161話 【SIDE-都築甲斐斗】フットインザドア
「桐谷、先輩……!」
SNSに投稿されたそのワイドショーの一幕は、敬愛する大学時代の先輩が事故を目の当たりにした瞬間だった。僕はそのスマートフォンに喰らいつくようにして、桐谷先輩の安否を確認しようとする。
「えっ、どうなさいました……?」
持ち主の女性を驚かせてしまったけど、今の僕にそれを気遣う余裕はない。
自分のケータイでもSNSを開き、事件概要をまとめた有志の投稿に目を通す。こんな時、正確性を多少犠牲にしてでも得たい情報を知れるスピードは、メディア報道よりSNSに軍配があがる。それは悔しいことだけど背に腹は変えられない。
「このリポーターさん、お知り合いなんですか?」
僕の焦り具合やら何やらで察したんだろう。今は問答をしている場合ではないんだけど、事件の検索にいち早く協力してくれた彼女を無下にはできない。
「ええ、……とても、大切な人です」
「――ほう、それは難儀な事だな」
不意に、会話に知らない声が混じる。
いや、本当は毎日のように耳を澄ませて聞いている、それでいて慣れず落ち着かない声。僕は驚いて振り返ると、そこに立っていたのは――僕の取材対象である郷田和義その人だった。
「大和新聞だったな?」
僕の顔を覚えていたようだった。
それは光栄な事だけど、今は自分の仕事を遂行する事を考えなければならないので頭を必死で切り替える。庁舎でもこの辺りの通路は人気が少なく、ここには他に郷田大臣が連れている秘書官くらいしかいない。番記者たちがまだ駆け付けていないのだから、これは独占取材のチャンス。抜かれた分も取り返せるかもしれない。
「郷田大臣、先ほどのニュースはご覧になられ――」
ポケットのボイスレコーダーを素早く取り出し、彼に向けようとするが、それは郷田大臣の声に遮られた。
「着いて来い若造。……聡美、お前は届け物だろう? そっちは秘書に任せる」
「はいはい、分かりましたとも」
現職の大臣にやけに馴れ親しげな隣の女性の事なんて、今の脳ではもう処理しきれない。理由は不明でも指名を貰ったこの機会を逃すまいと……いや、ぶら下がりならいざ知らず、一対一での圧を浴びて屈してしまっただけなのかもしれない。
何にせよ僕は、一般侵入禁止区域へと向かう郷田大臣に付き従った。
「情けないな、最近の若いのは」
国土交通省の大臣室。
大きな机の周りをレザーのソファが囲い、壁際には高そうな壺や皿が並んでいる。国交省らしく日本地図が額に入って飾られていることに、雰囲気づくり以上の意味があるのかは分からない。
上座にある自席に腰を下ろした郷田大臣は、2人しか居ないこの広い部屋で僕に向けて悪態をついた。
「……どういうおつもりか存じ上げませんが、巷で話題となっている癒着の件についてお心当たりがお有りでしょうか」
なぜ僕が招き入れられたのか分からないけど、こんな時こそ記者として毅然に振る回らなければならない。僕は精一杯の去勢を張って、国民の代表として振る舞う。
「ふざけてるのか、若造。今更ジャーナリストごっこをしても無意味だ。心当たりだと? あるに決まっているだろう、私も、お前も」
郷田大臣の肚の底に響くような声は、大人数を相手にする時のおおらかさを感じさせない。僕という個へ向けて、強い言葉を発している。
「安心するといい。ネタを抜いた奴は番記者の中には居ない。お前たちは徹頭徹尾、ジャーナリズムを殺してこの国の腐敗構造を守ろうとしたのだ」
「それは……! 貴方がメディアの上層部まで抱き込んでいたからでしょう!?」
「吠えるな。お前たち記者クラブ連中はどんな時であれ国民の代表で在らねばならなかったのだ。その道から逸れた結果、どこぞの動画屋パパラッチに手柄を取られただけの話。……お陰で面倒な形になった」
郷田大臣の一言ひとことが、胸に刺さる。
彼のスタンスこそ読めないが、口にしている内容は僕の葛藤その全てを抉るような叱咤。
でも仕方なかった。
僕は組織の中ではまだ若輩で、先輩や会社に迷惑をかける訳にはいかない。清濁を呑み込んでキャリアを積めば、いずれしっかりと自身のジャーナリズムを遂行できる立場へ行けるのだから、今は辛抱するのが最善だった。
失うものの無いフリーのパパラッチとは違う……そうでしょ?
「……私に説教をする為にここに呼んだのですか?」
記者としてこの場で何かひとつでもスクープを持ち帰らなければならないと自覚はしていたけど、しかし一刻も早く立ち去りたいという気持ちが込み上げてくる。
「事故が起きたらしいからな、これからその現場検証が始まるだろう。報道はどうにでもなるが、警視庁や検察庁はそうはいかん。総理は党内で勢いを増す契倫会の弱体化をお望みだ、その材料となり得る今回の事件にはさぞ力を入れて追求するに違いない。静岡県警には既に口効いたが長くは保たん、こちら側から“政治”をする必要があるということだ」
そう。郷田大臣としては隠蔽に走りたいのだから、こんな所で僕を相手にしている暇はない。そしてその動向を追いかければ、僕は僕の仕事ができる。
「威信がかかってる時のこの国の警察は容赦がない。放っておけば、関係者は執拗に詰められるだろうな」
新卒の頃にサツ回りを経験したので解る。警察は個々はどうであれ組織としては気位が高い。犯人に手玉に取られる事を嫌うし、恥をかかせようとする相手には容赦をしない。隣接する県警同士が競い合うような気質もある。
その行き過ぎた矜持により、彼等は稀に法外な手段にも手を染める。脅迫紛いの取り調べや切り違え尋問、証拠品の捏造など、それは世間にも露呈して度々問題になっていた。
大臣の言葉からそんな事を思案していると、やがて嫌な推測が沸々と湧いてくる。
「それは……止めていただきたい……!」
郷田大臣は、僕が桐谷アナを大切な人だと漏らしたのを聞いていた!
だから僕個人に声をかけてきたんだ……!
有力な目撃者の桐谷先輩は、これから結論ありきの尋問を受ける事になるかもしれない。総理派閥の欲しい言葉が引き出せるまで監禁されることさえあり得るうのに、それでも桐谷先輩の頑なに譲らない姿が目に浮かぶ。そして彼女はジャーナリズムが踏み躙られて憔悴していく……それは僕にとって、何としても阻止したい未来。
「あるいは“今なら”……総理と交渉の余地がある。いくつかの手土産……例えば、契倫会の国政への勢力軟化を提案することで、手打ちにできなくはない」
「……貴方が閣僚から都政へと移りベイエリア利権から手を引けば、でしょうか?」
あの晩餐会でのハヤトの言葉を思い出し、僕は思わずそう口にした。郷田大臣は元より国政から手を引く計画なのに、大臣のポストを交渉材料に使うという腹積もりなのかもしれない。
「ほう……この件はそうそう漏れていない筈なのだがな。腑抜けであっても、存外無能ではないようだ」
今それを褒め言葉と受け取るほど能天気ではない。
「この交渉は首相官邸へ直接赴かなければ通せん筋の話。しかし今出ていけば記者共に取り囲まれ、時間を浪費している内に事が間に合わなくなるのが関の山だろうな。どこぞの間者が中立である記者を装って、私が裏門へ回っただの既に本省を去っているだの、嘘で撹乱してくれればその限りではないが」
これこそが、郷田大臣が僕を招き入れた理由。
けどそんな事は出来ないとすぐさま突っぱねなければならない。それなのに桐谷先輩の顔がチラついて、どうしても言葉が出てこない。
頬を汗が伝っていく感覚だけが、時間経過を滲ませる。
「……黙っている、という事はもうお前の中では結論は出たということだ」
僕はそれを否定できず、悔しさの余り噛み締める音が聞こえそうになる程に口をつぐみ続ける。
「身内贔屓で判断を変えるお前は、もはやジャーナリストなどではない。ならば当然、この部屋での事は他言無用にできる」
「っ……、それはお約束できません。今後、もし貴方が国民の不利益に繋がるような行為に及んだ際には……」
郷田大臣の眼光は心底蔑んでいるかのようで、その事に気付いてしまい僕はまた言葉が詰まる。
「所詮は口だけの理想で取り繕うな。本来ならパパラッチに抜かれた時点で、“大衆に有益な啓蒙としての報道”とやらを掲げる資格は無くなったのだ。……良かったな、身内のためという言い訳ができて」
あぁ、僕の弱さが丸裸にされていく。
指針にしてきたつもりのジャーナリズムが砕け散っていく。
僕にはもう、記者として大和新聞に帰る資格は――
「ジャーナリストでないお前はもう新聞社に居るべきではない。……だが、自分が許せず挽回の機会が欲しいというのならば今後は私の駒にしてやってもいい」
郷田大臣には時間が無い。
だからもう口答えすらもできなかった。
――その日、都築甲斐斗は記者では無くなった。




