150話 【SIDE-桐谷ひのえ】収斂進化
分銅祭。
新垣さんとの会食からおよそ一ヶ月後、彼の要望を断ることができなかった私は母校の文化祭に訪れていた。卒業以来初めて訪れる分銅祭の空気に懐かしいものを感じながらも、一人で舌鼓を打つ気にもなれず、出店を素通りして部室へと向かおうとする。
しかし、十年来のその景色にはどこか違和感があった。
模擬店のラインナップも、身を包む衣装も、飛び交う言語も、私が現役の頃より国際色が強い。留学生が増加傾向にあるのは知っていたけど、そのスピードは想像より早そうに見える。
離れの木造学舎の3階の端、建て付けの悪い扉を開けるとキラキラと埃が舞う。そこにはタイムカプセルのように、当時のままの部室が残っていた。もちろん老朽化は進んでいるし埃も蜘蛛の巣も気になるけれど、それでも荒らされた形跡はない。その様子はむしろ忘れ去られていたかのよう。
棚を物色すると、新垣さんの所望した機関誌の創刊号を一冊だけ見つけることができた。それを手に取り、近くの机の上の埃を払って雑に腰掛ける。
恐らく製本されたのは20年以上前の、その色褪せた表紙を捲ると、私の代のものと同じ文言で報道研究会の理念が記されている。そして右のページにはたった一行。
『宣託と選択』新垣治著
内容に軽く目を通すと、それは先日の席で新垣さんが口にした内容とほぼ一致していた。他国あるいは支配階級から与えられた価値観を宣託のように有り難がるのではなく、民衆は常に自らの選択で価値観を獲得していかなければならない、その為には何をすべきなのか、報道とはどう在るべきなのか、そんな論説。
20年も前から彼の根底は揺らいでいない。
こんな新垣さんの思想の原液のような資料、公安が目を付けていない訳がない。この創刊号だって世界に一冊ではないだろうし、きっととっくに抑えられている。
なら私に頼んだ理由は何?
そんな事を考えようとしかけた折、部室の入り口付近に気配を感じて顔を上げる。その人影は、この場所が引き合わせたとしか思えない、どうしようもなく懐かしいものだった。
「あれ? ……もしかして橘クン?」
「桐谷……先輩?」
それは、まさにこの場所で共に活動していた、報道研究会の仲間だった。卒業後もしばらくは付き合いがあったけど、配信者転落死事件を機に疎遠になっていた後輩。
私があの事件で悲劇に見舞われたのはあまりにも有名だし、彼もそんな私にかける言葉が見つからず、今日まで距離を置いてきたのだと思っていた。
しかし彼は矢継ぎ早に、まるで自白でもするかのように、自分が報道から退いた事を語った。その姿は弱々しく、でも図々しくもあり、再会を素直に喜ぶ気にはさせてくれなかった。
だから私は少し意地悪してやることにする。何があったか知らないけど、辛かったのは貴方だけじゃないんだから。
連れていた謎のメガネ少女の正体も、彼がこんなに憔悴している理由も、推し量るには長いこと距離を空けすぎていた。それでもその後輩を突けば、どこか懐かしさを感じる熱が口から零れ落ちる。彼氏の前では見せることを控えている、ジャーナリストの私が顔を覗かせてしまう。
橘クンはまだ乗り越えられていない多くのものを背負って、自分の中の矛盾に葛藤しているように見えた。
きっと、私と同じで。
そして、そんなやり取りをしている間にアイドルとやらのステージが始まる時間になってしまった。本当なら混み合う前に帰ろうと思っていたけど、その判断ももう遅い。
いつしか現役の学生の熱気にアテられて、当時を雑に回顧しながら眺めていた。
声の仕事をしていると、個人のブランディングが仕事に繋がる事もある。だから同業者の中にはプロマイドを販売したりアーティストのような振る舞いをしたり、タレント的な売り出し方に手を伸ばす人も少なくない。
そんな活動は性分には合わない……なんて、昔ここで本気でミスコンに参加しあのステージを目指した身で、無理解は示せない。私にだって、人間性そのままを受け入れて貰えるような、アイドルのような脚光の浴び方をしたいって願望が、無かった訳では無い。
今の時代、声優もアナウンサーもコンフルエンサーも、イラストレーターや配信者でさえ、そこへの道が拓かれている。
アイドル性とは、大勢に対し何かを表現して伝える最も原始的で究極的な武器なのかもしれない。
けどそんな思案も束の間、ステージに立つ最前線の表現者は、次の言葉を発した。
『サプライズゲストは私の活動にも転機をくれた、とっても大切な人です!』
『――帝東大OBの新垣治です』
あぁ、そういうことだったのね。
新垣さんが私を今日ここに訪れるように仕向けた理由。表向きには学生層へ、裏では私のような同志へのメッセージを込めたんだ。それは日本を変えうるという力の誇示。能力の証明。きっと私以外にも、彼に口説かれている少なくない人たちがこのパフォーマンスを目の当たりにしているに違いない。
『――君達に、主人公になる勇気を、期待しています』
新垣さんの演説は見事という他なかった。
彼から外国人参政権の話を聞いた時は、それは突拍子が無く実現不可能だと感じていた。何故ならそれを真に望む人たちには投票権が無く、現状の民清の支持層にどれだけ響くのかも疑問だったから。
しかし今、この場の学生たちの異常な熱狂具合を見てしまえば、それは決して無理筋ではないように思えてくる。人を選び、時流を読み、舞台を整え、彼の論説の浸透が最大化するよう図った結果がこの景色を引き寄せた。
白黒でしか見た事のない光景が、目の前に広がっていた。
けどそんな関心は、また次なる衝撃に掻き消される。
「っ! 乙郎……それに桐谷先輩まで!? 今更こんな所で会うなんて……!」
「都築クン!? どうして……? 公安になったの!?」
驚いたよ。
だってあの都築クンが、自由報道の規制をするための組織に身を置いているなんて。それは橘クンなんかよりもずっと歪んでしまったかのように見える。この学舎で彼を昔から知っている私としては信じられないし、許せない。
「待って! 止めて! 2人ともどうして!?」
愛しかった後輩2人が争っている姿なんか、見たくない。
バチン!! と痛々しい音が爆ぜて、橘クンが倒れる。
私が何かを都築クンに訴える前に、パニック状態の人の流れに押されて彼との距離が離れていく。機動隊の人払いが進んでいく。
人混みの狭間で最後に目が合った都築クンは、見間違いでなければとても……
とても悲しそうな目をしているように見えた。




