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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第10章 綺麗事ホワイダニット
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175話 アノミー・アンチノミー

「うわぁ、案の定世間は大騒ぎっスね……」

「このパンゲアのトピック、本当に事実なの……?」

 日笠ファクトリーミュージアムの地下の一室で、秋山と桐谷先輩はスマホを弄りながらそんな言葉を漏らす。


 SNSでは既に憶測と不安のスパイラルが巻き起こっており、パニックの片鱗を見せ始めている。これは穿って見れば230万人が強制エントリーさせられるくじ引きであり、勝負から降りるためには地下空間椅子取りゲームに勝たなければならない。

 そしてそんな運命の刻はもう直近に迫っていた。


「乙郎……君が何を考えているか知らないけど、この状況はもうどうにかなるようなものじゃない。僕だって何度も、こうなった後の世界の事を考え続けてきた。けど……」

「危険性や対策法を丁寧に訴えて、各々に聡明な判断を仰ぎ、国民がパニックに陥らないよう諭す――だろ」

 きっと、俺と甲斐斗はその答えに行き着いている。


「そんな話、この時代に誰が耳を貸すもんか。政権争いの道具に成り下がった二項対立でしかない報道の中で、正当なジャーナリズムが遂行できる土壌は失われている」

 甲斐斗の反論は、3ヶ月前に俺が分銅祭で吐いた弱音に酷似した。視線の端で、桐谷先輩の微笑ましがっているとも呆れているともつかない溜息の気配を感じる。


「いや、土壌は――あるんだ。お前の言ってた、皆が信じるひとつの機関による公正な報道は、パンゲアがAIという形で叶えてくれた。俺の言ってた、色んな立場の人が議論を交わしてそれを見た個人が判断できる場も、SNSやトピックストリーマーの台頭で実現しつつある」


 そんな世界で、弱音を吐いて足踏みしている訳にはいかない。


「声さえ届けば、国民は自分で考えて行動できる」

「だからそんな事は理想論の夢物語だって言ってるんだ! 国民は自分の信じたいものしか信じない!」

 俺の言葉に甲斐斗が即座に反論する。


 パンゲアは「正しい資料」ではあるが、それをどう解釈するかはまだ人間に委ねられている。人間が解釈して初めて、報道は意味を持つものになる。


 甲斐斗は自分で握った拳を見つめながら声を絞り出す。

「誰が何を言えば皆が信じる? ……当事者たるアオ派の若者たちは政府の発表を信じない。アオ派の信じるものはその親世代へは届かない。そんな食い違う世論に晒されたら、パニックは避けられない」

「その通りだな……誰が啓蒙しようとも、それはどの立場からのポジショントークなのかを皆は見極めようとする。報道革命後の世界で、人々のそんな目ばかりが肥すぎた」


 そして、誰もが疑わないパンゲアは無機質で、人命を考慮した情報操作でパニックを防ぐような機能を持たない。


「でももし、まだ曇っていて見えないだけで、異なる立場の者たちが共に歩めるような……そんな道があるとしたら、それでも人の心を動かせないと思うか?」

「えっ――?」


 俺の推論は、まだ現実的とは思えない路。

 今まで敵対し合っていた両者が利害や意地を捨て、命を守るための行動をとる未来。


 俺の言葉に縋りたいという気持ちを強引に抑え込むかのような、葛藤に苛まれた表情で甲斐斗は答える。

「……無理だよ。皆国は、研究を囲っていた総理派や契倫会と、知らされていなかった他派閥での内部抗争が始まる。しかも予期できていた総理派ですら災害対応の陣頭指揮をとる準備は無いんだから、これから政府は混乱を極める」


 不祥事隠蔽からの責任逃れに躍起になるであろう総理派、この期に総理派を失脚させようとする他派の者、世論と派閥力学を読んで選挙に繋げようと打算で動く者。災害対応の押し付け合いに、野党や国民の非難からも逃げられない。

 今の皆国党は、とても一丸となって国家の危機を乗り切れる態勢ではないだろう。


 そして甲斐斗はさらに続ける。

「民清はまだ政権を取っていない。いくら皆国が混乱していようと、表立って主導するのは政権与党に求められる機能。だから新垣治がいくら有能でも、根本的な解決策には手が届かないよ」


 総理たちと違い、新垣率いる民清党はたった今すべての事実を知ったのだ。専門性の高いリーク資料を迅速かつ的確に読解し、最良の策を練り責任ある決断を下すことはそれ自体も難易度が高い。その上で内閣の面々は皆国党員で占められているため新垣は指揮権を持たず、若者の為に才気を発揮させる直接的な機会には恵まれない。

 だから民清が独自に災害対策本部を設置しても、政府の尻を叩くことが主眼に成りかねない。


 こんな時ですら国の中枢は一枚岩でなく、ひとつの目標に向かうのは不可能に近い。

 けれど俺の伝えたいことは――

「――違うんだ、甲斐斗。政治家の顔色を窺うことが報道じゃないだろ? 俺たちが届けたい言葉は、いつだって当事者たちからもたらされるべきだ。そうやってあらゆる立場から視界を拓けば、まだ見えない道も照らせると……俺は信じている」


 そして当事者であるのは俺たちとて同じ。


「だから、遅くなっちまったが伝えさせてくれ。先ずは俺が見て来た事と、ここに至るまでの道のりについて。その先にきっと、答えがある」


 この部屋の3人を信頼させられなければ、その先にいる数百万人を動かすことなどできない。

 だから俺は秋山と桐谷先輩、そして甲斐斗に、配信者転落死事件から連なる過去の説明を始めた。


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