126話 X-Day
日笠ファクトリーミュージアム。
日笠重工浜松工場の敷地内にある、日本有数の工場見学施設。
前日に現地入りしていた俺はホテルで一泊し、Xデーたる今日に至る。
三交代制で回っているその工場は、昨晩も不夜城の如く煌々とそのシルエットを湖畔に浮かび上がらせていた。しかし一般人も立ち入りの可能な見学施設は24時間営業とはいかず、朝10時からの開館になる。俺はホテルをチェックアウトし、10時半頃には日笠ファクトリーミュージアムを訪れていた。
とは言うものの、ここでの下見は前乗りした昨日のウチに一通り済ませてある。全ては今日、ここで11時に生まれるスクープのためだ。
トピックストリーマーと名乗り、テレビで放送出来ないようなスクープをネット配信しようとしている速水トオル。彼は今日、初の凸配信を行うとネット上で宣伝しているが、その舞台がどこになるのかは誰にも想像がつかないだろう。
何故ならストリーマー速水トオルと日笠正造の繋がりを知る者は、世界に俺とアカリしかいない。これまでの配信が日笠側の人の目に入っていたとしても、トオルが顔出しをせずに声も加工している以上、気付く術は無い。
工場見学施設は平日ながら、社会科見学と思しき学生服の団体により昨日よりも賑わいを見せていた。また、地方ローカル局の腕章を付けた人の出入りも見受けられる。こちらはお昼のワイドショーか何かの取材陣だろう。
かたや俺はというと、青年の1人客では多少の怪しさは拭きれない。極力自然に見えるよう、大振りな撮影録音機材は諦め、荷物を最低限のものに留めた。昨日の下見では伊達眼鏡をしていたのも、警備員に2日連続で同じ人が来ていると悟られないためだ。もちろん髪型や服装も大きく変えている。
そうやって、小さいながらも少しでも取材がスムーズにいくような準備を積み重ねる。昨今の工場見学ブームにより、大人の1人客がそう不自然で無く見えていると良いのだが。
天井の高い館内には巨大な機械模型や乗り物が並んでいる。
この浜松工場地帯は日笠の中でも最大規模であり、自動車製造の他、造船などの重工業から車載システムなどのソフトウェア開発などまで行われていた。だから展示も迫力あるモノから未来感のあるモノまで多彩で、ボタンを押せば擬似的に動いたり、運転席に乗り込めたりで楽しませてくれる。子供はもちろん、大人でも充分に興味深く見応えある内容だ。
しかしそんな関心は昨日のうちに済ませてある。目指すべきは屋上にある展望カフェテリア――湖畔のテラスだ。
展示施設に相応しい、長いエスカレーターを上る。
壁には歴代の経営者やその時代の開発物の写真が展示されているようだ。上の階へと上るにつれ、展示の白黒写真はカラーになり、写る人々が和装からスーツになり、日笠一族の系譜をなぞることができた。そして最上階の3階に着く頃には、現役の経営者である日笠正造の写真が現れる。
御年59歳。白髪の混じる髪も蓄えた髭も綺麗に整えられ、険しい表情ながらも気品を崩さない。刻まれた深い皺から覗く昏い眼光と鷲鼻は、彼の潜ってきた苦難を感じさせるに充分だ。そして最後の写真に至るまで、正妻の姿はあれど嫡子の存在は確認できなかった。
そうして到達した日笠ファクトリーミュージアム4階。
ここは最上階だが、エスカレーターはさらに上へ、屋上カフェテリア『湖畔のテラス』へと続いている。しかし下見した昨日とは異なり、そこには封鎖のロープが貼られていた。
理由はトオルを尾行した日に聴き取った、『旦那様の視察』という単語から推察できる。
今日、最高経営責任者の日笠正造がこの工場を視察に来るのだ。そのルートには湖畔のテラスも含まれており、だから一般立ち入り不可となっているに違いない。この封鎖された状況はまさに俺の推理を裏付けている。
トオルは正造とノンアポで会える機会を所望し、あの老紳士――内藤は今日このタイミングを提示したのだろう。
俺は3階を見回す。
ここは新技術周りの先進的な展示がメインなのだが、まだ開館から30分足らずなので客足は少ない。注意すべきなのはただ一人、ホールの端で仁王立ちしている筋肉質なラテン系と思しき警備員だけだ。
スマホを確認すると、既にトオルのチャンネルの生配信の待機場所URLがSNSで公開されていた。この近くに来ているだろう速水トオルも、着々と準備を進めているのだ。俺はイヤホンを装着してそのURLを踏む。トオルの配信が始まれば、行動をリアルタイムで追えるハズだ。
つまるところ、俺にできそうな事はもうこれしかない。
昨日、湖畔のテラスの下見も当然済ませた。そしてそれは盗聴器を仕掛ける最後のチャンスでもあった。しかし俺の中の報道倫理がせめぎ合い、結局何も出来なかった。ちゃちなプライドかもしれないそれが招いた結果により、決定的なスクープの現場を押さえられない可能性が生まれてしまったのだが、それはもう割り切るしかない。
だからそんな俺の価値は、配信をトオルに一番近いこの場所で見守っているということだけだ。
トオルに何かあった際に突入、場合によっては報道関係者であることをカミングアウトし牽制することになるだろう。あるいは正造が凸配信に対抗して部下に何か命令する素振りを見せたら、館内の関係者にも動きがあるかもしれない。そこに探りを入れたって良い。
そんな曖昧な計画しかないが、それでもここまで事情を知ってかつ現場にいるのは俺しかいない。もしトオルが日笠と国交相の癒着を問い詰めれば、日笠側にも綻びが生まれるハズだ。そこを逃さずスクープするのが俺の使命。
自動運転技術やら走行データのクラウド化やら電気自動車やら……そんな先進技術の展示に関心する素振りをしていた矢先、イヤホンに音が入る。
速水トオルの配信が始まった。




