128話 実像
作動していないエスカレーターを駆け上がると、小さなホールを経てテラスへ出ることができる。途中に扉がひとつあったが、幸い施錠はされていなかった。だから俺は昨日の下見の通りの道順で、大きな音を立てて鉄扉を開き、最短距離で屋上テラスへ到着した。
カウンターやキッチンなどがあるルーフ付きのエリアを抜けると、体育館程の広さのテラスに丸テーブルが点々と並んでいる。営業中だった昨日とは違い、椅子は逆さにテーブルの上に積まれてパラソルも全て閉じられているので、見晴らしも良い。
そして、最初に目に入ってきた光景で、もう俺の脳は思考を停止してしまった。
広々とした空間の最奥にある塔屋と、その付近に5つの人影。先程まで配信に映っていた、日笠正造と付き人たちが確認できる。俺の思考を停止させたのは、その更に手前に立ち、俺に気付いて振り向いた者の姿だった。
「アカリ……!?」
スラックスのスーツ姿で片手にノートパソコン、もう片手にはそのパソコンと接続されたカメラを構え正造氏と対峙する者。トオルがいる筈のそこで、振り返ってこの場に似つかわしくない優しい目線をこちらにくれていたのは、たった2週間前に知り合ったのにもう互いのことは解っていると思っていた、思い込んでいた人だった。
「やっぱり、キミは正義の味方だね」
茶化しているのか、本心なのか。そう言って切なげに微笑むアカリは、もう俺の知っている表情をしていなかった。
ここにアカリがいるなら、トオルはどこだ?
トピックストリーマー活動の一端をアカリが担っているなら、そもそもアカリとトオルが協力体制にあったことになる。トオルは俺の事を認知しているのか? いつから? 初めからなら俺の尾行は知られていた? トオルと協力していることを、アカリが俺に隠したのは何故だ?
ちがう。
俺は、もう心の何処かで気付いている。
本当はアカリに兄などいなくて――
「お前か、我がひとり娘を誑かしたのは」
俺がフリーズしていると、正造氏がそう口にした。
――トオルの正体は、アカリだったのだ。
「娘、なんて、今更擦り寄るなよ。僕を男として育てようとした癖に」
アカリはもう5人の方へ向き直り、固まっている俺を他所に正造へと反撃する。
あぁ、脳内でどんどんと辻褄が合っていく。
トオルの役をアカリが担っていたとして、何処にも矛盾が無いことに、俺は気付いてしまっていた。
俺はトオルをマスク越しか後ろ姿でしか確認していない。その姿はウィッグやシークレットシューズなんかで誤魔化せる範囲だった。内藤との会話で聞いた声だって怒気を帯び平時の声色ではなかったので、アカリの声でなかったとは言い切れない。アカリから受け取った写真だって、モーフィングアプリというのが流行っていたと言っていたのはトオルではないか。正造が行きずりの女と2人も子を成したというのだって、今にして思えば変な話だ。
そして何より、俺はトオルとアカリの2人を同時に視認した事はなかったし、トオルの生配信をアカリと一緒に見たなんて事もない。
アカリは、ずっと独りだったのだ。
誰も味方が居なかったから、自分自身を尾行させ見張らせるなどという依頼をした。嘘を吐いたのは、まだツワブキを信用しきっていなかったからだろう。じゃあ最後まで秘密を明かさなかった理由は?
そんなの決まっている。
……この場に来るのがアカリだと事前に知っていたら、そんな危険な事を俺が止めない訳がない。
正造氏が付き人の一人に視線を移す。
「内藤。此度のスケジュールで湖畔のテラスを視察ルートに入れたのはお前だったな」
「はい。差し出がましいこととは重々承知の上、お坊ちゃ……お嬢様との対話の機会となればと考え、独断でコンタクトをとっておりました。この責任は如何様な形でも受ける所存でございます」
内藤氏の声は緊張の色こそ窺えたが、覚悟は決まっているかのような堂々としたものだった。
「……ですが、この場が対話という目的を果たせなかったのは、旦那様の仰る通りあの男が原因で間違いないでしょう。あの者は私とお嬢様の密会時にも現場を嗅ぎ回っておりました」
内藤氏が俺を睨む。
やはり、あの日の会話を覚えていたようだ。
「違う! 生配信は僕が勝手にやってた事だ! この人は関係無い!」
アカリは臆する事なく反論する。
俺を庇っているのか、はたまた自分の意志を否定されたくないのか、何にせよかなり感情的になっている。
「莫迦を言え……お前は確かに聡い子だったが、それでも御国との話まで読めるとは思えん。それが国交省とまで絞れているのなら、当てずっぽうでもあるまい」
正造氏の視線が、真っ直ぐ俺へと向く。
「お前は誰かと聞いている」
時価総額十兆円規模、その長たる者からの敵意を帯びた眼光。俺など睨まれただけで捻り潰されてしまうのではないかという錯覚に陥る。
「……ごめん、結局キミには嘘ばかり吐いて、遂にここまで来てもらっちゃったけど」
気が付けば、アカリは俺に耳打ちができる程の距離まで、正造から後退ってきていた。
「どうやらアイツらが電波妨害をしてるみたいなんだ。方法は解らないけど。だからキミはここへ駆けつけてくれたんだろ?」
トオルがカメラの死角から取り押さえられた可能性も覚悟して飛び出してきたが、とりあえずは無事で良かった。アカリには後できっちり説明してもらうとして、今は自分の目的に集中しなければならない。
俺はジャーナリストとして此処に立っている。
もう言い訳はできない。
日笠と国交相の癒着について、それを追っていると思っていたトオルは架空の存在だった。アカリは俺の推理をなぞってトオルを演じたに過ぎず、だとすれば癒着についての疑惑を最初に持ち出したのは他ならぬ俺なのだ。
「私はツワブキ出版の記者で、橘乙郎と申します。恐れながらここでの会話は全て録音させていただきます」
俺は胸ポケットからボイスレコーダーを取り出し、赤く点灯している様を見せつける。動画配信を妨げるものの正体は掴めないが、スタンドアローンの録音機なら電波妨害も意味を為さない。
頬を汗が伝う。
レコーダーがあることを示し、俺が名乗ることで、最低限の公平さは保たれているだろう。もう後戻りはできない。
さぁ、……取材開始だ。




