141話 あるいは4830グラム
春節祭が開催され、衆議院が解散した日。
俺は帝国研究病院で菖と再会し、聡美さん、スンウ、ハオランと多くの言葉を交わした。これまで頑なに秘匿していた配信者転落死事件の真相を語るにも至った。
そこで思想を違える者たちが互いが少しずつ手の内を明かし、薄らと志を重ね、各々が次の目的へ向けて作戦を練った。
「もう一度、磁気嵐から身を守る方法の要件を整理しますね」
磁気嵐は太陽フレア発生後、約15時間で地球に到達し、そこから2時間ほどデバイスジャック悪患者に影響を及ぼす。
聡美さんの説明によると、デバイスジャック患者が磁気嵐被害の対策をするとして、地下10mに居ればおよそ8割のリスク軽減になるそうだ。これには地下3階分以上の深さが必要であり、大型地下駐車場か地下鉄クラスの施設が求められる。
あるいは、特殊な導体で囲まれた部屋に篭るという手もあるにはあるらしい。けれど磁気嵐から身を守るには素材や形状などにいくつも条件があるらしく、少なくともアルミホイルを頭に巻く程度では防げない。
そして到達時の地球磁場の向きも重要で、日本が昼間なら被害は半減し、深夜~明け方にかけて最大になるらしいが、こればかりは神に祈るしかない。230万人が飛行機で昼側へ避難するなんてのは非現実的だ。
このように挙げていけば被害を抑える机上論はいくつかあるのだが、どれもクリティカルな解決策にはなり得ない。
そんな訳で聡美さんは磁気嵐が地球に降り注ぐその日まで、全力でデバイスジャック患者の研究をするそうだ。事前に防ぐ手立てを整えるのは難しくとも、運び込まれてきた患者を1人でも多く救う事は最後まで諦められない。菖も貴重な発症例として協力するために、帝国研究病院に残ると言った。
スンウとハオランは、菖からスマホを返してもらった。シロ派の裏事情を随分と知ってしまった2人だが、しかしいつまでも軟禁はできない。スンウの機転により、雲母メイが後ろ盾になってしまったのだから。
そんな2人はもう少し病院に居続けるそうだ。聡美さんとしても彼らには目の届くところに居てくれた方がまだ安心なので、承諾したとのことだった。
そして俺の目下の目標は、おやっさんに接触するために再び日笠重工に訪れることだと皆に伝えた。
「小鳥遊丈はやると決めたら必ずやり遂げる男です。だから……俺の阻止に過度な期待はしないでいただきたい」
俺は部屋を出ていく聡美さんに、最後にそう付け加えた。
そんな弱音を吐いた本当の理由は、おやっさんの空色の矜持を見せられてなお俺が止められるのか、まだ自信が無いからだ。この件について俺のジャーナリズムの天秤は揺れている。
片方は隠蔽の道。聡美さんの選ぼうとしている道。
国民は磁気嵐の危険性を知らずにその日を過ごす。関東で育った若年層の0.01%……230人程度は命に関わるような症状に陥るとの試算が出おり、報道により助かったかもしれない彼等を危険に晒す選択だ。しかしパニックにはなりづらいので、医療機関はこの230人の治療に専念できる。けれど彼らが命に関わるという危機感を持って初期症状段階で救急車を呼び、それにより治療が間に合う可能性は、公表した際より幾分も低いだろう。
そしてデバイスジャックの事実を既に知っている皆国党の上層部にとっては、自らの親族を安全な地下で人知れず守り、かつ政権交代により民清党に災害対応を押し付けられ、良い事ずくめである。そんな不公平に目を瞑らなければならない。
もう片方は公表の道。おやっさんの選ぼうとしている道。
潜在的なデバイスジャック患者の若者最大230万人が自身への健康被害を恐れて、直感的に地下へ地下へと殺到するだろう。幼児や青年層などの者達だって心配で念の為に地下を目指すかもしれないし、その保護者だって近くで付き添いたいと考えるかもしれない。そうなった場合の母数は量り知れず、あちこちで群衆事故を引き起こすだろう。
また磁気嵐は停電も引き起こすとされており、大量の人間がひしめき合う地下が闇に包まれた際に、どれだけ悲惨なパニックになるか想像したくない。
重症率が0.01%なら不安がる事は無いと考え、自宅に待機する者もそれなりに居るかもしれない。しかしデバイスジャック患者の15%ほどは、磁気嵐により頭痛や眩暈などの軽症を訴えるのだそうだ。事情が隠蔽されていれば軽い体調不良程度の自覚で済んだかもしれない彼等も、事実を知ってしまえばその軽症状が0.01%を引き当てた前兆ではないかと不安に苛まれてしまう。そうなった場合、軽症者で病院はパンクし、救える命すら救えなくなる可能性も大いにあるのだ。
報道の透明性を貫くこの道は、隠蔽時の100倍以上の被害者を出すとの試算が出ている――と聡美さんは言っていた。
他にも細かい損得や確率、そして心情が複雑に絡み合うこの問題で、どちらが正しいかなんて答えが出せるのだろうか。
「勿論、小鳥遊丈の公表を阻止していただけるのが最善とは考えておりますが、それが間に合わなかった場合の策も必要な事は理解しています。けれどどんな事態になろうとも、私は一人でも多くの人を救いたい……貴方は信頼に足ると聞いています。頼みますね」
俺がハオランやスンウを招き入れるという無理難題を迫った時も、聡美さんはそんなような事を言っていた。随分と高く買ってくれているようだが、その真意を訊き返そうとした時には既に彼女は踵を返していた。




