170話 【SIDE-都築甲斐斗】ストックホルムシンドローム
11月。我が母校、帝東大の文化祭である分銅祭において、今年のサプライズゲストとして新垣治が登壇するという情報を公安が入手した。学生層の清廉情報思想の過熱を牽制する為、A班は機動隊と共に有事の鎮圧のための出動をかける。
ただでさえ理想を追いかけていた学生時代を思い出させる空間に胸が締め付けられるのに、何の因果か乙郎や桐谷先輩と不意の再会を果たしてしまった。
ねぇ、2人は母校の空気を懐かしめた?
今の僕を目の当たりにした桐谷先輩の悲痛な表情に対して、いつか弁明の機会は与えられる?
僕への対話を試みていた乙郎に対し、取り付く島もない態度で淡々と任務をこなしてしまったけど、これで彼を突き放すことはできた?
バチン!!
「うっ……っあ……!!」
帰宅後、僕は分銅祭で振るったスタン警棒の先端を握り締め、そのスイッチを入れていた。
「……うぅっ……ふぅ……はぁ……」
その痛みを記憶に刻みながら、呼吸を整える。
これは人道的に暴動を鎮圧する為にと与えられていた武器だったのに、脅しだとしてもそれを学生に向け、さらには親友に使ってしまった。そんなの納得できる訳がない。だから無意識に、その肉体的な痛みを自身へも向ける事で精神的な痛みを緩和させようとしていた。
そして更に僕を苛む出来事は続く。
秋山氏が乙郎と内通している事を知ったのは、師走に差し掛かった頃だった。それは孫六氏からもたらされた情報で、B班の機能を持ってすれば気付く事は造作も無いらしい。
問題は、乙郎が自らの意思で小鳥遊丈を探そうと動き出した事。彼を苦しめまいという憂慮を押し付けた僕を他所に、事態は悪い方へ進んでいる。
僕は何をやっている? 何をすべきなの?
行動の全てが不誠実で、筋が通らず、釣り合っていない。
僕は、僕が逃げ出さないよう監視しているもう1人の自分を失望させまいと、ただがむしゃらに仕事に臨んでいた。
「次期衆院選、我が党は下野する目論見だそうだ」
年末、久々に田園調布の郷田邸に呼び出された僕に、和義様はそう告げた。この部屋に通された理由はどうであれ、まだ自分の存在価値を和義様が認めているんだと少し安堵してしまう。
「その災害が社会に大損害を与える事を我々のみが予測でき、そして対処法は未だ見つからない。ならば批判から免れるために国政を留守にするのが得策と、聡明な総理殿はお考えだ……もちろんその目論見を知るものは限られており、多くの党員は本気で選挙活動をしているがな。それでも総理の意向に沿わねばならん幹事長の気苦労が知れる」
この春に訪れる磁気嵐によってデバイスジャック患者が甚大な被害を被る可能性――まるで僕がその事を知っていて当然であるかのように和義様は語る。
「……小鳥遊丈は放っておいて良いのですか?」
皆国党が災害対応から逃げる事を、恐らく小鳥遊丈は許さない。それでも総理が下野するというのなら、小鳥遊丈は告発に至る充分なソースを得られなかった、あるいは発信できない状態にあると考えているということ。
けどそれはあくまで総理の見解。今日ここに僕が呼び出された事を考えれば、和義様には別の考えがあるに違いない。
「そうだな。放っておいて研究結果を隠蔽している事が世にバレてしまえば、責任問題は免れん。死者が出れば尚更、二度と皆国が与党に返り咲く事は無いだろう」
「では、引き続き小鳥遊丈の確保を急ぎます」
A班所属の僕にどこまでそれが現実的かは測りかねるけど、和義様の意向であれば力を尽くす他ない。このお方は不必要な情報で市民を惑わす事を何よりも嫌っているのだから。
そうして僕が気を引き締め直そうとした時だった。和義様が徐に脇からとある冊子を取り出す。
「好きにすれば良い」
「えっ……?」
和義様の予想外の返答と、そしてその冊子を見て僕は間抜けな声を出してしまう。見覚えのあるそれは帝東大報道研究会の機関誌『幸首』だった。
「新垣が立ち上げたサークルだったか。それも少々興味深いが、今の趣旨はそこではない」
そんな事を言いながら、和義様はパラパラとページをめくる。そして次の一言で、それが僕の論説が掲載されている最終号であると気付かされる。
「“完全公正な世界報道機関構想”――結構な事だ。お前の思い描く世界において真実とは全ての人々に平等であるべきで、それは皆が信じて疑わず、かつ利権のどこにも属さない世界機関によって与えられる。……ただ、強い倫理的介入が許されるという点において、パンゲアとは似て非なるものという訳だ」
和義様は僕の学生時代のそれを読んだのだ。
本来なら和義様のその真意を測るべきであると、即座に考えを巡らせなきゃならなかったのに。しかし驚きの後にやってきた感情は、止めどない高揚感であった。
和義様は都知事として遺憾無くその能力を発揮し、首都経済圏構想は成功を収め、近年では警視庁と連携を強めて都内の治安維持でも成果を挙げている。国政から離れながらも皆国党のナンバー2と目される辣腕で、政財界からも評価が高い傑物。
そんな人が僕個人に興味を持ち、あまつさえ学生時代の駄文にまで目を通して向き合っている。しかも彼が口にする言葉から、僕の理想への理解度が高い事は充分に伺える。その事実は、ここまで自己肯定感を擦り減らしてきた僕を充分に満たし得る承認だった。
「……仰る、通りです」
「そして、かつてお前が告げた理想――真実をそれだけにはせず、人の手による社説や特集により民衆の見識を広げる……だったか。ならばすべき事は見えているのではないかね?」
理解っていた。
もし僕が信じた理想に則るのであれば、デバイスジャックの件は報道規制すべきじゃない。何故なら既に事実を知っている党上層部は、シェルターなり何なりで磁気嵐から我が子を守る計画を立てられる。それは相対的に見れば、情報格差により民衆が一方的に損を押し付けられる状態であり、看過できない。
「全てを周知させた上で、国民がパニックに陥らないよう蒙を啓く……それが私の正解です」
僕は震える声で、それを捻り出した。
99.99%の若者には軽微な影響しか無い事を丁寧に説明し、群衆心理を紐解いて混乱が生む経済損失や二次被害の恐ろしさを啓蒙し、各々に聡明な判断を仰ぐことでパニックを防ぐ。
そんな事は理想論の夢物語。この半年以上もの間、自分の中で幾度もシミュレートを重ねてきたけど、どう足掻いても不可能だと結論付けてしまっている。
それでも嘘を吐けない自分が、そう応えた。
「なら、好きにすると良い。お前が理想の為に勝手に動くと言うのなら、私がどうしようと止められんだろうからな」
あぁ、そうか。
和義様はこの機に総理派への打撃を望んでいる。その為にはこの件が顕になってしまう事もやぶさかではない。きっと、国政に居ない自身は責任追及を誤魔化す術を用意しているんだ。
けど彼はその立場により、真実の公開を皆まで命令しては筋が通らない。だから“部下の自主性”に任せようという算段だとしたら……!
――お前の思想が必要な戦場を用意してやるつもりだ。
和義様がかつて口にした、その真意に迫ろうとしている。6年前の時点で今のこの状況を予測していたというのなら、その先見性は量り知れない。
そんな男に、決断を委ねられている。
そして気付いてしまった。
僕はずっと、僕を承認してくれる主人を欲していたんだ。
どこに身を置いても中途半端で自分に誇れるものが無く、しきたりに耐え抜く事の方に価値を見出しながら生きてきた。そして今、社会で上に立つ圧倒的強者から僕の自主性を肯定され、不覚にも満ち足りていく自分を確認してしまった。
たとえ、この幸福すら和義様の手のひらの上だとしても。
「……仰せのままに」
僕の好きなように、できる。
果たしてそれは、過去の理想に従う事?
それなら和義様の期待に応える事にもなり、さぞや心地良い。それは小鳥遊丈の暴露に協力し、その上で磁気嵐対策の啓蒙準備に励む道。パニックは必至だけど、己を満たすには事足りる。
あるいは、理想と決別すべき時が来た?
それは小鳥遊丈を捕え、暴露によるパニックを防ぐ道。隠蔽の十字架を背負う代わりに、傷付く人々が少なくて済む。そして何より、聡美様のことを思うなら――
僕の中での決心はついている。それが誰の助けになり誰への裏切り行為なのかよく噛み締めた上で、行動を急ぐ。土俵に上がれなければ、選択する機会すら訪れない。
だから誰よりも早く、小鳥遊丈に到達しなきゃならない。




