116話 ソープオペラの一幕のような
格式の高いホテルには大抵、宿泊者以外も利用できるラウンジが備わっている。そこでは軽食やティータイムを楽しむ者、デートに使う者、そして軽い商談をする者など利用客も多岐に渡る。もちろん料金はそこいらの飲食店より値が張るが、その分客層は落ち着いており、時間に余裕を持って多少込み入った話をするのにも向いている。
だからといって学生が利用するのは少々場違いに感じないでもないが、それもきっとここで会うに相応しい相手がいるからなのだろう。
俺はトオルが背中を向けている側の隣のテーブル席に座る。
隣といってもテーブル同士にそこそこの間隔があるため、ここからでさえ完全に会話を盗み聞くことはできないだろう。
コーヒーを頼みノートパソコンを広げれば、俺も外回りの合間に事務仕事をこなす営業マンに見えるハズだ。そして自然にトオルの方を伺う。
トオルもケータイを確認しながら飲み物を口にしている。マスクは顎まで下ろしているようだが、背中側に座ってしまった手前、顔は拝めない。朝食を頼んでいる様子も無いとなると、やはりここでの目的は待ち人の線が有力だ。
俺は念のためボイスレコーダーのスイッチを入れる。大容量のメモリースティックは第七號島の件に優先されてしまい今の俺は持ち合わせていないが、この案件なら内蔵メモリーだけで充分だろう。
5分ほど経った頃だろうか。
ひとつの人影がトオルの席へと近づいてきた。
「お久しぶりです。坊っちゃま」
タキシードという出で立ちの初老の男、その言葉遣い、そしてトオルの態度――その全てが、まるでこの者がトオルの使用人かのような雰囲気を醸し出していた。
「お前も、まだそうやって僕のことを呼ぶんだね」
対して、トオルが絞り出した老紳士へ言葉は、凄むかのように震え平時のものとは思えないような声色だった。
「……失礼致します」
その老紳士がトオルの対面に座る。少しの沈黙のあと、再度トオルに話しかける。
「旦那様の事、未だお許しになられませんか」
気取られないように視線はなるべく送らず、しかし限界まで耳を澄ませて会話に集中する。
ここで言う旦那様とはトオルの父親だろうか。トオルの実家が大層な金持ちで、トオルが父親と喧嘩でもして家出状態――などという想像が俺の脳内で膨らむ。
「許す許さないは、僕が決めることじゃない」
「……飽くまで、この件は私情ではないと仰るのですね」
前提がある会話で、こちらとしては要領を得ない。
「旦那様は悔いておられます。あなたと奥様の――」
「母さんのことを奥様って言うな!!」
トオルの怒号が響く。
余りに反応しないのも不自然なので、俺は声に驚いた体でトオルのテーブルに目をやった。
タキシードの男は白髪混じりのオールバックに、よく手入れされた髭を蓄えている。その姿はあまりにも執事然としており、このホテルまでどうやって来たのか想像もつかないほど浮世離れしていた。俺がある程度の社交場にも顔を出せるレベルのジャーナリストであれば、男の服装の格式やブローチの柄からどこに仕える者か割り出せたかもしれないが、生憎そこまでの知識はない。
だが、ほぼ間違いない。
トオルは良家の御曹司で、スクープとやらも家業に縁のあるものなのだろう。そしてその計画にこの執事と思しき男も消極的ながら加担させられているのだ。トオルにとっての地雷ワードが『奥様』だったことからは、父方の家系との不仲が読み取れる。
「どうせ僕だけが目当てなんだろ! 母さんはアイツに捨てられたとも知らず、どんな思いで待ち続けていたか……!」
今時ここまでの話は昼ドラでもお目にかかれまい。
トオルの母親は良家に嫁いだが、なんらかの理由で疎遠あるいは離婚しており、母方に引き取られたトオルは父親を恨んでいる――のような話が見えてくる。
「……分かりました。それでは旦那様とお会いできる場を設けさせていただきます」
老紳士はトオルの言葉に折れたようだ。
旦那様とやらとの会合をトオルが望んでいて、その決め事をするための今日なのだとしたら、これがXデーの可能性は高い。アカリから聞いたトオルの計画を信じるなら、良家の家長と思しき父親との会話、あるいはその先にある何かを生放送する気なのだ。
さて、そうなると再び疑念が浮かぶ。
結局トオルの追うスクープとは身内の騒動であって、俺にとって価値の無いものなのではないだろうか。
その後のトオルは先刻の激昂を意識してか、声のトーンを抑えてしまった。老紳士の方もそれに合わせて話しているようで、会話の全貌が聞き取れない。
俺の脳内で様々な憶測と感情が湧き上がりそうになるが、今は聞き耳に集中する。
10分ほどの会話の中で辛うじて聞き取れた単語は、『旦那様の視察』『湖畔のテラス』『秘密』、そして『会合日は9月30日の11時』……!
気付けばロビーには人が増えはじめていた。
フォーマルな着こなしの紳士淑女達が、フロントへ案内を求めに行ったり、このラウンジに腰を落ち着けたりしている。彼らの服装からして結婚式には見えないが、これからパーティーでもあるのだろうか。これだけのホテルなら、キャパの申し分ないホールも備えているだろう。
こうなるとこの場に1番似つかわしくないのは学生のトオルだ。スーツといえどその出立ちは就活生と大差ない。本人も居心地が悪いと察してか、あるいは必要な話が終わったからか、席を立った。
「帰りは送らせましょうか」
「いい、一人で帰る」
トオルはマスクを付け直し、お札を机に置いた。黙っていれば老紳士の方が会計をしそうな雰囲気ではあったが、施しを受けたくはないというトオルの意地を感じる。
老紳士の方も「送らせる」という表現をしたということは、この者のさらに下に仕える使用人もいるということだろうか。この場所で直ぐに帰りの足を手配できるかのような物言いは、やや引っかかるものがある。
さて、恐らく本日のトオルの目的は達成されただろう。すなわち、俺もこれ以上トオルを尾行し続ける意味は薄そうだ。
俺は視線を残された老紳士の方へ向ける。
執事風の男は、トオルがホテルを出るところを視線で見送ると、哀愁ある溜息を吐いて会計を呼んだ。
取材現場における優先順位は常に流動的で、臨機応変な対応が求められる。
次に俺が欲しいのはこの男の情報だった。




