154話 【SIDE-桐谷ひのえ】ある密室における視点 丙
工場見学施設裏の人気のない一画で、気付けば辺りをサングラスの黒服の男たちに囲まれていた。私と秋山さんが戸惑う中で、橘クンだけは堂々とした佇まいを貫いている。
黒服の1人が着いてくるようハンドサインで指図すると、橘クンは迷う事なく従う姿勢をとる。それを確認して、私と秋山さんも恐る恐る後に続く形になった。
日笠ファクトリーミュージアム、その関係者用の裏口に通される。
前後に黒服がぴたりと着いていると、何か自分たちが悪い事をしたのではないかという錯覚に陥り、居心地が悪い。道中に会話は無く、廊下には複数の冷たい足音だけが響いている。
一般公開区画の広々とした展示通路とは異なる無機質な地下への階段を抜け、重苦しい鉄の扉の部屋に案内された。
まず目に入る革のソファが応接室のような雰囲気を醸し出しているけど、衝立の向こうには無数の棚が並んでいる。ここは博物館施設なので、公開されていない展示品を保管するバックヤード的な空間なのかもしれない。貴重な資料があるとしたら、厳重な扉にも頷ける。
私たちは促されるまま、古びたソファに腰を下ろした。周りを黒服6名に囲まれたまま訪れる沈黙は、とてもじゃないけど落ち着かない。
屋上から見下ろしていた老紳士が少し遅れて入室し、ガチャリと鍵を閉めた後、一息置いて口を開いた。
「タレコミがあったのです……本日、6年前の事故現場に私人Xが現れると」
私人X――まことしやかに噂される、配信者転落死事件に居合わせた記者のこと。橘クンの居た会社の社長がその正体の有力説であり、私も目撃していないかアオ派の人々から何度か訊かれた事がある。
「橘さん……何故、戻ってきたのですか?」
「申し訳ありません、内藤さん。どうしてもお話しなければならない事があります」
しかし、この口ぶりでは私人Xの正体がまるで――!
隣に目をやると、秋山さんも察したのか驚いた表情をしている。すると、真実を知らなかった自分たちを他所に話が進む事の理不尽に対する、もどかしさと仄かな苛立ちが込み上げてくる。
この老紳士と橘クンの間では何か通じているようだけど、私にはまだ全然話が見えない。でも何か口を挟めるような雰囲気では無いので、黙って考えを巡らせる。
そんな私たちを置き去りにしたまま、橘クンは言葉を続ける。
「貴方たち日笠の秘密を握る小鳥遊丈、その居場所を突き止めたのでそれをお伝えに参りました」
日笠の秘密――それは配信者転落死事件から連なる国との癒着の真相?
私人Xが橘クンだったとしたら、そこへの言及も合点がいく。しかし、ここにさらに小鳥遊丈が関わっているようで、しかもまるで敵対しているかのような言葉の響き。
「……そうですか。しかしそれは不要です。我々にやましい秘密などなく、その小鳥遊とやらも存じ上げませんので」
側から見ていても、この2人の間には溝がある事が分かる。内藤さんと呼ばれた老紳士の態度は、橘クンの言葉を理解した上で取り付く島もないといった様子。
けど橘クンも食い下がる。
「いえ、そうはいきません。“速水トオル”はかつて、特権民により隠蔽された事実が明るみになるよう望み、そして活動していました。小鳥遊丈もその同一線上で動いています」
「自称ジャーナリストの“速水トオル”が配信した謂れのない疑惑により、日笠は散々迷惑を被りました。彼……の望みなど、我々の知ったことではありません」
内藤さんは苦々しい表情でそう突っぱねる。でもそんなやり取りを聞いたことで私の中の何かが黙っている事を許さず、咄嗟に口を開いてしまった。
「内藤さん、貴方は……あの日、転落した速水トオルを見下ろして、とても辛く悲しみに暮れた顔をなさっていました。貴方にとって速水トオルは、本当に関知するに値しないただの迷惑者だったのですか?」
この老紳士を見てあらためて思い出した、あの日の顔。あれは、無粋に振る舞った挙句に敷地内で事件を起こした迷惑配信者――それだけの者に送る視線では決して無かった。その表情を見たのはこの世界で、私だけ。
配信者転落死事件における目撃者としての私の訴えは、警察も、勤めていた名静テレビでさえも、取り合ってはくれなかった。でも今この場所であの老紳士が居るのなら、私にもまだ真実を求めるチャンスが生まれる。
私だってジャーナリストとしての葛藤にケリをつける為にここに来たんだから。見たものを否定されないよう、声を上げて訴えなければならない。
「成程、貴女は桐谷アナですね。私も一瞬ですが、貴女と目が合った事を覚えています。……仕方ありません、上辺だけの否定が意味の無い事だということも理解しました」
内藤さんは真摯な瞳で私を見据えてそう言った。何か事情のある橘クン1人が相手なら黙殺できても、第三者たる私には誠実でいてくれるみたい。あの表情に嘘は吐けないという、特別な理由がこの人にはあるようにすら感じられる。
でもどうしてか橘クンは私に安堵したような嬉しそうな視線を向けていた。……生意気。だけど、これはやっぱり橘クンの意図した展開で、彼が私のジャーナリズムにベットしていた事を意味する。
なら、尚更逃げられないじゃない。
しかし内藤さんの次の一言は、このほんの少し和やかになった空気をまた一変させた。
「隠さずに申しますと、貴女方にこの追求を止めて頂かなければなりません。けれどそこまで真に迫ってなおこの場に訪れた事を考えると、穏便にお願いを聞いていただく事は難しそうですね」
身体に力が入る。
秋山さんは勿論、流石の橘クンも緊張した顔付きになっていた。内藤さんの口振りはまるで、実力行使でこの場の意見を封じ込めたいという意図が見えてしまう。
また、私の声が握り潰されてしまうの――?
「動くな」
その静かな力強い声は、誰にとっても不意打ちだった。
声の主の方に目をやると、それはサングラスをかけた黒服の1人で、手にした拳銃をあろう事か内藤さんに向けていたのだから。
「何の真似でしょう?」
内藤さんは驚きこそすれ、冷静に問いかける。
「どうして、ここまで来ちゃったんだ……!」
拳銃によりこの場を支配している筈のその男は、しかし誰よりも辛そうな声を上げながら橘クンの方へとそんな言葉を投げ、片手でサングラスを外した。
その男の素顔を見て声を失った私と異なり、またもやどこか満足気な表情を見せた橘クンが口を開いた。
「――久しぶりだな、甲斐斗」




