137話 空席につく
俺たちが帝国研究病院の入院棟に招き入れられて、既に6時間程が経過していた。冬の日の入りは早く、閉じられたカーテンの隙間から漏れる橙も徐々に弱まっている。
菖と話す以外は軽い食事をしたり俺もシャワーを浴びたり、再び仮眠をとったりして過ごした。パンゲアやSNS越しに見る世間は衆議院解散の話題で持ちきりで、今朝までの派遣市民を巡る攻防がとても小さな事だったかのように感じさせられる。
そして聡美さんの号令によりスンウたちは再びこの菖の部屋に集められ、束の間の休息も幕を閉じた。
「では仕切り直して、私の要求を聞いてもらいます」
相変わらず白衣姿の聡美は、ソファに座った俺と菖、そしてスンウとハオランを順番に見つめた後に、そう切り出した。
「――この春、太陽フレアによる磁気嵐が地球に到達します」
聡美さんは大型テレビに映るウェブサイトをまるでプレゼン資料のように扱いながら、その面食らうスケールの説明を始める。
黒点の活動により、十数年おきに地球に降り注ぐ太陽からの磁気嵐。これにより引き起こされる通信障害や停電について、総務省は早くから警告を続けていた。
高度な通信網が敷かれ、精密機器の普及した現代社会において、この磁気嵐によるダメージは計り知れない。電話が繋がりにくくなるだけでなく、無線やGPSにも影響があり、それらに頼っている飛行機や船舶の運航も困難になるという。
この春に起こり得る被害としては、およそ半日ほどこの状態に陥る可能性があるらしい。
「12時間程度なら交通系を止めても経済への影響は致命的ではないでしょう。停電や通信障害についても、日頃から防災の意識が高いこの国であれば難なく越えられると考えられています。事前に起こることが予測できている災害ですので」
太陽フレアによる災害のニュースは俺も度々耳にしていた。
それは地震と違い発生時期を絞れるため、ピンポイントで対策すれば聡美さんの言う通り乗り切れるという印象だ。事前に活動を止めてしまえば通信障害によって起こり得る物理的な事故も防ぎ易く、世界中で対策が進んでいる。
人体にも特に影響は及ぼさない。
「――と、思われていました」
聡美さんは一際真剣な顔つきで、本題に入ることを予感させた。
「この磁気嵐はデバイスジャック患者に多大な被害を及ぼす……公にはされていませんが、そういった研究結果が出ているのです」
彼女はそう言うと、スンウとハオランにも症候群の簡単な説明をする。
知覚性デバイスジャック症候群。
それはデジタルネイティブ世代の罹る症状で、発症者は電子機器と接続されているかのような感覚に陥る。スマホの着信を肌で感じ取ったり、電子レンジで頭痛を覚えたりするそうだ。論文発表も成されている歴とした病理だそうだが、俺も知ったのはつい半日前。
そしてその患者は、来たる太陽フレアから悪影響を受けるだろうという話のようだ。
「……つまり、ワタシとかアヤメは危ないってコト?」
「いや、貴方は留学生でしょう? デバイスジャックを引き起こす理由のひとつに関東平野特有の磁場があるので、首都圏の長期滞在者以外は発症しません」
聡美さんの答えに、しかしハオランの表情は暗いままだ。
「ワタシ日本に来てまだ3年くらい。でも半年前くらいから、スマホの着信の時にうなじの辺りがピリっとして、鳴り出す前に判る時ある。これ、デバイスジャックの症状ネ?」
「まさか……! そんなにも高速な発症例は初めて聞きました。……一度発症してしまったら首都圏を離れても簡単には治らないので注意して下さい」
菖だって青森の実家でアイちゃんと繋がったのだから、それは頷ける話だ。
焦り顔を浮かべる聡美さんは、言い辛そうに言葉を続ける。
「今のところの研究では、デバイスジャック患者が強い磁気嵐を浴びると重篤な場合、視覚聴覚などの知覚障害や意識の混濁が予想されています……死者が出ないとも言い切れません」
電子機器にとっての電波障害や停電に似た症状が、人体にも起こるということなのだろう。
以前、菖の視界に太陽フレアの影響が出るのではと会話した記憶があるが、想像を上回る被害になるという事実が突きつけられてしまった。彼女の方に目をやると、苦い顔こそしているが想定もしていたことが読み取れるくらいには落ち着いていた。
「そんな大事なコトならさっさと公表して、国全体で対策しなきゃならねぇんじゃねぇのか!」
「公表は最も危険だって、そんな事も解らないんですか?」
スンウの恫喝に、聡美さんは少し苛立った様子で返す。
潜在的デバイスジャック患者の想定は14~22歳辺りの関東長期在住の若者で、その総数は230万人にも及ぶ。このうち重篤な症状が出る患者の試算は、最大で全体の一万分の一にあたる230人程度だそうだ。症状を治す糸口など掴めていないのだとしたら、残された方法は磁気嵐の届かない所へ避難するしかない。
「例えば、地下に潜れば磁気嵐を防げると直感的に考える者は多いでしょうし、実際にそれなりの効果があります。しかし数百万の人々が地下鉄に殺到したらどうなると思います? それによる2次被害は、磁気嵐での被害数の比でないほどに膨れ上がる……たとえ0.01%でも自分が重篤患者になり得るなら、皆安全の為に動くでしょうから」
この事を報道すれば日本中がパニックに陥るだろう。いくらアオ派のスンウと言えど、おいそれと発信できる内容ではない。聡美さんもそれを理解しているから、敵対する立場のピックスに堂々と内情を漏らしているのだ。
「清廉情報思想は透明性の高い社会づくりを目指しているそうですね。しかしその興りは政府への糾弾……すなわち、反体制・反権力的な正義感。だから守るべきものに対して害を為す事実を、貴方たちは報道できないでしょう?」
聡美さんはもはや嘲笑するするかの様な視線を送っているが、スンウは否定できない。
「……それがそんなに可笑しいことかよ?」
「いいえ。ただ、貴方達が散々目の敵にしているシロ派と呼ばれる者たちと、結局は変わらないと言っただけです」
スンウが激昂してテーブルに拳を打ちつける。
横で彼の苛立ちに気付いていたハオランは、咄嗟にスンウの裾を掴んで静止の意思を示していた。
「てめぇらの守ってるモンは利権だろうが!」
「……そうかもしれませんね」
場が、少しの間だけ静まりかえる。
すると、聡美さんの視線が今度はこちらに向いた。
「この通り、アオ派も私たちも守るべきもののために、こんな事を公表すべきではないと理解しています。報道とは人の営みに資するものであるべき――その一点でのみならアオとも手を取り合えるかもしれません。……しかし、世の中にはそうではない人間もいるのです」
それは、考えないようにしていた事実。
しかしそれを掘り下げなければおやっさんへは到達できない事も、聡美さんの視線で理解してしまった。
「……空色的な思想なら、それでも真実を報道をすべきと考える」
俺の中では、そう答えが出てしまっている。
「例えば、の話からします」
複数の冷たい視線に居心地の悪さを感じながら、俺は説明を始める。
例えば、ある所に若者がとても少ない村があるとする。しかもその村は伝統的に、深い縦穴を有している。その事は村人なら皆知っているが、外の者にはほとんど知られていない。
さて、デバイスジャックと太陽フレアによる磁気嵐の関係性が報道されたとする。村に住む者は、我が子を磁気嵐から守るためにその縦穴を利用するだろう。そうすれば少なくとも、身内だけは守られる。
「――しかしコトが秘匿されてしまえば、手段を有していた人々が家族を守る機会が失われる。報道されない事で危険に晒される命があるなら、それは許される事ではない」
「何百万人がパニックに陥ろうと、知ることで助かるごく少数がいる事を言い訳にジャーナリズムを掲げるってのか!?」
スンウはやはり純粋な男だった。
世の数々の不条理に苦しみ、怒ってくれる。
だから俺も、本気の言葉で返す。
「功利主義に基づいてトロッコ問題の答えを出すのがジャーナリストの仕事だというなら、それこそ驕りだ! 事実のみを無感情に提示し、その先は民衆に委ねるのがジャーナリズムの在り方だ! ……と、筋金入りのソラ色なら考えるでしょう」
俺は力強い視線を聡美さんに返してやる。
「小鳥遊丈は、この事実を握っているんですね?」
一刻でも早く小鳥遊丈の持っている情報を抑えないと、この国は大変なことになる――確かに彼女はそう言った。
その意味を今、俺は噛み締めていた。




