152話 【SIDE-桐谷ひのえ】おまじないのためのクリシェ
悠真との別れから一週間。
配信者転落死事件すら乗り越えたのだから自分はもっと気丈だと思っていたけれど、未だ失恋を引き摺っている。
そんな時だから間が良いのか悪いのか、かつての後輩クンから食事のお誘い。分銅祭で会った時は後ろめたそうにしていた癖に、あっちから誘ってくるとは意外。だったらスケジュールのぽっかり空いてしまったクリスマスイヴを所望する。
気晴らし? 憂さ晴らし? 当て付け? 何でもいいや。
その日を大切なものにする為に、早めのシーズンに買ってしまった華やかなワンピース。正直今は見るだけでもしんどいけれど、これだって思い出で上書きしないといつまだ経っても着れないまま。橘クンには気合い入れ過ぎかと思われるかもしれないけど、ディナーにはこれを着て行こう。
失恋から立ち直る為に髪を切るなんて我ながら短絡的だけど、でも私は勢いに任せてセミロングをショートボブにした。形から入るのだって時には大事でしょう? いずれ気持ちも付いてきますように。
そうしてやってきた当日。
料理は新垣さんからご馳走になったものほど高級では無かったけど、愛しい後輩との食事というだけで遥かに美味しい。自分のお金で気の置けない友人と卓を囲む方が、私には向いているみたい。だからきっと頬も緩んでる。
可愛かった後輩クンはいつの間にか垢抜けていて、それでいて分銅祭の日のような卑屈さも感じない。橘クンはこのたったの2ヶ月弱の間に随分と前に進んだみたい。私とは大違い。
彼の用事はやっぱり都築クンのことだった。そして私が配信者転落死事件で目撃したかもしれない、元社長のこと。私は自分の思想や立場もしっかり伝えつつ、知っている事を話す。
そんな風に言葉を交わす度、橘クンの視線がどことなく悠真と重なる瞬間があることに気付く。私の傷を察しつつも、それでも私が立派な人間であるとして敬っている。私が強い人間であるとして憧れている。
「もう過去は乗り越えたの、私は」
半分くらい嘘。
ありきたりな強がりを盾に振る舞っているだけで、大して何も乗り越えてなんかない。でもそれでも前を向く振りをして生きている。
変わったものも変わらないものも、乗り越えたものもそうでないものも、いつまでも私の一部だから。
年が明けると、私は以前にも増して仕事を請けた。
中でも大手コスメメーカー翡翠堂の新年会、その司会アナウンス役のオファーは特に印象的だった。幹部以上のみの参加という100名程度の規模感であったけど、そこには若い女性も多く瑞々しい活気に満ちていた。翡翠堂は若者をターゲットとしたプチプラ化粧品でのシェアを主力とする企業。そして、テレビCMを一切打たないアオ派企業としても知られていた。
仕事に打ち込めば、私の自己肯定感はそこそこに回復する。別に女だからってキャリアを遠慮する気は無い……なんて未だにあの討論番組を意識しているみたいで何だか癪だけれど、仕事が私の生きがいだって胸を張れるつもり。
翡翠堂で活躍する女性社員の姿も私に勇気をくれた。やっぱりアオ側は居心地が良い。
そうやって失恋による傷心だのライフステージに対する焦燥だのを、元後輩との食事やら舞い込む仕事やらで圧し潰しながら過ごすことで、私は少しずつだけれど今度こそ本当に前を向けるようになってきた。振りでも姿勢だけでも続けていれば、いつか気持ちも付いてくることを私は知っていた。
――けれど世界は私なんかより、もっと早い速度で進む。
『たった今、総理大臣が衆議院の解散を宣言しました! この後19時より首相官邸にて記者会見が開かれる模様です! 当チャンネルでは番組を一部変更し――』
遂にこの時が、新垣治の戦の時がやってきた。
世間のムードは、キー局の報道ですら政権交代を予感させている。多分あの男なら、私なんかの力を借りずとも成し遂げてしまうのだろう。配信者転落死事件から始まった一連の社会運動が、報道革命というムーブメントを経て、新垣さんの手腕によって遂にこの国の政治ごと変えようとしている。
ソファでニュースをぼんやりと眺めていた私は、気付けば分銅祭の日に持ち帰ってしまった『幸首』の創刊号を手に取っていた。パラパラとページを捲ると、もう20年以上も昔の新垣さんの思想が垣間見える。
彼がその一貫した思想で今あそこに居るのなら、あの事件はきっかけに過ぎなかったのかもしれない。別に配信者が転落死しなくても、彼がいる限りこの結果に収束したのかもしれない。そう考えると恐ろしい。
まだ私の心の底の方に、べったりとへばり付くあの事件の記憶。こればっかりはどんなに強がっても拭えない。なのに世界はもう次の段階へと進もうとしている。私だけが置いてけぼりを食らっているかのよう。
目の前で死人が出てすらその真相を追求できなかった、ジャーナリストとして無力な自分。自分の見苦しい姿が電波に乗ったことに恐怖し、夢を叶えたハズのアナウンサーという職に復帰できなくなってしまった自分。20代後半の大事な時期を精神疾患で奪われ、人生が狂ってしまった自分――
橘君 :折り入ってご相談があります
橘君 :桐谷アナとして取材を受けていただけないでしょうか
橘君 :俺からもあの事件についてお話したい事があります
6年も連絡を取り合ってなかったクセに、分銅祭での再会以降は随分と積極的な後輩クン。
それは配信者転落死事件の目撃者として、テレビ局の取材に応じて欲しいという依頼だった。指定してきた場所は事件現場である日笠ファクトリーミュージアム。それ自体がどんな意味を持っていて、彼がどんな意図を持っているのか。
そういえば彼も、まだあの事件に執着している様子だった。それはツワブキ出版の人間が事件に関わっているという噂の所為かもしれないけど、深いところは解らない。私の苦しみが私だけのものである事と同じく、彼の抱えているものも彼だけのもの――なんて考えていた。
そんな橘クンからの、私へのこんなお誘い。
彼は、自身の葛藤を彼だけのものにしない為に動いているのかもしれない。私に、自身の葛藤を私だけのものにしないよう望んでいるのかもしれない。それは私たちの中で失われれかけていたジャーナリスズムの精神でもあり、だから取材という形を取る。それが桐谷アナにとって辛いものになるかも――なんて了承を得ようとする姿勢は今の彼には無い。
そんな憂慮、私たちの間には要らないのだから。
もうそんな所まで来たんだね。
クリスマスの時でさえまだ引き摺ってるモノがありそうだったのに、今では全部ひっくるめて向き合おうとしている。そして私にもそれを求めている。前向きな私に憧れるなんて言いながら、いつの間にか私より前をを歩いている。
ひのえ:勿論
私も負けてられない。
この葛藤にケリをつけてやるんだから。




