162話 【SIDE-都築甲斐斗】報道革命の舞台裏:かつて番記者だった者のケース
その日、僕は郷田……和義様の軍門に下り、記者を“装って”偽りの情報を流布して彼と総理を早急に繋ぐのに加担した。
結果、和義様と総理の交渉は成立したようで、その事件について警察関係者には箝口令が敷かれ、真相は闇へ葬られることとなった。
配信者転落死事件。
日笠グループと郷田国交相の癒着を追っていた記者が、日笠の工場見学施設の屋上から転落死を遂げた。速水トオルという名で活動していたその自称ジャーナリストは、SNSや動画サイトなどでマスメディアの在り方に疑問を呈する立場を発信していた。
事件当時、日笠正造に癒着の事実を突きつけるその冒頭は速水トオルにより生配信されていた。だから死因についてもネット上では多くの議論を呼んでいたけど、皆国党から圧力をかけられていたマスメディアが事件を掘り下げる事は無かった。
しかし当然の事ながら和義様は、現場対応した警察の報告と現場に居合わせた正造氏の証言、そのどちらも聞ける立場だった。僕が聞くと、和義様は躊躇もなくその内容を教えてくれた。
転落死した配信者、速水トオルの本名は周明透葉。22歳女性。突撃取材の際、彼女が正造氏の視察タイミングを知り得た理由は不明。配信が切れた後の会話内容も不明。この辺りは正造氏本人の歯切れも悪く不可解な点が多いようだった。
そして、現場にはパパラッチがもう1人。
速水トオルの配信活動歴から鑑みるに、彼女が日笠と国交相の繋がりを暴いた可能性は低いと和義様は考えていた。ならばこのパパラッチ――“私人X”と名付けられた者による入れ知恵の説が有力。この男の口を塞ぐ必要性は高く感じるけど、彼を逃がした正造氏曰くその必要は無いとのことだそうだ。
正造氏はいくつか隠し事をしている様子ながらも、和義様はそれについて深くは追求しないことで貸しを作ると語った。
一方、僕の退職は不気味なほどスムーズに終わった。
引き継ぎすらもおざなりで、せめてもと伊東さんに挨拶に行ったのに、こちらの事情などは何も聞かれなかった。
「お前、タバコ苦手だっただろ。もう付き合いで吸う必要も無くなるな。……精々健康でいろよ」
和義様が裏から手を回し、社員が僕の退社を追求できないよう取り計らっただろう中で、最後にそんな言葉をくれた伊東さんに、僕はただ深々とお辞儀をする事しかできなかった。
記者でなくなった僕に、和義様は自身の思想や展望を刷り込んでいった。
「私は、私と相反する思想を持つ人間を周囲に置くよう心掛けている。そしてそれらを御しきれるか、私は常に自身の器量に問いかけ続けているのだ」
「人の手による示唆に富んだ報道には、情報弱者の見識を広げられるような価値がある――と、お前は言っていたな。如何にも勤勉な者の傲慢な意見だ。私とは相入れん。弱者救済とは、弱者に強者と同じ武器を与えることではない」
「だが、それは一側面において決して誤りではない。だから大事にすると良い。お前の思想が必要な戦場を用意してやるつもりだ」
和義様はあの日、僕に挽回の機会を与えると言っていた。
どうにも不気味なことに、僕の思想に明確な“使い道”を想定しているかのような口振り。けど僕の中ではもう、かつてジャーナリズムと信じていたそれは色褪せて、今はただ和義様に従う傀儡に徹するのが楽だと気付いてしまっていた。
そして和義様はそんな事も見抜いているとでも言うように、僕の消えかかった火元に薪をくべるかのように挑発した。
「お前が識りたいと望む事は、訊けばいくらでも応えよう。先ず見聞を広げることこそがお前の流儀だろう? だが、質の低い問いを投げかける者は底が知れる。訊き方を間違えるな、これは私の流儀だ」
配信者転落死事件から1ヶ月後、和義様は国交省の推進する新タクシーシステムの開発プロジェクトを発表した。
名目上はタクシーの営業管理やサービス機能の一本化を目指す形であったけれど、一方で実験的な先進機能も多く備える計画。自動運転や車内基地局、果てはプラグインハイブリッドと呼ばれるガソリンでも電気でも走る自動車の設計を目指していた。
程なくして、その複雑で高水準な入札要件を満たせるのは日笠重工だけである事が発覚する。その関係性は速水トオルが糾弾していた癒着そのものであり、ともすれば官製談合だった。
しかしメディアはその点を追求せず、それにより明確な違法性を証明できる者もおらず、やがて日笠は受注に漕ぎつけた。
ネット文化の中心である若年層は怒りを募らせ、『清廉情報思想』というムーブメントを生んだ。現在の報道業界に蔓延る既得権益の保守姿勢に異を唱え、ネット上で得られる情報こそが真実であるという風潮が強まっていった。
「そろそろ話そう、お前が担う役割を」
配信者転落死事件から4ヶ月後の年明けの頃、僕は田園調布に構える郷田邸に呼び出された。
部外者となった僕はいつまでも国交省に出入りは出来ないので、いつしかこの豪邸に招き入れられるようになっていた。番記者時代には監視カメラの並ぶ高い塀を見張っていた事もあったのに、そんな僕が今や応接室への入室を許可されている。この部屋ひとつとっても大臣室より豪華なんだから皮肉なものだ。
「パンゲア加盟への調整が水面下で進んでいる。清廉情報思想とやらの浸透速度によっては世論に押し出される形でタイミングが早まる可能性も出てきた。政府はこれの手綱を握るために、警視庁公安部に対策課を設立する」
世界を見渡しても、パンゲアを歓迎する姿勢を見せつつ対策機関を立てている加盟国は多い。しかしこの国でその役割を担うのが公安警察というのなら、いささか仰々しさを感じる。
「お前をそこに入れる」
「っ……! 私が、公安に……!?」
僕は驚きを隠せず前のめりに反応する。
「公安は情報を扱う仕事だ、元ブン屋なんて肩書きの奴でも通用する。……新設する組織に自分の息のかかった駒を忍ばせるなど、年季の入った政治家なら誰しもやっている事だ。私はお前を推薦する」
公安警察と言えば警察の中でもエリート集団。その構成員には機密性が求められ、家族相手にすら秘匿義務があるとか、写真を撮られるのも極力避けねばならないとか、そんな噂を聞いた事がある。窮屈で過酷な生業なのは間違いない。
「私に……務まるでしょうか」
「書類審査はこちらから口を効いてやる。試験も帝東卒ならまぁ何とかなるだろう。警察学校に入る事になるから、今から身体づくりをしておくんだな」
深夜、郷田邸を後にすると氷点下の空気が肌を刺す。街灯に照らされた閑静な高級住宅街を歩みながら、白い息を流し物思いにふける。
警視庁公安部の、清廉情報思想監視及びパンゲア対策課。
そこは恐らく、悪い意味でこの先の日本における報道の最前線になる。過酷な環境で、理想とは真逆の行為に手を染めることになる可能性が高い。
……ジャーナリストでありながら公正を貫けなかった者への罰としては、丁度良いじゃないか。
「っ……ふっ、ははは……!」
物寂しい冬の夜道で、僕の自嘲的な笑い声は冷気にこだまし、闇の中へ溶けていった。
あれ以来、乙郎にも桐谷先輩にも連絡できていない。




