133話 報道革命の舞台裏:空色と呼ばれた雑誌記者のケース
アカリが落ちた日。
あの時に聞いた叫び声の主は、桐谷先輩だったということを後から知った。日笠ファクトリーミュージアムに居たテレビ局員は名静テレビのスタッフで、桐谷先輩はお昼のワイドショーのリポーターとして訪れていたのだ。
桐谷アナは速水トオルが転落する瞬間を目撃した。他のスタッフは皆、中継カメラの画角内に入らぬよう桐谷アナの正面に回っていたためその光景に背を向けており、だから彼女が唯一の目撃者となったのだ。
落下の衝撃音と同時に桐谷アナが叫び、カメラが気付いて後ろを振り返った時には、死体は空の貯水池の中。周囲には塀が設けられていたため、カメラにアカリの姿は映らなかった。
ただ、この事件の象徴的なシーンとして、桐谷アナの叫ぶ姿はお茶の間で何度も繰り返された。それはアカリの件を抜きにしても、友人として見るに耐えない光景だった。
そしてそんな話題性の高い事件と言えど、かなりの情報規制がなされているようだった。
事故現場が日笠重工の敷地内だと明かした局は少なく、彼女のジャーナリストとしての活動について言及する局も無い。それらの因果関係こそがこの事件の核であるに違いないなんてことは、事実さえ並べば誰の目から見ても明白であるというのに。
ワイドショーのコメンテーターは、ネット上で自己顕示欲を満たそうとする行為の社会問題化を指摘した。観光地でセルフィーに夢中になるあまり事故を起こす事例だったり、バズりたいがために危険な動画を撮る事例だったり、今回の件もそれらに絡めて警鐘を鳴らす立場のようだ。
反面、ネットでは大きな炎上騒ぎとなっていた。
『――日笠グループ代表、日笠正造。今日はお前に、国土交通省との癒着の件を説明してもらう!』
『成程、そうか……どこで嗅ぎつけたのか知らんが、遊びは程々にせんとな』
このやり取りは一万を超える人々がリアルタイムで視聴し、その後の相次ぐ転載でさらに数百倍の人々の目に留まった。この部分だけでも充分に報道する価値のある内容なのに、しかしテレビでは一向に触れられない。思慮の浅い若者の暴走だと、事件を矮小化されてしまう。
当時、現場へ急行していた視聴者も門前払いされてしまい、結局のところトオルの姿を見た者は桐谷アナの他は日笠関係者と警察のみ。その正体も隠蔽された。
然らば、それらが逆説的に答え合わせとなってしまう。
速水トオルはSNSや動画サイトなどで、マスメディアの在り方に疑問を呈する立場を発信していた。そんな者の命懸けの主張をテレビが黙殺したとあって、やはりトオルの言っている事は正しかったのだと、支持していた人々の不満は爆発。
トオルは事故死ではなく、大企業と国に楯突いた所為で殺害されたという主張がネット上での通説となった。そして権力者とメディアは結託して、その真実を隠蔽しようとしているのだ――と。
さらに1ヶ月後、その事件を嘲笑うかのように、国交省の推進する新タクシーシステムの開発を日笠重工が受注する旨が発表される。テレビではこれが肯定的に報道され、配信者転落死事件を引き合いに出す局は皆無であった。それによりさらに、ネット文化の中心であった若年層は怒りを募らせる。
だから報道業界は悪い意味での注目を浴び始めていた。市民の代表として三権を監視する立場にあった筈のジャーナリズムは、市民から監視される立場へと変貌した。
そんな折、SNSを利用する若者たちの間で『清廉情報思想』というムーブメントが生まれる。現在の報道業界に蔓延る腐敗に異を唱え、ネット上で得られる情報こそが真実であるという風潮が強まったのだ。
そして日笠へはデモやクレームなど執拗な糾弾が繰り返され、経営者の親族にはSNS上で様々な私刑が行われた。確信犯的な行為は警察沙汰になる事もあり、それらはニュース番組で非難の的となる。それによりさらに火が着き、マスメディアに対しても、スポンサーへの口撃や不買運動などが行われた。
これらの動きはトオルの死から一気に燃え上がったように思えるが、その土壌は長いことこの国で培われていた。少子高齢化が進み若者が損をしやすい社会、それを報道しまいとしているメディアへの疑心が、若年層を動かしたのだ。
政治の話をタブー視してきた大人たちの所為で日本は腐敗した、欧米のように一人ひとりが政治的立場を主張し行動することが健全な社会なのだ――という価値観が広がっていく。
そしていつしか、清廉情報思想は『アオ』という愛称でその勢力を広げ、対して政府やマスメディアによる検閲された既存の報道体制を支持する思想を『シロ』と揶揄し、対立構造が深まっていった。
さらに、アオにもシロにも属さない中庸的な思想は、2色の間をとって『ソラ色』と呼ばれ、アオとシロの双方から軽蔑の対象となった。自分の考えを持たない無責任で空っぽな奴らだ――と。
ここまで、事件から僅か半年ほどの出来事であった。
アカリは社会にこれほどの影響を及ぼすことを意図していたのだろうか。いや、アカリは自分の死など計画に入れていた筈はないし、そもそも始めは御家騒動をネタに突撃するつもりだったのだ。だとしたら、俺こそが一連の騒動の引き金を引いた張本人。
しかし俺にはもうそんな自責の念に割く気力は無かった。
ふとした暇をよぎるのは、自分の不出来なジャーナリズムを省みることなんかよりも、本名すら知らない彼女とのたったの2週間の思い出。
忙殺による疲労だけが麻薬の平日と、あてどなく苛まれ仕事日の到来を願う休日。そんな日々の繰り返しで俺の精神は摩耗していった。
事件翌年の4月の頭。
おやっさんは全社員を集め、年度初めの挨拶をした。
「お前らも肌で感じてると思うが、俺たちのやり方が時代に合わなくなってきている」
その話は、いつかはおやっさんの口から聞かなければならない内容だった。これからの社会での、ツワブキとしての身の振り方。
思想色が社会に浸透した後も自社の色を持たず、アオとシロ双方に取材して公正と名打つ記事を書く。そんなツワブキの中庸的な在り方は、対立煽りかつ責任逃れの不誠実なスタンスであるとの論調が広まり、取材を受けてくれる人も減少傾向にあった。
競合の出版社はこぞって思想色の片側に寄った視点で記事を書くようになり、分断が進む購買層も過激で偏った雑誌に流れていった。
「それでも俺はこのやり方が間違っているとは思わん」
そう言いながらも、おやっさんの声はいつになく弱々しく、大きな体躯も心なしか小さく見えた。話を聞く100名程の社員の誰の目を見るでもなく、俯き気味に宙を見つめながら話を続ける。
「でも今の世間はそうじゃねぇ、空色なんてレッテルを貼って俺たちを非難しやがる……だがな、俺だって散々色んな奴の声を聞いてきたんだ。ツワブキを許せねぇって奴らの言い分は、共感はできんが理解はできる」
それは俺も、そしてここにいる皆もきっと、この半年で感じていた事。しかし社内では誰もが口にすることを憚っていた事でもあった。
「今年は新卒も採らんかった……はっきり言う。俺はやり方を変えるつもりはねぇ。だからツワブキは衰退していくだろう。そんな会社から去る者を責めはしない……俺の理念と心中する気のある奴だけ、残ってくれ」
低く、怒気すらも籠っているかのような声だった。
だとしたはその怒りの矛先は、こんなになってしまった社会に対するものなのか。あるいは自分たちの不甲斐無さに対するものなのか。
誰もが答えあぐねており、長い沈黙が続いていた。
俺は、おやっさんの痛みを解っているつもりだった。
憧れた理念。それを貫き通すためにこの会社に入ったのだから、おやっさんが諦めないでいる限り俺も逃げたくない。
いや、格好をつけてもつまるところはアカリの件に対する自罰的な感情なのだろう。自暴自棄で破滅的な選択――空色のままツワブキに居続けるということを、俺は迷わなかった。
それはまさに、心中をも覚悟する選択だった。




