117話 あの日遡った最後の邂逅
老紳士に続く形で俺もラウンジカフェの会計を済ませる。
先にラウンジを後にした彼の方へ目をやると、ゲートではなくフロントの方へ向かっていた。そのままフロントにいたホテリエの女性と話を始めたようで、差し出されたトレイにはキーが乗っている。
この男は客としてチェックインしてるのだろうか。
トオルとの会話をホテルの自室ではなくラウンジでしてくれたのは運が良かったが、しかしこのまま男が部屋に戻ってしまえばこれ以上の情報は得られない。
俺は形振り構わず、フロントの順番待ちをするかのように老紳士のすぐ後ろに着けた。幸いにも人が増えて来たことにより空いているカウンターは無い。だから俺がこの男の後ろに並んでいても違和感はない。
「私は旦那様の控室に戻ります。先程のことはくれぐれも内密に」
「かしこまりました」
この会話の違和感は何だ。
まるでこのホテリエも老紳士と通じているようではないか。となるとこの男は通常の客なんかではなく――
「おや、次の方を待たせてしまいましたかな」
すぐ後ろの俺に気付いた彼は、特に取り繕う様子も無く話しかけてきた。
「あぁ、いえ……待ち合わせをしていたのですが、どうやらホテルを間違えてしまいまして。この辺でプレミアハーツホテルをご存知ではないでしょうか」
俺は送っていた視線を誤魔化しながら、奥のホテリエにも聞こえるように説明した。
これは適当に言ったのでは無い。
トオルが席に着いてから男を待つまでの間、周辺の施設については調べていた。常に咄嗟の会話で怪しまれないようにしておく必要があり、今名前を出したホテルも実際にこの近くにあるものだ。何よりこの言動は、仮に先刻まで俺がラウンジに居たことに気付かれていたとしても矛盾はしない。
そしてもう一つ、俺はカマをかけた。
「それでしたら、正面の通りを駅方面に5分ほど歩いて、左手側に聳える20階ほどの建物がそのホテルになりますよ」
答えてくれたのは、タキシードの老紳士だった。
「あぁ、失礼。貴方様もこのホテルの方だったのですね。とても華やかなお召し物でしたので、来客の方かと勘違いをしてしまいました」
俺は、この男とホテリエの女性、どちらに話しかけているとも取れるように質問をしたのだ。そしてこの老紳士の方が間を置かず答えたということは、この男はやはりホテル側の人間。
「何か特別な催し物でもあるのですか?」
自然な流れで聞けたと思う。
老紳士はホテル側の人間として振る舞ったからには、俺の質問を無下にはできまい。
「あぁ、本日ここで晩餐会があるのですよ。私共も特別クラスのおもてなしをさせていただくため、こうして最大限の準備を整えている最中でございます」
そう言うと一呼吸おいて、その男の眼光が鋭く光ったような気がした。
「そして、今夜の主催者様は無粋者を非常にお嫌うお方。匂いを嗅ぎ回るパパラッチなどは念入りに弾くよう申しつかっておりますので、あらぬ誤解を生まぬウチにお引き取りいただくことをお薦め致します」
こちらが先にカマをかけたのだ、向こうにだってその権利はある。いや、これはカマだと信じたいが、もしや先程の聞き耳もバレていたのか?
「……ははっ、それでは退散させて頂くとします」
俺のその言葉を聞くと、老紳士は柔和な笑顔に戻った。
その後エントランスのゲートをくぐるまで背中に視線を感じ続けていたが、もう振り返る胆力は俺には無かった。
外へ出ると再び夏の熱気に晒される。
大理石の階段を降りながら、あのタキシードの老紳士にどこまで疑われてしまったのかと頭を悩ませる。
俺の服装は最低限フォーマルではあるが、今日ここで行われる催しにはそぐわないだろう。けれどそれが逆に、侵入を企む輩ではない事の証明になった筈だ。向こうだって単に人払いの目的でああいう表現をしただけの可能性が高い。
それに、そもそも俺はトオルという学生ひとりを尾けてここにたどり着いたに過ぎない。今夜この場所で開催されるというシークレットな晩餐会が、トオルの件と関係しているかすら分からないのだ。
トオルの家の使用人風でもあり、ホテルサンシェードのホテリエ風でもあるあの男の正体。アレを探ることがトオルの持つスクープに繋がるのは間違いないだろう。
「乙郎……?」
不意に、自分の名前を呼ばれて思考が硬直する。
階段を下りる俺の正面には、よく知る友人の顔があった。
「甲斐斗……! どうしてここに?」
彼の表情を見るに、ここで出会うのが意外だったのはこちらだけではないらしい。俺よりも幾分か格調高い彼の装いに目を引かれると、よもや晩餐会の招待客なのではと疑ってしまう。
次の言葉を選びかねているように、甲斐斗の目が泳いだ。
「あー悪い、俺も先を急ぐんでな」
俺が先に切り出す。
甲斐斗がこの場にいる理由は定かではない。しかし俺にとってこの場所は尾行取材の末に辿り着いた現場であり、それは詮索されたいものではない。同業相手なら尚更だ。
「あぁ、そう。……じゃあ、またね」
甲斐斗はすれ違い様にそう言って、あっさりと俺が降りてきた階段を上っていった。何かを察してくれたのかもしれないし、あるいは向こうも詮索されたくなかっなのかもしれない。
そしてこれを最後に、その後6年もの間、彼と顔を合わせることがなくなるとは、このときの俺には知るよしもなかった。




