149話 【SIDE-桐谷ひのえ】ドアインザフェイス
既に盆の上には様々な小鉢やお造りが並び、この特別な席を彩っている。しかし私はそんな贅沢に色めき立つことも出来ず、ただ彼の言ったことを反芻していた。
これは入党、果ては出馬のお誘い。
「こうしてお話を伺って確信しました。貴方であれば度量も器量も申し分ありません。人の上に立つ資格もある。そして何より、私と志を重ねていただける」
新垣さんは大袈裟にリップサービスをくれ、そしてさらに捲し立てる。
「もしそのおつもりがあるならば、静岡7区をご用意いたしましょう。元より方々への地盤は心許ない我が党ですが、貴方の看板を利用するにはこれ以上ない舞台です。もちろん鞄のご心配もさせるつもりはありません……」
「申し訳ありません。そういったお話でしたら、お応えできかねます」
具体的な話を進める新垣さんが恐ろしくなり、咄嗟にその言葉を遮る。
「ははっ、はっきり仰るのですね」
袖にしても新垣さんはまったく怯む様子を見せず、むしろ満足げにそう言った。断られるのは予想通りだったのかもしれない。
そんな態度にどこか悔しさも感じ、私は二の句を継ぐ。
「でも、その上でお聞きしたい事はあります。アオのこれまでを考えれば、私と志を重ねられるハズが……」
「ありますよ。“幸せのありかでこそ首をかしげよ”です。パンゲアで満足しているようでは、清廉情報思想は次のステージには進めません。だからこそそれを理解してくれる同志が欲しいのですよ。喉から手が出るほどに」
そんな問答すらも想定の範囲内だと言うかのように、私の疑問は新垣さんにより遮り返された。
私は、これまで自己の居場所をアオに求めてきた。しかしそれはどこか、私の中にあるものとの食い違いを感じて仕方がなかった。その理由を今、ここで新垣さんに吐き出させられ、そして彼は私の矛盾ごとその懐で包み込もうとしている。
それは警戒に値する包容。
少し心を許せば、もう出馬にすら首を縦に振ってしまいそう。それほどまでに、アオ派の急先鋒から貰うその肯定は、長らく1人で悩み込んでいた私の急所だった。野党第一党の党主にして、政権に王手をかける男。そんな彼からのラブコールが、響かないわけがない。
「少し、私の野望の話をしましょうか」
ああ、ここで引くのね。
つくづく、手強い男。
「我が党は先の参院選で過半数の議席を獲得しました。しかし来たる衆院選で政権を狙うには、報道是正のワンイシューでは弱い。もっと国民の根本的な閉塞感を打開できなければなりません」
新垣さんがそうして語り出したのは、突飛にもグローバリズムについての話だった。
「もはや我々人類にとってこの星は小さ過ぎます。端から端まで手も声も届くこの世界で未来を築いていくには、国境を越えた多様性への理解が不可欠。今を生きる一人ひとりの境遇には過去数千年の歴史が詰まっており、それらへの理解と包摂が無ければ過ちを繰り返し続ける事になります。今の人類規模で犯す失敗は、やがて世界の持続すら絶望的にするしょう」
アオ派や民清党は、自由報道を掲げ支配階級の優遇を是正しようという姿勢により、海外からリベラル派と評価されている。新垣さんがそれにあやかろうとして多様性を持ち出したのか、あるいは元から彼の思想の根底にそれがあったのか……今の私には測りかねる。
「しかし……その壮大なリベラリズムを掲げても票集めは難しいのではないですか?」
「私の見つめる景色を国民の身近なものと結びつけ、社会問題解決の選択肢になり得るのだと示す――それが政治家の仕事ですよ」
それを聞いて、私は思い当たる社会問題を呟いた。
「……少子高齢化問題」
それは、この国の目下の課題として避けては通れない。先人たちの負債を背負わされている若者は民清党のメインの支持層で、その悲痛の声が新垣さんに届いていない筈がない。
そして先進各国が少子高齢化対策として推進しているのがグローバル化、すなわち移民による労働力の補充だった。
皆国政権下でも移民政策は進められているものの、法整備の不十分さや外国人労働者の冷遇が近年問題になっており、各所では多様性を見直す声も上がっている。
「民清党が次に掲げるマニフェストは、外国人参政権です」
「それは……! 少々極端では?」
私はその衝撃に、随分と直接的な返答をしてしまった。
外国籍の者が集まれば、下手をすれば自治体そのものが乗っ取られてしまう可能性すらある――それは保守思想を持つシロ派の通説だったけど、完全否定する事は私にもできない。
「地方自治から段階的に進めますが、先ずは条件を厳しいものにします。参政権付与は在日外国人全体の1%程度を目標に、また自治体人口の20%を上限とする防衛線も設定しつつ……それでも実績としては衝撃的で、日本は移民に寛容で理解のある国との評価を得られるでしょう」
「それは……少ない餌で多くの労働者を釣ろうということですか?」
先程までは高尚な包摂を語っておいて今度はやや露悪の色が濃くなり始めた新垣さんに対し、私もムキになって棘のある指摘を口にしてにまう。
「もちろん最終的な理想は全員の平等です。しかし段階的に慎重に進めるという誠実さを示さなければ、国民の理解を得るのは難しい。外国人を包摂した事により得られる彼等の票がシルバーデモクラシー解消となり、互いの助けになると私は信じておりますが……有権者が俎上に上げ得る現実的な選択肢を調整して提示するのもまた政治家の務めです。有権者の選択によりはじめて政治は動くのですから」
「それで混乱が生まれたら、その時に責任を取らされるのは貴方ですよ……!」
そんな風に啖呵を切ってしまったが、直後私は我に返る。政界の大物相手に、出過ぎた口を利いてしまったかもしれない。
しかし新垣さんは今日一番嬉しそうに、微笑んだ。
「今日は振られてしまったことですし、政治の話はここまでにしておきましょう。こんな話は、単なる方法論でしかありません。私が本当にお伝えしたかったのは、心構えの話です」
新垣さんは淡々と、しかし徐々に感情を込めるように語気を強めていく。
「戦争も飢餓も疫病も無い時代に生まれた私たちは、選択に痛みが伴うことに鈍感です。報道革命の最大の成果と言われるパンゲアですら、相変わらず海外の後追いでしかない」
「欧米では今も価値観がアップデートされ続けています。何故なら彼等は、現状維持では平穏が続かないと知っているから。だからこの世界を持続可能にする為に、痛みを伴いながら抗い続けている」
「さて、この国は少子高齢化問題の最前線になりました。こればかりは欧米のお下がりを待っていられない。今度は我々が……痛みに鈍感で済んでいたマジョリティに属する人々が覚悟を決め、従来の価値観を刷新して解決策を世界に示す役回りなのです」
微笑みを絶やさぬまま、その視線は眼下の真っ赤なワインへと落ちる。深い血液のようなそれが、彼の吐息に触れて反射した灯りを揺らす。
「改革による責任なら喜んで取りますとも。私はこれまで幾度も長期政権を批判してきました。そんな身で失策したとて、いつまでも国政に居座るなどの口が言えましょう」
新垣さんの瞳にはワインの赤が映り込み、それが彼の焦点を虚ろにしていた。
「私は、これまでこの国が隠し先延ばしにしてきたあらゆる選択肢を明瞭にし、国民に迫る――それこそが清廉情報思想のあるべき姿勢だと考えております。ですからその呼び水として数多の政策を講じることになるでしょう。結果として国民が私を失墜させる道を選ぼうとも、問題を我が事にしたその学びが国益になると信じて疑いません」
新垣さんはそして一呼吸置いて、最後の言葉を強調した。
「選ぶ、とは民主主義の本質なのですから」
もう、声を発することすらも憚られる。
先ほど芽生えていた悔しいとかムキになるだとかいう景色が、矮小な一市民の視野角でしかなかったと思い知らされた。何かを口にしようにも、私はこの人相手に意見できるような聡慧も覚悟も持ち合わせてはいない。
「……どうやら、私も少々熱くなってしまいました。貴方という利発な方を前にして、はしゃいでしまったようです」
まるで稚児でも撫でるように、新垣さんはそう言った。
「さて、今夜は勧誘のためでしたが、それは諦めるとします。その代わり、最後にひとつお願いがあります。来月に控える分銅祭、そこで旧報道研究会の部室に保管されている『幸首』の創刊号を引き取っていただけないでしょうか。公安に目を付けられる前に回収したいのですが、私が直接赴くと目立ってしまうので……同窓の、研究会の同志としての頼みです」
そんな彼の言葉に、私はもう頷くのがやっとだった。




