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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第08章 不退転インフォデミック
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138話 陰謀

 カーテンの隙間はもう漆黒で塗り潰され、この病室に夜の訪れを告げている。


「――ご名答。小鳥遊丈は我々の研究チームの報告書、その写しを持っています。だから一刻も早く彼を捕らえなければならないのです」


 大きなソファで隣に座る菖が、聡美さんの言葉に緊張して唾を飲み込む。この場ではまだ、小鳥遊丈が菖の父親であることを知っているのは俺だけだ。


「私たちの医学研究チームは、私の加入が決まった3年前を機に大量の予算が投入されました。それは当時国務大臣だった父の政治力によるところです。もしかすると父には、いずれその研究成果が都政に大きく寄与する展望があったのかもしれません。……しかし今や、その成果は皆国党にとって毒になってしまったのです」


 都政といえば首都経済圏構想、その屋台骨は都走券による経済活性化であり、それはjoxiにより実現した。郷田和義と日笠の関係もそこから始まったと考えると、見えてくるものがある。

 おやっさんはやはり、郷田と日笠の癒着を追い続けていたのだ。俺がアカリの事に打ちひしがれて現実逃避した後もずっと。そしてその執念深い取材の行き着いた先に、デバイスジャックと磁気嵐の報告書を暴いたのだ。


 すると今度はハオランが疑問を口にする。

「じゃあソレ、タカナシ(小鳥遊)は民清党にリークすれば大手柄じゃなイ? 皆国党の急所なんだし、歓迎されるでショ」

「いや、民清が今その報告書の事実を知っても公表できないでしょう。支持層の若者をパニックに陥れる元凶になる訳にはいかないし、もしこの衆院選で政権を取ったら災害対応の指揮を取るのが自分たちなのだから尚更です。だから民清がその報告書の内容を公にするとしても災害後にせざるを得ない。そしてそうなる事を小鳥遊丈は望まない」


 俺はそう言いながら、どこかで引っかかるものを感じた。


「まさか……その為の衆議院解散か……!?」

 真っ先に勘づいたのはスンウであった。その言葉に、少し遅れて俺にも合点がいく。


 皆国党は災害対応から逃れるために、故意に野に下ろうとしているのだ。



 聡美さんの研究チームは、言わずもがな皆国党の庇護の下の組織だ。となると党員上層部は既に、デバイスジャック患者が磁気嵐により被害を受ける事実を知っているのだ。

 これは未曾有の大災害になる可能性を秘めており、政府は災害対応に全力を尽くす事になるだろう。母数230万の若者の何割かが全国で体調不良を訴え、さらに230人は命すら危ぶまれるかもしれないのだから。


「小鳥遊丈が報告書の写しを盗み出したと知っているのは、皆国党でも限られた者だけなのです。彼らは研究チームの報告書を破棄させて政権交代をしてしまえば、政治家としての難は逃れられると考えました」


 彼女がテレビを民放に変え軽くザッピングすると、やはりどの局も衆議院解散についてのニュースを流している。


『――皆国にとってはかなり苦しい総選挙になるでしょうね。民清がどれほどの候補者を擁立できるか次第ですが、これは政権交代も見えてきたと言って良いんじゃないですか』

『――解散については皆国党内でも意見が割れており、これは後の総裁選にも響くと予想されます。しかしここで一枚岩になれないようでは、国民の不信感を拭う事はできないのではないでしょうか』

『――こちら、首相官邸と中継が繋がっております。日が暮れてなお多くの若者たちが集まり、青いフラッグを掲げて時代の転換点に湧いています!』


 民放ですら皆国を遠回しに貶し、政権交代を予感させている。そんな本来であればアオ派にとって喜ばしい筈の事も、真実を知ってしまえば怒りが込み上げる。


「未曾有の大災害……その厄介イベントを民清党に押し付ける為の解散だとしたら、この衆院選はハナから負ける気だってのかよ……随分とコケにしてくれるじゃねぇか……!」

 スンウが怒りで震える。


 本気で政権交代を目指してきた民清党とアオ派の人々にとって、それは受け入れ難い事実に違いない。サファイアデモクラシーなどと舞い上がっている事すら、手のひらの上で踊らされていたと認めざるを得ないのだ。


「この研究は厚生労働省の管轄下で行われていました。政権交代後の民清に我々の研究成果がバレてしまっては、それを秘匿していた皆国の責任追及は逃れられない……だから彼等の保身の為に、デバイスジャック患者の報告書は全て破棄させられ、研究チームには解散命令が出されたのです」

「どこまでも腐りきった国ネ」

 ハオランは怒りよりも呆れの感情に傾いているようだ。


「そして秘匿を命令した党員や役人の上層部も、災害時には自分たち親族の子供だけ安全な施設に匿って事なきを得る気でしょう……一般の犠牲者を他所に」

 聡美さんはハオランの言葉に同調するかのように、己の属するスキームに対していつになく露悪的な言葉を選んだ。


「でも、聡美さんはそれじゃダメだって考えたから、こっちの病院に来てまで研究を続けてくれてるんでしょ?」

 フォローするかのように菖が口を挟む。

 菖は3週間も聡美さんを側で見ていた。だから彼女から直接聞いていた訳で無くとも、焦りや苦しみを汲めたのかもしれない。


「ありがとう菖さん。私は今、解散させられた中枢先進医療センターの研究チーム中でも志を同じくしていた少数の仲間たちと、この帝国研究病院で秘密裏に足掻き続けています。その日までに少しでも被害を減らせる糸口が見つけられると信じて」


 もうスンウも、誰か個人を責め立てはしなかった。

 皆やり場のない怒りや無力感に想いを馳せ、しばらくの沈黙が続く。


 しばらくして聡美さんが、大きなため息を吐いた。


「少し、お茶にしましょうか」


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