145話 息吹く者の視座
もう辺りにも夜の帳が下りきった18時半ごろ。
浜松に着くと、先ずはタっくんをパーキングに停める。これを開発した日笠重工のお膝元なだけあって、充電ステーション完備の駐車場があちこちにあるので都合が良い。
そして今から、スンウが事前に話を通しておいてくれているという在日ブラジル人に会いに行く。彼女は日笠勤務であり、以前はファクトリーミュージアムで清掃員をしていたそうだ。
落ち合う予定の場所は海沿いのシュラスコ。
それは都心で商業ビルの一画にあるような高級な雰囲気の店ではなく、豪快な佇まいの木造の平屋であった。
白い吐息を弾ませて重い扉を引くとドアベルの音が空気を震わせ、食欲をそそる肉の焼ける香りが熱気に乗って通り抜ける。騒々しく活気のある店内は、木の色、肉の色、ビールやワインの色、灯りの色、どこをとっても暖色で包まれていた。
浅黒い肌に映える白いエプロンを付けた俺の2倍ほども腕の太い店員に、スンウの名前で尋ねる。すると眩しい笑顔で、直ぐに奥の席に通してくれた。
「あ~、タチバナサン、こっちこっち!」
既に席に着いてこちらに手を振っていたのは、スンウから説明を受けた通りの容姿をした女性だ。
先程の店員と同じく浅黒い肌に、ウェーブのかかった黒の長髪。気さくな雰囲気の、40代くらいと思しき在日ブラジル人であった。
手っ取り早く黒ビールで乾杯すると、彼女は親しげに話を進めていく。
「ハジメマシテ! ワタシ、ジュリアっていいマス! スンウから話は聞いていマス、ヨロシク!」
「よろしくお願いします。こっちのは私の相棒で……」
スンウから俺の話は通してあっただろうが、秋山を連れてきたのは勝手な判断だ。しかしどう説明するか迷っているうちに、ジュリアさんは口を挟む。
「テレビ局の人! ワタシ歓迎しマス、ヨロシク!」
彼女の視線を追うと、どうやら秋山が小脇に抱えていたカメラケースの刺繍の『曙テレビ』の文字を見たようだ。
「ははっ、自分は秋山と申します、よろしくお願いしますっ」
秋山もとりあえず愛想良く返事をした。
秋山がテレビ局員と即刻バレてしまったのは、望ましくない事なのではないだろうか。何故ならスンウの手引きにより出会えた彼女もまたアオ的な思想を重んじている筈であり、マスメディアを嫌っている可能性が高いのだから。
しかしそんな懸念も、少し話をする内に杞憂であることが明らかになっていく。
「ワタシたち、移民の権利が向上すれば嬉しいデス。それをアラガキが公約に掲げてマス。こんな時だから、イッパイ取材して欲しいデス!」
早速こちらの目的から逸れている話題にあっけに取られながらも、秋山はメモを取りながら聴取の体をとる。情報を引っ張りたい時は焦らず、相手に気持ち良く話をしてもらうことが効果的なのだ。
「ジュリアさんは、いつ頃この国に来られたのですか?」
「ンー、もう20年以上前デスね」
その当時は、出稼ぎとして多くのブラジル人が日本の製造業に流れ込んだそうだ。しかし世界情勢に引っ張られる形で不況に陥った際には、在日ブラジル人は減少傾向となり、日本に残ったジュリアさんも相当苦労したという。
だが、6年前に国交省の推進する新タクシーシステム開発を日笠重工が受注して以来、この浜松ではまた徐々に働き手の需要は増えていった。そして3年前の郷田都知事当選を機に、一気に景気が良くなったのだそうだ。
「ヒガサは少しずつだけど、ワタシたち移民労働者の待遇も良くしてくれてマス。アオの考え方には賛同しマスが、ゴウダの政策ももっと成功して欲しいと願ってマス。こんなコト、スンウに聞かれたら怒られてしまいマスネ」
彼女は隠し事をする子供のような笑顔でそう言った。
日笠はタクシー受注以前から外国人にとっても比較的働きやすく、彼女は帰国の選択を何度も先送りにしたそうだ。そうしている内に結婚と出産を経て、今や祖国より日本で暮らした時間の方が長いという。
そして出稼ぎ先として以上にこの環境が魅力的であれば、永住権の取得も視野に入る。新垣の掲げる段階的外国人参政権の条件には永住者である事も含まれており、それはジュリアさんたちのような働き手がこの国に根付く選択の後押しをするのかもしれない。
「ワタシはとてもラッキーでした。でもまだまだ辛い思いをしてる仲間もいマス。だからテレビの人には、そんなコトも忘れず報道して欲しいデス」
ジュリアさんの持つネットワークによれば、移民の中でもその出稼ぎ先により明暗が大きく分かれているという。劣悪な労働環境を強いられる在日外国人が事件を起こしてしまったというニュースも、最近徐々に増えている。
移民当人たちの中には今を生きるのに精一杯な者も多かった。この国の思想対立など二の次で、自分たちに利するものにひたすら飛びついていくしかない者も少なくない。スンウのコミュニティ然り、どこだって困窮しているのだ。
「それでは、ジュリアさんが今のこの国に期待することは何ですか?」
秋山のその問いは単純な好奇心だったのかもしれないが、この場を取材たらしめるのには充分であった。本来の目的など関係無しに、シロと呼ばれ移民に敵対意識を持たれてると考えていた男が、しかし誠実に声を拾おうとしている。
「ンー、国に期待することはもちろん制度デス。でもそれ以上に、日本人と対等に接したいと強く思いマス。……どこまでが騒音なのかとか、マナーがどうこうとか、あるいは宗教儀式とか。日本人は迷惑がったり怖がったりで抗議するんデス。そんな時、彼らはいつも同じ事を言いマス」
「……郷に入れば郷に従え?」
「そうデス。でも考えて欲しい。今、日本は少子化対策として移民を必要としていマス。そしてワタシたちも仕事を必要としていマス。これはウィンウィンで対等な関係デスから、生活も文化も半分ずつ譲り分け合って良いハズです。……後から住み着いたワタシたちも、そうやって日本人と一緒に生きたい」
語られたそれは、現場の生きた言葉。
「……それは後から産まれた若い人たちが、生きやすい未来の為にこの国を変えようとしてるのと同じかもしれませんね」
秋山は噛み締めるように、そんなことを呟いた。
彼女たちがこの国に移民の保護制度や外国人参政権を強く所望すれば、それは民清党の背中を押すことになるだろう。あるいは首都経済圏構想を賛美しタクシー産業で生かされている人々の存在を強調すれば、皆国党の印象を変えることができたかもしれない。
しかし、当事者が真に望むものはそのどちらでもなかった。
それは人と人とが触れ合う営みの承認であり、思想対立のどちらにも与さないただただ地味で果てしない道のりの話。
「あっ! こっち、オーダー!」
大声で店員を呼ぶジュリアさんは、活力に満ちていた。




