135話 エクイティ
ベッドの端に腰掛ける菖は、あまり知られたく無かった筈の素性を明かした。しかし億劫などという素振りは見せず、むしろ驚かせるのが楽しくて仕方がないとすら感じさせる表情をしている。
ハオランは直ぐさま菖の隣に腰を下ろすと、大きな瞳で彼女の顔を覗き込む。
「おいおい、アイリスって言やぁ行方不明になってるって話だろうが。未だ橘の話すら信じかねてるってのに、どうして嬢ちゃんを信じられるってんだ?」
スンウが呆れる姿勢を見せながらも、何か信じるに足る材料を欲するかの様に問いかける。これが突拍子もない話なのは間違いないのだ。
「うーん……似てルかも? けど絶対そうとは言えないヨ」
ずっと菖の顔を凝視していたハオランも、流石に確信には至れないようだった。
しかし、菖の得意げな表情は崩れない。
「ところでさ、雲母メイちゃんって知ってる?」
「知ってるも何も、今コンフルエンサーとして一番勢いのあるタレントだヨ。分銅祭にも来てくれたし、ピックスとしても以前から交流があるネ。インタビュー動画とかも撮ったコトもあるヨ」
ハオランの返事を頷きながら返していた菖は、自身のスマホ――ゴツいケースに包まれたアイちゃんを取り出した。
「それなら話は早いねっ」
何やらアイちゃんを弄ると、それを耳に当てる。なるほど、俺にも菖がやろうとしている事が見えてきたが、それは中々に大胆な方法だ。
「もしもしー、メイちゃん? 急にゴメンね。今時間大丈夫? ……うん、うん。ありがと。あのね、NEXTopicsのスンウさんとハオランちゃんって知ってる? ……うん、うん」
ハオランもスンウも、そして聡美さんも、急に始まった菖劇場に呆気に取られて何も言葉を挟めずにいた。そんな周囲を他所に、菖は俺が聞いたことのないような慈愛に満ちた声色で、電話口に語りかける。
「それでね、私がその……アイリスだったことを、2人に納得させたくて、メイちゃんの口から伝えてくれないかな。……うん、そうなの、私ももう全部から逃げてちゃいられないなーって思って、……うん、だからね、おねがい」
そう言うと、菖はアイちゃんをスンウの方へと差し出す。
状況を理解したであろうスンウは、黙ってそれを受け取り耳に当てた。
「NEXTopicsのスンウだ。……あぁ、それは聞いた。……そうか、分かった。巻き込んで済まねぇな」
落ち着いた口調でそう言うと、スンウは聡美さんの方へと視線をやって含みのある笑みを浮かべた。
「そんでよぅ、今、郷田和義の娘って奴と帝国研究病院に居るんだわ。だからこのまま俺らが行方不明にでもなったら、この事を公開してくれや」
聡美さんは苦い顔をしたが、時すでに遅し。保険をかけたスンウを、口を出さずに睨みつけるばかりであった。
スンウは電話を切り、それを菖に返す。
「ハオラン、どうやらコイツは本当にアイリスらしい。小鳥遊丈の元部下のタクシー営業所で助手やってる理由は謎だがな」
「これでもう私たちは手を取り合えますねっ」
菖はスンウの棘のある言葉にも意に介さぬ様子で、もう覚悟を決めたかのような堂々とした態度で応えた。
「貴方の助手がこんな子だったなんて聞いてませんでしたけど」
聡美さんがまた、あの言葉を俺に耳打ちした。
その後、ハオランとスンウは自分のスマホの電源を切り、菖に預けてくれた。厳密には菖がアイリスだからといって2人の信頼に足るかどうかはまた別の話なのだが、少なくともそれを明かすリスクを負った菖の想いを汲んでくれたようだった。
あるいは、アイリスというブランドにアオ派としてのリスペクトが多少なりともあるのかもしれない。
「アイリスの話は後でいっぱい聞きたいケド……ワタシたちは少し休ませて貰うヨ。春節祭の方も大ごとにはなってないっぽいしネ」
ハオランが欠伸混じりにそう言いながらこの部屋を後にしようとしたが、その後ろ手を菖が掴む。
「今日は事故とかで大変だったんでしょ? 汗もかいたし、身体も汚れたんじゃない?」
「……あーそうかも。仮眠の前にシャワー貸してもらうヨ」
そう言って、ハオランは早く別部屋に移動したいようだが、菖は手を離さない。
「でね。ここのお風呂、すっごい広いんだよ」
「? ……ウン、そうなんだ?」
菖はイタズラっぽく微笑む。
「それでねハオランちゃん、まだお昼だけど……一緒に入ろ」
「エッ!? あの、それはチョット……!」
「あのね」
菖は戸惑うハオランを引き寄せ、彼女の耳に手を当てて、ひそひそと一方的に話を始めた。
「おい」
俺は徐々に押し寄せてくる睡魔に耐えながらそんな2人の様子をぼんやりと眺めていたが、不意にスンウに話しかけられる。
「やっぱりてめぇはいけ好かねぇヤツだ。何をしても中途半端な癖して、変なとこで自分を曲げる気が無ぇ」
俺の過去話に嘘はない。だからスンウがそう感じたのであれば言い逃れは出来ない。同じジャーナリストとして、思う所が幾らでもある筈なのだから。
「でもな、俺たちみてぇな逸れモンの力にもなろうとしてたのは、どうやら本気だったらしい」
派遣市民に翻弄される外国人コミュニティ――アカリの境遇とスンウたちの立場を重ねてしまったのは確かだ。だから春節祭では肩に力を入れてしまった。
スンウはそれだけ言い残して、聡美さんに空き部屋を案内しろと言って2人で出て行った。
気付けば菖とハオランは既に浴室に入ってしまったようだ。シャワーの音と、反響する会話が響いている。
2人がどんな内緒話をしたかは知らないが、少なくとも菖は視力の件を濁しつつも明かしたのだろう。カメラ付きメガネの持ち込み辛い水場は菖にとって急所なのだから、その事実を晒さなければ一緒に風呂など入れない。
菖は少し見ない間に、より強かになった気がする。
前から物怖じしない子だったが、更に他人を慮る包容力のようなものを感じさせる。自分を曝け出すことによって相手に寄り添おうとしているかのような、温かくて危うくもある精神。彼女がコンフルエンサーとして隆盛した本当の理由は、案外それなのかもしれない。
俺は部屋で1人、そんな事を考えながらソファに体を倒した。




