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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第09章 形而上ダブルイフェクト
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157話 【SIDE-都築甲斐斗】ほろ苦いアレゴリー

 ライトアップされた円卓に近づくと、その席にはご丁寧にも名札が立てられていた。まるで今夜の主賓はあなたたちであると言わんばかりの、豪勢なおもてなし。


 僕を含めた20名余りが、各々自分の名前を見つけて戸惑いながらもその席につく。

 郷田大臣の番記者たちは皆んな僕と同じように若手で、他社の社員と言っても囲み取材やぶら下がりで顔見知りの者たちばかり。普段はライバルのような関係だけど、今はお互い不安げに顔を見合わせることしかできない。


「緊張しなくても良い。今日は諸君らとざっくばらんに語らいたいと、この席を用意したのだ」

 もうマイクを通さないその声の方を向くと、郷田大臣が円卓の一番上座に腰を下ろすところだった。


 ハヤトは母親似なのだろうと即座に思ってしまうほど、郷田和義は逞しく雄々しい顔立ちをしている。若かりし頃には精悍であったんだろうと伺えるけど、今となっては頬は落ち窪み目尻や眉間にも深い皺が刻まれている。髪は黒染めされ、髭が綺麗に剃られているのは、政治家として清潔感を求められることを意識している証。

 その男の顔は半年間番記者として間近で見続けてきた筈なのに、何故だかどうしても親近感が湧かない。


 辺りに目をやれば、ワイングラス片手にこちらを眺める政財界の招待客が囲っていた。円卓だけライトアップされている事も含め、まるで見世物かのようで居心地は非常に悪い。


「さぁ、記者懇談会を始めようか」



 既に1時間程が経過したこの晩餐会において、僕はこれまで一度も郷田大臣に近づけずにいた。彼の周りには常にお偉方が居て、無粋にそこに割り込む勇気はなく、精々聞き耳を立てるので精一杯だった。

 だから記者懇談会としては物足りなさを感じていたし、それはきっと他の番記者たちにとっても同じ。しかし、どうやら本当の催しはこれからのようだった。


「諸君らは自身のジャーナリズムを一番に考えたまえ。遠慮することはない。真のオフレコなど存在しないことは、我々政治家が一番良く知っている」


 そうこうしてる内にオードブルが運ばれてくる。

 この1時間弱の立食パーティーにおいて、僕たち若手記者にはビュッフェに舌鼓を打つ余裕なんてなかった。大物が集うこの貴重な機会に、少しでも顔を売り話を聴くことに注力していたのだから。

 ならこのコース料理は、そんな僕たちの状況をも見越して用意されたもの?


 しかし辺りを見渡せば、20余名の若手記者と国交相が座る円卓、それを肴に飲み交わす権力者たち。そんな悪趣味極まりない席は、もはや懇談なんていう雰囲気じゃない。普段は毅然とした態度で質問を投げる僕ら番記者も、誰一人として口を開けずにいる。

 そんな空気を察してか、郷田大臣が口を開いた。


「コーヒーは好きかね?」


 その唐突なアイスブレイクに、皆んな呆気に取られる。郷田大臣は僕たち番記者ですら見た事もないような、何時になく慈しみに満ちた視線で円卓をゆっくりと見渡す。


「私は……朝食時、目を覚ますために飲んでます」

 ひとりの記者が、恐る恐る差し障りのない言葉を返した。


「うむ、ありがとう。他の人はいかがかな?」

 郷田大臣は柔和な声色を崩さず、僕たち若手に問いかける。


「……昔は好きでよく飲んでいましたが、最近は健康に気を遣って飲まなくなりました」

「あぁ、私もその論文は読みました。発癌性が確認されたそうですね」

「いや、あれは発癌性が無いと証明できなかっただけですよ」

「むしろ適量の常飲なら、癌の予防効果があるのが定説では無かったですか?」


 徐々に若手記者たちが口を開いていく。

 僕も、恐らくこの場にいる他の記者も、問答の意味を察することでこの不安な気持ちを埋めたいと感じていた。そうして行き着いた先は、ジャーナリストとしての時事知識をテストされているのではという推測。

 だから皆、この状況に適応しようと雄弁になっていく。郷田大臣に、そして周囲で目を光らせている権力者たちに、自分が無能ではないと示すために。


 皆が一通り発言を終えると、郷田大臣は満足げに口を開く。

「……成程。しかしどうやら諸君らの言う通りなのであれば、結論は“諸説ある”という事になるのだろう。それはどう記事にするのかね?」


「私なら……論文をエビデンスとして引用します」

「複数の論文で食い違う場合は、誤解の無いよう時系列順で注釈を入れる必要が……」

「そもそも論文の信憑性は一様ではないですよ。ソースが学術雑誌の掲載のみであるのならインパクトファクターまで考慮して……」

「査読の不十分な論文でも、格式ばった文章ってだけで信用してしまう人は多いですからね」

「あー……言いにくいんですが、それ以前にスポンサーへの配慮は必要かと思います。飲料品メーカーはその辺特に敏感ですから」


 それはまるで、郷田大臣をモデレーターにしたディベート。僕たち若手は自身の誇示に熱中し、だからある意味で緊張感は和らいでいた。


「ありがとう。いやはや皆まだ若いのに、この世代は私が考えていたより幾分も優秀なようだ。諸君らが私の番記者で居てくれることを心強く思うよ」

 そんなものはリップサービス。けれども閣僚クラスの人間からこんな席を用意されたら、勘違いしても仕方ない。こうして何人もの記者が政治家に籠絡されてきたんだろう。

 しかし郷田大臣の言葉は、それだけでは終わらなかった。


「……が、はてさてその情報は、本当に人々に望まれているものだと思うかね?」


 その問いかけは、僕たちの議論を一瞬で鎮めた。

 反論の語が思いつかない訳ではないけど、軽率な発言で自身の品位を貶す事を皆恐れている。それ程に本質的な質問。



 僕の母はもう60手前で、パートで近所の花屋に勤めていた。

 穏やかな気性の人で、自分の周囲のみで完結した世界の中で、ほどほどな幸せを感じながら生きていけるタイプ。そんな母にコーヒーの学説について講釈を垂れたところできっと糠に釘。結論だけ教えてくれればそれに従うから、飲んで良いのか悪いのかだけ知りたい――と言う姿が目に浮かぶ。

 この世界はきっと、そんな人で溢れている。



 僕の内心を見透かすかのように、郷田大臣はさらに言葉を続ける。

「知識層は全ての謎を解き明かさんと日々研究や議論に明け暮れている。しかし多くの人々が望むのは、膨大な情報を元に取捨選択ができる自由さなどではない。小難しい問題に憂慮せずとも平穏が維持される状態こそが理想。……選ぶ、とは自由である一方で、リテラシーを要する非常に疲れる行為なのだ」


 郷田大臣が何か手振りでサインを出すと、辺りの照明が弱まる。

 そして、彼の背後からゆっくりと、プロジェクターのスクリーンが降りて来た。


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