134話 ダイバーシティ
「――ツワブキ出版が倒産したのは、その3年後だった。それと同時に俺はジャーナリストを辞めたんだ」
帝国研究病院の入院棟最上階。そのホテルとも見紛う病室の一角で、ソファに腰掛ける聡美さん、スンウ、ハオラン、そして菖は、俺の昔話に聞き入っていた。
ある程度かいつまんで話したつもりだが、それでもやはり皆一様に驚きの表情を隠せずにいる。
「てめぇ、そりゃマジの話なんだろうな……?」
スンウが凄むが、その眼は怒りよりも怯みの色が目立ち、いつも程の迫力はない。
無理もない。
俺は今までこの情報を誰にも話して来なかった。
速水トオルは女性だった。
速水トオルは日笠グループ会長の隠し子だった。
速水トオルは日本と中国、フィリピンの混血だった。
「……速水トオルの転落は、他殺でも自殺でもなく本当に事故だった」
膝に肘をつき、両手で握り込んだ俺の拳は、小刻みに震えていた。あの時のことを口にするのは、未だに怖気がはしる。
「少なくとも自殺するような人じゃないって知れて、ボクは嬉しい。トオルにさらに親近感が湧いたヨ。話してくれてありがとう、運転手サン」
ハオランは、いつになく優しい声色でそう告げた。彼女は以前からトオルの事を純粋に知りたがっていた。
「依頼主とねんごろになった挙句、国中を変えるような事件の真相を1人で抱え込むとは、ご立派なジャーナリズムだな」
この事を明かしたからには、俺が絶対に受けなければならない非難。スンウはそれを言う役を引き受けてくれただけに過ぎない。
「1人で抱え込んでいた、というのは違いますね。この話だと、日笠正造とその側近、現場対応した警官とその上層部……そしてやはり小鳥遊丈は、この事実を今日までひた隠しにしていた事になります」
聡美さんが冷静な考察を入れる。
「それに貴方の話が真実で小鳥遊丈が私人Xでないとしても、私にはまだ彼を追わなければならない理由があります」
俺から見ても、おやっさんには謎がある。
配信者転落死事件の真相を知ってなお聡美さんがそう言うのであれば、これでやっとその先へ進める。
「……なら、今度はその理由を聞かせて下さい」
未練がましくも、俺はまだおやっさんの背中を見ていた。
「ちょっと待てや。興味深ぇ話で聞き入っちまったが、俺たちが此処に来た理由を忘れて貰っちゃ困る。拡散されれてるだろう春節祭で起きた騒動に対抗し得るだけの、てめぇらの不正を暴かなきゃならねぇ」
スンウの言葉で思い出した。
彼らは春節祭にて在日コミュニティの印象を貶めた者が、何者かの息のかかった派遣市民であることを突き止めるためにこの帝国研究病院まで足を運んだのだ。
「いつまでも小さな事にしか目がいかないから、大局を見失うんですよ」
「あぁ?」
聡美さんの言葉を挑発と受け取ったスンウは、眉間に皺を寄せて凄む。
アオとシロ。
その中でも在日外国人のピックスと政治家親族のエリート特権民という、相容れない背景・思想を持つ者同士。そんな2人が睨み合う。
「お祭の喧嘩なんて、そんな小さな事件もう誰も話題になんてしてないってことです」
聡美さんは視線を時計にやると、今度はリモコンを手にしてテレビのウェブブラウザモードでパンゲアを起動した。
【B】『総理大臣が衆議院解散を表明。野党からの内閣不信任決議案の提出直後』
【C】『本日19時より首相官邸にて記者会見』
【D】『解散を受け、SNSでは《サファイアデモクラシー》が7ヶ月振りにトレンド一位に』
【E】『池袋西口公園で行われていた春節祭にて暴行事件、飲食店従業員を逮捕』
「何、コレ……!?」
「解散宣言だと!?」
ハオランとスンウが声を上げる。
衆議院の解散。皆国党の長期政権が揺らぐ。
新垣治率いる民清党が前回の参院選で過半数の議席を勝ち取った事により、この半年ほどねじれ国会の状態が続いていた。政権交代の機運が高まる中、野党の提出した内閣不信任決議案が採決に入る前に、自主的な解散に及んだのだろう。
「知っていたんだな……こうなる事を」
スンウが問い正すような口振りで聡美さんを睨む。
聡美さんはここまでスマホなどを見る素振り無く、1時間以上も俺の昔話に耳を傾けていた。それなのに30分ほど前の解散宣言を、まるで全て知っていたかのような振る舞いをした。
「賽は投げられました。次は私の話を聞いて貰います」
しかし丁度聡美さんがそう言い終わるタイミングで、ハオランが大きな欠伸をした。彼女は無意識だったそれを自覚し、失礼だと考えたのか口を手で塞ぐ。すかさずフォローを入れたのはスンウであった。
「俺たちは昨日から徹夜なんでな」
「……ここからの話は正常な判断力のある状態で聞いていただきたいので、ならその前に少し休まれてはいかがでしょう? 私の話を聞き終わるまではこのフロアから出せませんし、スマホは預からせて頂きますが、空き部屋ならいくらでもあるので使って下さい」
スンウと聡美さんがまた鋭い視線をぶつけ合う。
「ジャーナリストから記録と発信の道具を取り上げるってか? スマホに何されるか分かったモンじゃねぇな」
「まだ、貴方たちを信用した訳ではありませんので」
早かれ遅かれ、これが問題になることは危惧していた。
トピックストリーマーたるスンウたちは、この敵陣ど真ん中で通信手段までも敵側に委ねる訳にはいかないし、隙あらば不正を暴いてやろうという立場だ。それはつまり、聡美さんにとってはシロの急所になり得るこの場所で、アオにスマホを持たせたまま放置させるのは危険だという事と同義。
だから記録媒体でもある商売道具を取り上げようとする聡美さんの発言は、一触即発の空気を生んだ。
俺が中庸のソラ色だからと言って、仲裁できる立場ではない。何故なら彼等にとってその思想は最も信用のならないものなのだから。となればこの場このメンバーで休まる時間など、作り得ないのかもしれない。
「じゃあ電源切って私が預かるのはどうでしょう」
不意に、この場の空気に似つかわしくない程に明るい声を発したのは、少し離れたベッドの上に座っていた菖だった。
「聡美さんは、それでも良いですよねっ? もう3週間も一緒で、私の事は信用してくれてるでしょ」
「えぇ……研究に協力的で助かってますし、信じてあげたいとは思ってるんですけど……」
菖の真意が読み取れず、聡美さんの歯切れは悪い。
しかしそれよりも、やはり声を荒げたのはスンウだった。
「あぁ? そもそも嬢ちゃんは橘の助手だろうが? 俺たちは未だその運転手を完全に信用出来てるワケじゃないんよ。ここに招き入れられたのだって、お前らとその女が結託して罠に嵌めようとしてるセンだって捨てきれねぇしな」
結局、俺たちは未だ互いを信用できる所まで来ていない。
それだけ、この時世における分断の構図は根深い。
「でも、私はあなた達みんなと手を取り合えると思ってます」
「ゴメン、アヤメ。気持ちは嬉しいケド、でもボクらはキミのコトもあまり知らないし、立場的に譲れないことも……」
ハオランが申し訳なさそうに諌めようとした、その言葉に被せて菖は言い放った。
「私、アイリスという名前でコンフルエンサー活動してた事があるんです」




