129話 事実性原則へ志向する歩み
澄み渡るような青空と鏡映しの水面に挟まれた、美しい景色が広がっている。吹き抜ける風は清らかで、工場地帯の鉄と油の匂いもここまでは届かない。
この地上15メートル程の屋上で、俺とアカリは身を寄せ合うように、10歩ほどの間を開けて正造たち5人と対峙している。
「先々週の日曜日、ホテルサンシェード西新宿にて、国土交通大臣の郷田和義氏との晩餐会が開かれましたね?」
呑まれそうな程に深い正造氏の眼光へ、せめて目を逸さぬよう努めながら、俺は最初の質問を投げかける。
本来ならばこの場で俺の事を取り押さえ、警察にでも突き出し、正造氏は粛々と視察を続ける事もできる。立ち入り禁止エリアにまで突撃取材を試みる不粋なパパラッチ――それが今の俺の評価であっても何の間違いもない。
しかしそうはならないのだとしたら、それはやはり俺の隣にいるアカリの力だ。正造氏としては跡取り問題を解決するために何とかして和解したい、そのアカリが『正義の味方』とまで信頼を示した俺を無下にはできない。
「いかにも」
「……随分あっさりと認めるのですね」
その返答は、俺を焦らせるのに充分だった。
このやり取りが生放送に乗っていないのであれば、会話が全て終わった後に俺からボイスレコーダーを力尽くで取り上げれば良いという算段なのだろうか。
「隠した憶えが無い。あんなもの、三流のブン屋だろうと嗅ぎつけられるだろうよ」
常に精神的な優位性を取られている感覚。
甲斐斗含む番記者をメインゲートから招き入れたのだ、正造氏からしたら本当にシークレットなどという意識が無かったのかもしれない。そしてその事実は、俺の掴んでいるつもりスクープが如何に矮小なものであるかを強調する。
「強がったって無駄だ! 郷田との密会を認めるんだな!」
アカリが声を荒げる。
隠した覚えのない事実すら、アカリが気付いたのではないと正造氏は直ぐに見抜いていた。それはアカリによる速水トオルのジャーナリストごっこが遊びの域を出ないものだったと自覚させられることであり、彼女は心中穏やかではないだろう。
「先ずは知らねばならんようだな、この国の理を」
正造氏は、アカリに対しては優しいとも呆れているともとれる声色で、嗜めるように説明を始めた。
「我々日笠は戦前から本邦の国防に貢献してきた。軍艦や戦車、潜水艦などの発注は全てこの日本という国から請け負っておる。そんな我々が御国と蜜月であるのは至極当然であり、そうしてこの国は回っているのだ」
だとしても、機密性を担保しながら会食に臨んでいたというのだから怪しいのではないか。政治資金パーティーの形式であればそれ自体は合法であるが、一方で不正の温床にもなり得る。
「晩餐会には大手各社のジャーナリストが何人も居たが、誰かあの会合を問題視して記事にしたかね?」
正造氏は俺へと問い掛ける。
既にその大手各社とも癒着しているのだろう――などと吠えても負け惜しみにしかならない。俺だって、この国が数多のグレーゾーンを抱えて成り立っているのは理解している。そしてそのグレーを黒として日笠を糾弾できるような決定的な証拠を、今の俺は持ち合わせていない。
あの場に居た甲斐人は何を見て、今何かをしようとしているのだろうか。それだけは気がかりであったが、この場での俺にできることはただ信じた道を進むのみ。
「……少し話を変えます。日笠が国防に携わってきたと仰いましたが、それであれば防衛省、あるいは財布を握っている財務省などとの関わりなら頷けます。現にそれらとの良好な関係はこれまで幾度も報道されてきました」
正造氏は俺の言葉に黙って耳を傾けている。
俺はこれまで揃えてきた、取材に基づいた手札を切っていく。
「そんな日笠が何故いま国土交通省なのか。それは郷田氏側から紐解くと、ある事実が見えてきます」
郷田は敵を作りやすい強行型の政治家で、前任の国交相とも対立関係にあった。結果、事務次官とも反りが合わず、前任者までの派閥が長い事抱えてきた企業との官民連携も思うように進まなかった。
そんな事態に業を煮やした郷田は、国交省とまだ接点の浅かった日笠にパートナーとしての白羽の矢を立てたのだ。
「浅いな。御国との事業とは大臣の独断で簡単に発注できるものではない」
「えぇ、もちろんです。そしてそこに、日笠が選ばれたもうひとつの理由があります」
郷田の国交相としての実績といえば、半年前に施行された個人タクシーの法改正が記憶に新しい。個人タクシー運転手という魅力的なライフスタイルへのハードルを一気に下げたのだ。法人タクドラ歴10年を必要としていたものから、僅か2年で済むようになったのだから。
しかし、だからといってタクシー需要そのものが増える訳ではない。法改正後、法人タクシーの門戸を叩く者は増加傾向にあるそうだが、その所為でタクシー利用者というパイの奪い合いが激化するだろうと、俺が聞き込みをしたドライバー達は皆憂鬱そうに口を揃えていた。
「郷田氏は時流の読める政治家です。タクシー法改正がまだプラスに機能していないのは、目的が道半ばだからでしょう」
「仮に郷田の次の一手でタクシー車両の需要が高まったからといって、そこに我々が一枚噛めると思うのか?」
日笠の自動車産業はまだ歴史が浅い。正造氏の言う通り、車両需要が高まれど現行でタクシーを大量生産している自動車会社が順当に潤う、と考えるのが自然だ。
「現在こそ鳴りを潜めていますが、郷田氏は国家の治安コントロールと交通網を結びつける持論を持っている方でした」
これはかなり古いインタビューから攫った事実であり、自動車技術にはまだ課題が多いと郷田は指摘していた。
事故を減らす為に自動運転に力を入れるべきであるし、脱炭素など環境問題への取り組みも考えるべきである。それらについて、運転技術が高く走行距離が安定し、かつ車両の規格を国が指定できるタクシードライバーをテスターとするのが望ましい。タクシー利用者の人流データは統合すればとても価値のある情報になる。これらは全て国家主導で推進する価値があるのだ――と、郷田は力説していた。
「そしてこれら郷田氏の青写真を実現する技術は、この日笠重工で既に研究が進んでいるのです」
去年、ロサンゼルスで開催されたモーターショーにおける日笠重工の出展。それはカーナビを経由したGPSでの人流コントロール技術、プラグインハイブリッド車の実用化、ランク3相当の運転の自動化技術など、他国も目を見張るものが多数あったと知り合いの自動車雑誌記者は言っていた。
それらは軍需品からの技術転用も含まれており、国内の他の自動車メーカーには難しいアプローチだったという。
「郷田氏の次の政策で新規格のタクシー車両や車載システムが必要になるとしたら――その事業で民間パートナーを選ぶ際の入札条件にそれらの技術実績を含めてしまえば、事実上の官製談合が成立するでしょう!」
ここまでの情報を揃えてなお、記事を書くには足りない。当事者たるこの男の言い分まで併記してこそ、『両輪』の取材と言えるのだ。だから俺はここで一度、正造氏の言葉を待つ。
正造氏の眉が不愉快を訴えるようにぴくりと動いた。




