132話 The Struggling Girl
配信者転落死事件。
その報道により、アカリの死が確定した。
とあるスクープを追っていた配信者が、工場の敷地内で転落死を遂げた。その自称フリージャーナリストはSNSや動画サイトなどで発信しており、目立とうとする余りに立ち入り禁止区域内に侵入し、事故により死亡が確認された――といった内容の報道が為されている。
あの後、浜松からタクシーを拾ったが道中のことは余り覚えていない。ただ家に着く頃にはもう日が暮れてしまっていたことだけは確かだ。
一人には広過ぎると感じるようになったこのワンルームで、電気も点けず雨に晒した体もそのままに、型落ちテレビから鳴るニュースに長いこと耳を傾けていた。
――キミは来ちゃダメだ。
俺はあの時どうして足を止めてしまったのか。
結局、最後までなにもかも中途半端だった。
アカリが正体を最後まで明かさなかった理由はきっと、その危険行為を俺に止められたくなかったから。危険を承知で泳がせたターゲットがアカリ本人であると知ったら、凸配信を止めにかかるかもない――と俺は思われていたのだ。
それはジャーナリストとして余りにもアンフェアだ。でもそうしなかったと言い切る事は今の俺にはできない。
――ここから先は、フェアじゃない。僕個人の意地の問題なんだ。キミはそのボイスレコーダーを持って帰って、キミの仕事をしてくれ。
それでもアカリは、何よりも俺のジャーナリズムを尊重してくれていた。正造氏が去れと言った時点で踵を返していれば、ボイスレコーダーは守られたのだ。でもそんな事、土壇場でアカリに諭されるまで勘定から抜けていたし、あの時点ではもう遅かった。
――フェアに努めようとするから頼られると偽悪的になっちゃうんだね。……キミは充分に正義の味方だよ。
もしあの場にジャーナリストとして立っていたのなら、ただ無感情に、公平に、非当事者として事実の追求に徹するべきであった。そうすれば少なくとも、俺のジャーナリズムは守れたかもしれない。
あるいはアカリの制止なんか無視して、親子の心に寄り添う正義の味方を自負して、真っ先に駆け寄るべきだった。そうすれば少なくとも、アカリの命は守れたかもしれない。
――俺がいつだってお前の味方ができるかは分からないぜ。俺はジャーナリストだからな。
あぁ、そんな軽口も今では無性に腹が立つ。
馬鹿な事を言えなくなるまであの日の自分を殴ってやりたい。
結局、俺は正義の味方にもジャーナリストにもなれなかった。そして、僅かな間に心を寄せ合ったつもりの人と、長いこと貫いてきたつもりのジャーナリズム、その双方を失った。
「馬鹿野郎が!!」
殴られた衝撃で俺が会議室のイスを散らしながら尻餅をついたのは、あの事件から3日後の事だった。
ツワブキ出版の会議室でおやっさんに今回の大筋を報告した矢先に飛んできた鉄拳は、今の俺に相応しい制裁だ。
「先ず報告が遅い。手前の追ってた奴の死亡報道がなされてんだぞ。何よりも先ず報告だろうが。そもそも連絡がつかないんじゃ、お前の身の安全や何かしでかして逮捕されてる可能性すら考慮しなけりゃならん。こっちの事も考えやがれ」
この部屋には俺とおやっさんしかいない。
誰の肩を借りることもできず、口内で血の味を噛み締めながら、俺はよろよろと上体を起こす。
おやっさんの言ってる事はもっともだ。
俺は碌な報告も入れずに3日間も家で塞ぎ込んでいた。ジャーナリスト……いや、社会人失格だ。
「次に、どうして突撃取材配信の日程や進捗を事前に連絡しなかった? 場合によっては人員を増やす判断もできた。……第七號島の件で不貞腐れてんのか、私情を挟みやがって」
やはり俺の未熟な思考などお見通しだ。
俺がプライドを捨ててXデー前におやっさんに頼っていれば、未来は変えられたかもしれない。
「それに、手前の判断でこの件を記事にしたくないってのは、どういう了見だ? あぁ!?」
もちろんアカリとの仲など告げていない。
ただ俺は、この件を記事にはできないとだけ伝えた。しかし、事件に間近で触れたのならそれこそ多くの人に真実を知ってもらうべきであると、そう考えるおやっさんの方がジャーナリストとして余りにも正しい。
しばらくの沈黙。
おやっさんは俺を見下ろし、返答を待っている。
頬の痛みが今更になって響く。自分に血が通い生きているという実感と、そして失われてしまったものへの想いが溢れ出てくるが、涙はとうに枯れてしまっていた。
俺は情けない涙声で、言葉を振り絞る。
「……取材依頼に来た彼女が、速水トオルだったんです」
「何だと……!?」
俺は、告げられていなかったことを、告げた。
おやっさんはアカリがツワブキに来た日に会っていたし、トオルの尾行取材の件も直々に説明を受けていた。だからおやっさんもアカリに欺かれた1人だ。
俺はそこからぽつぽと溢すように、アカリが日笠正造の隠し子であったこと、官製談合を暴こうとしたが失敗したこと、録音テープを取り上げられたこと……そして転落死は本当に事故であったことを告げた。
驚きから始まり、思慮を巡らせ、確信、戸惑い、後悔、そんな一連の思考の流れが手に取るように分かるほど、おやっさんの目の色は移り変わっていった。
「今回の事は現段階では記事にしなくて良い。お前の調査報告は適当に誤魔化しておく。……3日やる。その休暇で気持ちの整理をつけて来い」
先刻までとは打って変わって、おやっさんは優しい言葉をかけてくれた。俺があの依頼人と必要以上の関係を持った事まで、もう察したのかもしれない。そんな御法度、本来なら許されるべくも無い。しかし依頼主が死んだとあれば、俺個人の心傷に配慮しておやっさんなりの温情をくれたのだろう。
「……もう、3日の休暇はいただいてしまいました。明日からまた案件を振って下さい。どんな泥臭い仕事でもやります」
何かに忙殺されていないと狂ってしまいそうで、だから血を拭いながら、そんな無茶で生意気な言葉を口にした。
「……好きにしろ」
おやっさんはそう言うと、会議室を後にした。




