153話 【SIDE-桐谷ひのえ】視線勾配
日笠重工の敷地の中でも一般人が立ち入りできる見学施設、日笠ファクトリーミュージアム。その脇に近年造築されたガーデンカフェを、私は訪れた。
かつて、ミュージアムの屋上にあったカフェテリア『湖畔のテラス』は、配信者転落死事件以降立ち入り禁止となり、その代替施設としてこのガーデンカフェが運営されていた。
外光をふんだんに取り入れんとする巨大なガラス窓。景色には多くの手入れされた木々が並び、その木漏れ日がそのまま室内を照らしている。そんな窓際の一席に、橘クンの姿を見つけた。
「お待たせしました」
彼の隣に座るテレビ局の記者と思しき男性に会釈をし、カシミヤのロングコートを脱いで空席に腰を下ろす。
橘クンに軽い紹介をしてもらい、注文した紅茶が運ばれるのを見計らって私は話し始めた。
「――当時私はまだ5年目で、リポーターの仕事が主でした。あの日も何の変哲もないワイドショーの1コーナーで……当時の流行でもあった工場見学の紹介だったんです」
秋山さんという曙テレビの記者は、話によると橘クンのツワブキ出版時代の後輩らしい。私は彼に聞かせる為に、ひとつひとつ順を追って当時を振り返る。
配信者速水トオルの落下を目撃した自分の叫び声が何度もお茶の間で響き渡り、今もネット上で再生され続けている苦痛。そのVTRを悲劇として消費しつつも、事件の真相に迫るような報道がなされないテレビ局に失望して退職したこと。だから現在はアオ寄りの思想を持っていること。
先日の新垣さんとの会食のエピソードも織り交ぜながら、私の考える民清党の向かう先の話なんかもした。出馬依頼を断る程度には、私はアオの代表面して表舞台に出る事を恐れている。けれど裏では界隈での知名度を利用してご飯を食べている。そんな自己矛盾の話なんかもした。
秋山さんは真剣な表情を崩さず、時にメモを取りながら私の言葉に耳を傾けていた。私の今日の言葉は、いつか日の目を見るのだろうか。
「心中お察し致します。そしてそのような経緯の中、私の取材を受けていただき痛み入ります」
「いいえ、気にしないで下さい。シロ側で私の話を親身に聞いてくれる人なんて居ませんでしたから……この取材を通して、私の中で何かを許せたり、何かにケリをつけられたりできる機会になれば良いなって。私だって自分都合で考えた上で今日ここに来ています」
そう言うと私は秋山さんに笑いかけ、そして今度は橘クンの方に目配せをする。すると彼は、照れくさそうに微笑み返してくれた。私を慕う彼の後輩クンの前だから、少しはカッコつけなきゃね。
「ねぇ、秋山さん。貴方はあの事件を未解決のものとして追う覚悟でここにいるんですか? ……もしその気があるのなら行きたい場所があります」
私たちは会計を済ませると、ファクトリーミュージアムの外周をそれとなく歩んだ。訪れた頃は透き通るような快晴だったのに、今では太陽も厚い雲に覆われてしまい冬場の寒さが強調されている。
辺りに私たち以外の人影はない。
「今日は一日晴れの予報だったのに……これだけ科学が進んでも天気予報は当たらないですね」
「ははっ、仰る通りっス。雨に降られないと良いんスけど」
秋山さんは少し砕けた敬語で、私の世間話に相槌を打つ。一方で橘クンが黙っている所を見ると、私の言いたい事がもっと別にあることに気付いているのかもしれない。
私は歩を進めながら言葉を続ける。
「……報道だって似たようなもの。いくら技術が進歩してAIが解析する時代になっても、あの事件の真相は闇の中」
死亡報道後も、速水トオルの個人情報は異様な程に守られていた。あれから6年経ってすら、誰も速水トオルの事を教えてくれない。
私は足を止める。
日笠ファクトリーミュージアムの脇の一区画に、高い塀が立てられているこの場所。それはまさしく、6年前に私が速水トオルの転落を目撃した場所だった。塀の向こう側は貯水池になっているらしいけど、あの日水飛沫は上がらなかったのでもう使われていなかったのかもしれない。
取材の舞台をこの場所に提案したのは向こうなのだから、そういう画だって狙っていたに違いない。秋山さんはカメラを構え、ジェスチャーで了承を取ると、私を含む構図で何枚かを写真に収める。
私は屋上――旧湖畔のテラスを見上げる。
あの日、あそこから人が落ちてきて、私の人生は狂わされた。
脳裏にその光景がフラッシュバックする。
ここに立つという事はそういう事。向き合うとはそういう事。
「速水トオルはもしかしたら――」
一瞬だけ見たあの時の人影。ここに来たことで、より鮮明に舞い戻った記憶。
しかしそれを口にする前に、今は立ち入り禁止になっている筈の屋上の鉄柵越しに、人影が現れる。
それは奇しくもあの日と同じで、速水トオルの落下直後にも見上げると下を覗き込んでいる人が居た。すぐに引っ込んだけど、一瞬見たその表情は焦りを隠さず、とても悲しそうな眼で見下ろしていたのを思い出す。
そして今、冷たい視線で見下ろしているその顔は――信じ難いことにあの日と同じ老紳士のものであった。
「もう日笠の敷居は跨ぐな、と6年前にお伝えした筈でしたが」
静かに冷たく、しかし確かに聞き取れる音量でそんな言葉が降り注ぐ。
私に向けて……ではない。
その視線は私より後ろに向いており、振り返ると、橘クンもまた屋上を見上げていた。
「……あの日のワスレモノを取りに来ました」
私の後輩クンは、私の知らない顔をして、頭上へ向けてそう言った。




