くように。決断の助けになるように」



 メイの誤爆投稿を暴いた時、俺の推理を助けたのは菖のチカラがもたらした情報だった。けれどメイを真の意味で救ったのは、菖の理解と共感だった。

 だからこれは、掴んだ情報の多寡で決まる勝ち負けじゃない。


 そして今ここには、人の助けになる十分過ぎる情報がある。

 けれど届け方も考えなければ、情報は多くの人を傷つける。


 甲斐斗は随分と重い責務を買ってでてくれた。

 俺には他にもまだ仲間が居て、出来ることもまだたくさんある。



「――情報が、誰かの味方になれるように」


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