166話 【SIDE-都築甲斐斗】チヨダの澱
僕が公安に所属して4年目に差し掛かる頃、僕と所属を同じくする6課のとある隊員が交渉を持ち掛けてきた。
「いやはや、卓についてくれて助かりますわ。あぁ、あっしはB班の孫六っちゅうモンですわ」
小太りで胡散臭い方言のその男は、この警視庁本部庁舎に不相応なくたびれた格好をしている。権威喧伝の役割を担うA班と異なり、真の暗躍活動を行うB班の者たちは私服警官のように振る舞うため白コートを羽織っていない。
「本来ならA班とB班の私的な情報共有は禁止です。それを押して、何の相談があるというのでしょう?」
ここは警視庁内でも公安警察にのみ立ち入りが許された部屋で、機密性が高い。しかし入室記録は残るため、長居をすると怪しまれてしまう。
「そこは“政治”が働いとるんで心配なさらんで下さい。単刀直入に言いますわ。あんさん、郷田はんトコの兵隊でしょ。あっしは総理派のモンなんすが、ちょっと下手うっちまってフォローお願いしたいんですわ。こっちの情報もお渡ししますし、損はさせませんぜ」
僕も、そしてこの孫六と名乗る男も、公安としての責務が有りながらその裏で政治派閥の諜報役を担っている。ならこの話は無視できない、僕だって正義感で警察になった訳じゃないのだから。
「……その中でなぜ私を選んだのですか?」
「駆け引きなら無意味でっせ。郷田はんの息のかかってるのは6課じゃあんさん1人や。桜田門じゃまだまだ幅を利かせられねんからな、契倫会は」
流石に、国家元首の派閥を名乗るこの相手の方が上手のようだ。
「……続けて下さい」
「おおきに。先日、あっしは尾けてたターゲットに交番に突き出されてしもたんですわ。勿論、公安である事はバレてやせんがね。……でももうあっしは警戒されちまったんで、そのターゲットをあんさんに引き継いで貰いたいんすわ」
それは上の命令であるなら従える内容だった。しかし組織的には構成員でしかない我々の独断で決めて良い訳がない。それにB班が追っていた者なら、A班の業務指針と異なるターゲットの可能性が高い。
けどそんな指摘は野暮かもしれない。孫六氏は“政治”によりその辺りの問題を既にクリアしてきたような言い振りなのだから。
「こいつですわ」
スッと、机上に一枚の写真を差し出す。
そこに写った男の顔を見て僕は絶句すると共に、何故この話が僕に回ってきたのかを理解した。
「乙郎……!!」
「いやはや、ご友人ちゅうことは調べさせていただきやした。でもその前にちょいと説明させてくだせぇ……配信者落下死事件から続く因縁の話ですわ」
孫六氏の話はこうだった。
配信者転落死事件の現場には、速水トオルが連れてきた記者が紛れ込んでいた。かつて和義様はその者が速水トオルをそそのかした真犯人だろうと推察しており、しかし日笠氏が隠したがっていた手前、深くは追求しないスタンスであった。
その者は「私人X」と呼ばれ、ツワブキ出版の社長らしいというところまでは調べがついていた。それは今や巷でも噂され始めているほど有名な話。
そしてツワブキといえば、かつて乙郎の居た出版社。
もう再会してもまともに顔を見れそうにない僕の親友の、古巣。
彼の憧れた男――小鳥遊丈が報道革命の引き金となり、そして貫こうとしたジャーナリズムにより倒産したのなら、乙郎もさぞかし過酷な道を歩んだんだろう。そんな事、今の僕の体たらくで直視するには眩し過ぎる。
「あっしの目下の最重要任務は、国家機密でもある研究医療チームの報告書を盗み出した小鳥遊丈に到達することでっせ。だが奴はツワブキの倒産後、公安から2年以上も逃げおおせとる。だからその周囲の人間……元ツワブキの社員から糸口を掴もうとしとるB班の話は知っとりましょう?」
「えぇ……こちらA班も来たる参院選に先駆けて、キー局や全国紙に監視態勢を敷いています。そしてその裏で、ツワブキの元社員から小鳥遊の情報を聴取しろと指令が出ていますから」
つまり、乙郎もその聴取対象のひとりだ。
ツワブキ出版の倒産後にどこへ転職したのかは知らなかったけど、少なくとも僕が知れる範囲の聴取対象リストには居なかった。
「この橘乙郎という男、中々のクセ者でっせ。自分は報道業界から身を引きながらも、タクシードライバーなんて職に就いてるのはjoxiへの追求目的かもしれへん。しかも、公安のあっしの尾行に気付いてそのまま交番に突き出す程の警戒心と行動力を持ってるのは驚きやした。こっちもカメラ回してたんが仇になっちまいやしたが……まぁ安心して下せぇ、あん時は動機を勘違いしてたツレの娘に擦って誤魔化しやしたし、警官には公安であることを裏で明かして言いくるめときやしたんで」
知らない乙郎の情報が次々と告げられる。
けど今の乙郎がどんな生き方をしていようと僕に何かを言う資格はない……が、それが仕事になってしまうのなら、またかつての親友と面を突き合わせる覚悟が要る。
「あんさんが旧くからの仲ってんなら、もう直接聞き取りを行っても良いんと違いますか? 公安って素性が知られてなければ警戒もされんでしょう」
「それも不可能ではないでしょうが……ところで、どうして貴方は乙郎相手に聴取から入らずに、わざわざ尾行なんて手段を取ったのですか?」
それはA班がキー局の元ツワブキ社員相手に行っている手法とは明らかに違う。尾行だの撮影だの、まるで犯罪者相手に証拠を抑えようとしているようにすら見える。
「そりゃあ、橘乙郎が小鳥遊丈と接触するところを抑えたかったからに決まっとるやないですか。あっしらみたいな怪しいモンが聴取から入ったら、ヤツらの警戒を強めるだけの逆効果で終わっちまう……まぁドジ踏んで余計に怪しまれちまいましたがね。へへっ、不甲斐無ぇ」
「待って下さい! それじゃまるで、乙郎が小鳥遊丈の配下で暗躍させられているかのような言い草ではないですか……!」
嫌な予感が沸々と湧いてくる。
孫六氏はこちらの認識に意外そうな顔をして返答する。
「いや? この男はむしろ率先して、小鳥遊側に加担する思想を持ってると思いまっせ。現役時代もかなり可愛がられてたみたいで、社長に代わって色々危ない橋も渡ってたと見とります」
現実はいつだって、僕の想像を凌駕していた。
「――あぁ、もしやご存知ないんですかい? 私人Xは橘乙郎なんすわ」




