144話 フェアネスドクトリン
「いやー、世間は衆院選一色っスね。なってったって政権交代が懸かってますから、局のみんなも熱量ヤバいっス」
もう2月も終わりが近づいてきたとある日の午後4時前。
予定通り青山の裏道で拾った秋山が、後部座席でノートPCを弄りながらそんな事を呟く。日笠製のタクシーには車内に小型基地局が搭載されており、Wi-Fiに安定した接続ができるのも売りのひとつだ。
「お前もそっちで働きたかったか?」
「意地悪言わないで下さいよ~、乙郎サンの持ってきてくれた情報、期待してるんスから!」
バックミラーに目をやると、秋山が隣の座席にカメラケースを置いているのが見える。それはジュラルミン製の大型のものではなく、黒い布製の2リットルペットボトル程度の大きさで、暁テレビの刺繍が施されていた。小規模の取材用ともなれば、業務用ビデオカメラも随分と軽量化が進んでいるのだろう。
そしてそんな機材を持ち出せるということは、正式な仕事として来ているということだ。
「公安に盗聴器とか付けられてないだろうな」
こんな質問、本当に盗聴されていると考えれば筆談すべき内容だ。だから秋山も直ぐに冗談だと気付く。
「ははっ、流石にそこまではしてこないと思うっスよ。ただ社員はみんな会社支給のスマホから位置情報を取られてるんで、そこはご了承願うっス」
それは何も監視の意味合いではなく、業務効率化や紛失対策、あるいは事件に巻き込まれた時に社員を守る為なのだろう。
「また乙郎サンと取材に行くことになるなんて感無量っス」
「昔はお前が運転席だったが、もう記者歴ではそっちの方が長いし立場逆転だな」
秋山はまた、勘弁して下さいとでも言いたげに笑った。
高速に入ると、joxiに搭載された自動運転機能に任せられる範囲が増える。そのお陰で俺が一息ついた頃、後部座席のテレビから聞き覚えのある女性の声が耳に届いた。秋山が点けたのなら、彼が勤める曙テレビの選挙報道だろう。
俺はインタビューを受ける老婦の声に耳を傾ける。
『――おれらが話題作りのパフォーマンスで段階的外国人参政権を一丁目一番地に据えている、ってな批判も耳にするがこれはとんだ誤解さ』
声の主は興津千代。
かつて皆国党が野党だった時代の名物議員であり、引退後は帝東大学の学長を務めていた。しかし現在は民清党員として出馬することが決まり、また注目が集まっている。
分銅祭で会った際の、新垣治と懇意であるようなあの口振りを思い出せば、民清入党にも合点がいく。
『オサムが目指すのは常に、明日を作る若者が損をしない為の社会。老獪な支配層による搾取の構図が隠蔽されない社会さ。その為に先ず必要なのがシルバー民主主義の解消。生産年齢人口の握る票の母数を即座に増やす一手として移民が力になるってんなら、その為の外国人参政権は筋が通ってるだろうよ』
選挙期間も終わりに近づき、その舌戦も苛烈をきわめているようだ。興津氏を引っ張って来た新垣の評価は上がり、風は間違いなく民清へ吹いている。
政権交代を狙う国民清粋党のマニフェストは段階的外国人参政権を軸に、記者クラブ解体など清廉情報思想に基づいた抜本的な改革案や、年金制度の見直しなどが並ぶ。その全ては、興津氏の言うように老人や支配層から主権を取り戻そうとする策だ。
そして今や、民清の支持層である“若者”の射程には30~40代までも入り始めている。彼らもまた年金赤字世代。政治に無関心気味だったその層も、10~20代の声に押されて考え方が変わり始めているのだ。
『老いぼれのすべき事なんざ、徹頭徹尾若いヤツらの為であるべきなんよ』
彼女の声色は政権奪取の悦びを味わい尽くそうとしているかのようで、番組はたっぷりとその余韻を残していた。
「……この衆院選、珍しくどの局も野党寄りの報道が目立つんスよねぇ。昔は放送法の政治的公平を盾に、ストップウォッチで測ったりしてインタビューをぶつ切りにするような嫌がらせしてたモンっすが、今回はそういう動きが見られないっス」
この国のテレビ局は米国などと異なり、放送法第四条により政治的に公平である事を心掛けねばならない。選挙期間中は特に気を遣うため政局の報道には消極的になり、それを逆手に取って秋山の言ったような事も起こり得た。
投票先選択の材料になるような立候補者個人に切り込んだ報道は開票速報で初めて行われるが、それは有権者にとってあまりに無意味だ。だから皆ネット上で判断材料を探しに行くようになり、そこでピックスの活動を目にした上の層も徐々にアオに染められている。
それでもなお、方々の顔色を窺って表面上の公平に注意を払う事しかできないのがキー局の現状であった。
しかしその構図すら崩れようとしているのなら、それらは全て皆国党が自ら野に下ろうと動いているからだ。けれど自軍に不利な報道を要求するなど、常識的に考えたら有り得ない。
だから俺も白々しく問いかける。
「テレビ局が皆国と裏で敵対でもしてるのか?」
「判らないっス。自分はまだ、そんなグレーな噂を聞かせてもらえるほど出世してはいないっスから」
自嘲気味に笑う秋山だが、キー局の出世街道はツワブキしか知らない俺には想像もできない過酷な道のりに違いない。そして秋山には人並みの出世欲を滲ませていた。
またしばらくの沈黙が続き、タクシーはトンネルに差し掛かる。規則正しい間隔で過ぎ去るオレンジの光が網膜を刺激する中、俺はふと秋山の意見が気になって問いかける。
「……公安は、本当にトオルが自殺か否かなんて真相を知るためにおやっさんを追いかけ回してると思うか?」
ハオランも初めはそんな疑問を口にしていたが、秋山はどう見ているのだろうか。
俺は真実を知っている。
おやっさんの公開しようとしている情報は、皆国党ないしこの政府がひた隠しにしていた特大スキャンダル。それが漏れる事で国中がパニックに陥り皆国が責任を問われるから、公安はおやっさんを捕えようと躍起になっているのだ。
もうじき地球に降り注ぐ電磁パルスが、若者230万人に被害をもたらす可能性――しかし今、そこまで秋山に説明する訳にはいかない。
「うーん、確かに重要なのは速水トオルの死因だけじゃないような……今向かってるのって日笠重工の工場地帯っスよね? そこにおやっさんが居るかもしれないってのが乙郎サンの仕入れたネタなら、おやっさんや公安が追ってるのは配信者落下死事件の発端……政府と日笠の癒着の方に関係があるのかもしれないっスね」
「そうだな。俺もそう考えている。だから単なる人探しよりも危険な取材になる可能性が高い。……その手伝いを頼めるか」
あの頃から今に至るまで、きっとおやっさんは地続きで走っている。だから俺もあの頃から全部ひっくるめてケリをつけるつもりであるし、隣にはそれに見届けるに相応しい人を選んだ。
「今さら何言ってんスか、センパイっ。自分が必要になる時が来たら、喜んで手伝わせて貰うって言ったじゃないっスか。むしろ待ちくたびれたくらいっスよ」
秋山は後部座席で人懐っこく笑うと、愚痴を漏らすことも忘れてはいなかった。
「でもこんな大スクープも、体制寄りの今のウチじゃお蔵入りかもなぁー……自分の出世も、まだまだ先の話っスね」
俺の持ち込んだ案件による手柄を期待すると意気込んでいた秋山は、しかしそんなことは二の次だと俺に着いてきてくれる。
本当に俺には勿体無い、良い後輩を持ったものだ。
「ありがとう」
トンネルを抜けると陽はほぼ沈みかけていた。




